ED75とは
ED75
ED75
もっとも活躍したのは東北地方
ED75がもっとも活躍したのは、東北地方です。
東北本線、常磐線などで活躍しました。
重量の重い貨物列車や、速い速度を求められる客車列車などには、「重連」「三重連」などと言って、同じ機関車を2両、3両同時につなげて出力アップを図ったりすることもありました。
ED75の後継である、EH500などは、重連の手間を省くため、2つの機関車を1つにしたような作りになっています。
ED75の後継ぎ EH500
現在のED75 定期運用から外れている
根強いファンがいる名機 ED75
ED75は、貫通扉を真ん中に配置し、左右対象にフロントガラスがある、非常に整った顔立ちをしています。
左右対称はイケメンの定番ともされていますよね。
また、1990年頃までは、真っ赤な一色塗りで、機関車特有のごっつさから、
「赤べこ」の愛称で親しまれました。(「べこ」とは東北弁で牛のこと)
そのためでしょうか、根強いファンがいます。
ここにご紹介するのは、女性の鉄道ファンの方のブログです。
大好きな仙台の街、そしてED75を求めて。|森由梨香オフィシャルブログ「*mori-iro*」Powered by Ameba
ED75ファンクラブみたいなブログもありますね。
こちらの管理人さんの写真によると、2016年の時点でED75は、
定期運用はないものの、仙台駅で出番を待っているようですね。
ED75の詳しいデータは、ぜひこちらをご覧ください。
ED79というのは、青函トンネルが開通した時に、トンネル内専用機関車として、ED75から
改造されたマシンで、もともとはED75だったものです。
Homepage of ED75/ED79
東日本大震災で被災したED75 1039号機
ここで、ED75のなかから、1両のストーリーを紹介したいと思います。
ED75 1039号機です。
302両製造されたED75の中で、もっとも後で造られた、ED75の末っ子です。
302両なのに、1039号とはいかに?と思われるかと思いますが、他の機関車にもあることですが、同じED75の中でも、バージョンアップが繰り返されています。
なので、1号機からはじまって、バージョンアップがあると、そこからは100番台、さらに200番台というように、番号が飛びます。
なので、ED75の場合は、1000番台が最終でしたので、その1000番台の中でも一番後で造られた、末っ子中の末っ子が、1039号機ということになります。
ED75 1039
ED75 1039号機の歴史
ED75 1039号機は、1976年11月11日に当時の国鉄によって誕生しました。
最初は青森に配属され、夜行列車、貨物列車として、東北地方で活躍しました。
1987年4月1日の国鉄分割民営化により、JR東日本に所属。
1996年に、JR東日本青森運転所東派出所に配置されます。
しかし、普通列車の全電車化、貨物列車の減少により、第一線から外れ、
徐々に活躍の場を失います。