プランは三人の命の恩人となったのである。
四人は最後の避難所であるフランス大使館へと逃げ込むが、やがて、カンボジア人であるプランだけが、クメール・ルージュに引き立てられ、どこかへ連行されていった。
ニューヨークに戻ったシャンバーグは、プランの身を案じながらも、カンボジアの取材記事でピューリツッァー賞を受賞した。この栄誉はすべてプランのおかげだった。受賞式の日、ロックオフがシャンバーグを訪れ「あの賞が欲しくてプランを脱出させなかったんだな」となじるのだった。
その頃、プランは、過去の身分を隠し、クメール・ルージュの監視下で労働していた。町の住人たちは農村で強制労働させられ、子供が親をスパイするという惨状の中で、数え切れないほどの人々が殺された。
やがて、辛くも脱走したプラン。
プランは、累々たる屍を踏み越えて、とある村に辿り着く。
そして、村の長の家でハウスボーイとして働くようになる。
しかしその主人もクメール・ルージュに殺されたため、託された少年とともに村を脱出。
途中、地雷で少年は死に、プランが死ぬ思いをしながら、タイの難民キャンプにたどりついたのは、79年も秋になったころだった。
プラン生存の連絡を受けたシャンバーグは、タイの難民キャンプへ飛んだ。「許してくれ」とシャンバーグ。「許すことなどないよ」とプラン。
抱き合う二人をカーラジオから流れるジョン・レノンの“イマジン”が優しくつつみ込んでいた。
「異文化を繋ぐ友情」もテーマーの一つとして組み込まれている作品
プランは、シャンバーグの取材の継続のためにアメリカへ脱出しなかったのは自己決断でした。しかし、それが結果的に最悪な事態になるわけですが、プランにとって、シャンバーグは最も信頼し、その思いを深く繋いだ相棒でした。なので、最後の二人の再会は、異文化を超えた深い繋がりを映しています。
シャンバーグとプランは、国境を超えた友情で結ばれている!!
日本のジャーナリストが、映画を批判!!
しかし、ジャーナリストの古森義久は、この映画を絶賛しています。