「ドラゴンへの道」日本劇場公開版ソフト発売記念!皆がマネした、ダブルヌンチャク!初公開当時の熱狂振りを検証する!

「ドラゴンへの道」日本劇場公開版ソフト発売記念!皆がマネした、ダブルヌンチャク!初公開当時の熱狂振りを検証する!

今から42年前の1975年1月25日、それは世のドラゴン野朗にとって忘れてはならない特別な日!そう、あの永遠の名作にして男のバイブル、「ドラゴンへの道」が日本で初公開された記念すべき日だ。


非常に珍しいデザインのこの広告は、映画雑誌の裏表紙に掲載された物。この他にも、当時の映画雑誌の裏表紙に掲載された広告には、珍しいデザインの物が多数存在する。

公開当時の宣伝広告

今から42年前の1975年1月25日、それは世のドラゴン野朗にとって忘れてはならない特別な日!
そう、あの永遠の名作にして男のバイブル、「ドラゴンへの道」が日本で初公開された記念すべき日だ。

公開7日目で、興業収入300万香港ドルの大ヒットを伝える内容。当時の大ヒット振りが良く判る。

香港公開時の新聞広告

実は本作は、香港映画として初めてのローマ・ロケを敢行!「危機一発」、「怒りの鉄拳」の大成功を受けて、ゴールデン・ハーベスト社のレイモンド・チョウとブルース・リーが共同で設立した、コンコルド・プロダクションの第一回作品であり、リーが初めて監督・脚本・武術指導・主演・音楽の五役を務めるという、正にリーにとっての「俺様映画」だと言える。

数々ある本作の見せ場の中でもオススメは、やっぱりレストランの裏庭で見せるダブルヌンチャクの超絶技と、ラストのコロシアムにおけるチャック・ノリスとの死闘だ!隠し持ったもう1本のヌンチャクの登場から炸裂する、多彩なヌンチャクテクニック!
そして、ローマの闘技場を舞台に繰り広げられるジークンドーVS空手の激突では、リーの実践的なテクニックが随所で披露されており、今見返しても驚きの連続となっている。
事実、今でもマニアの中には、この対チャック・ノリス戦をブルース・リー作品中のベストバウトに挙げる方が多いくらいだ。

そんな中、つい先頃奇跡的に発見された日本公開時のオリジナルフィルムと日本版予告編を収録した、マニア待望のBlu-rayソフト、「ドラゴンへの道」アルティメットエディションが、公開後42年目に当たる今年の1月25日、遂に発売された!

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「ドラゴンへの道」誕生から満45年! 奇跡的に発見された日本公開版ネガよりHDテレシネを敢行した 日本公開版本編&予告編&リバイバル公開時特報を加えた“究極版"ブルーレイが 日本初公開日の1月25日にリリース!

当時まだ生まれてもいなかったマニアの方にとっては、まさに伝説を体験出来るという夢の機会に恵まれた今回のリリース!
せっかくの鑑賞の機会なので、今回は映像ソフトをより楽しめる様に、「ドラゴンへの道」日本初公開時の社会状況や、公開時の宣伝展開・新聞広告などの資料を、筆者のコレクションを交えてご紹介して行きたいと思う。
当時リアルタイムで熱狂の渦の中にいた世代も、DVDでしか見たことの無い世代も、是非当時の興奮を味わって頂ければ幸いです。

当時のドラゴンブームの熱狂が蘇る!貴重な新聞広告の数々

初公開時の関東での新聞広告

初公開時の関西での新聞広告

ここで紹介するのは、日本初公開当時に掲載された新聞広告の数々。
上の2枚は関東と関西での新聞広告なのだが、どれもブルース・リーのアップを使用した迫力ある物で、本作に賭ける東映の意気込みが伝わって来るようだ。

。同時上映は「ドーベルマンギャング2」。前売り券売り切れ近し!の文章が凄い!

初公開時の、福井県での新聞広告

同時上映は「ドーベルマンギャング2」だが、こちらは扱いがかなり小さい。

初公開時の、愛媛県での新聞広告

北海道地区の同時上映は「ゴールド」だった。

初公開時の、北海道での新聞広告

続いては、地方公開時の新聞広告。この当時、地方での公開は二本立てで公開されるのが慣例だったが、超話題作の「ドラゴンへの道」だけに、地方でも一本立て公開される場合もあったようだ。
画像でもお分かりの様に、二本立て公開の併映作品は、「ゴールド」と「ドーベルマンギャング2」との、2パターンがあった。

同時上映は「ドーベルマンギャング2」だが、他の地区とは違って「燃えよドラゴン」の写真を堂々と使っている!

初公開時の、石川県での新聞広告

こちらは、全く配給会社の異なる「燃えよドラゴン」の写真を使用した、珍しい新聞広告。比較的規制が緩かった70年代の映画興業界が良く判る一例だ。
今と違って、この頃はまだネットもビデオレンタルも無い時代。当時の小学生は、こうした新聞広告を眺めては、「いったい、どんな映画なんだろう?」と、想像して楽しんだものだった。これらの当時の新聞広告や記事から、是非当時の熱狂的ブームの空気を感じ取って頂ければと思う。

公開時、各劇場の歴代観客動員新記録を叩き出す程の大ヒット!

公開初日に掲載された、報知新聞での映画評

上映期間を終えて、更に劇場を変えての続映が決定したとの内容。レンタルビデオが無い時代、最後のブルース・リーを見るため、皆映画館に通い詰めたのだ。

福岡の新聞に掲載された映画評

そして迎えた公開日の1月25日。
全国のファンが待ちに待った公開だけに、各新聞もこぞって映画評を掲載!

「ドラゴンへの道」が観客動員数の記録を塗り替えた事を伝える記事。

福岡の新聞に掲載された記事

なんと、劇場公開二日目の1月26日に、東京の新宿ミラノ座では1万8千126人の動員を記録!
この記録は、それまでの一日の動員数記録だった「エクソシスト」の1万2千508人(松竹ピカデリーでの記録)を、大きく更新する程の大ヒットだった。

「燃えよドラゴン」、「危機一発」、「怒りの鉄拳」と、必ずしも良い劇場に恵まれたとはいい難い公開状況だったが、理想的な劇場での興業となった「ドラゴンへの道」の大ヒット振りは、正にブルース・リーの当時の人気と興業力を証明するものだと言える。

日本公開時の配給権を巡るゴタゴタ騒動!

当初は「ドラゴンへの道」ではなく、「ドラゴン電光石火」のタイトルが付けられていたのは、マニアの間では有名な話。

週刊少年マガジン1974年21号の表紙と、カラーグラビア

画像の通り、当初は「ドラゴン電光石火」のタイトルが付けられ、「危機一発」「怒りの鉄拳」と併せて、東和が配給・劇場公開を予定していた本作だったが、突然東映洋画部が配給権を主張!独自に記者会見を開き、「ドラゴンへの道」の公開日まで発表するという行動にでる。
結局本作は東映洋画部の配給により、松竹系の大劇場で公開されたわけだが、このトラブルによって未完の「死亡遊戯」の完成が早まったとも言えるのだから、世の中は判らないものだ。

この段階で既に、「死亡遊戯」が1975年公開作品として宣伝されていたことが判る。東和の意地とヤル気が伝わって来るようだ。

1975年2月に掲載された新聞広告

東和の顔をつぶす形となったゴールデンハーベスト社は、「死亡遊戯」の完成と配給権を東和に約束。それを受けて東和も画像の広告の通り、早くも「ドラゴンへの道」公開とほぼ同時期から、公開予定ラインアップの中に「死亡遊戯」を入れるという暴挙に出る!
正に2大配給会社の面目を賭けた全面戦争であり、この後の1980年代には、再びジャッキー・チェン作品を巡って両社の戦いが繰り広げられることになるのだが、それはまた別の機会に。

この時点で東映側が記者会見を開き、「ドラゴンへの道」は東映洋画部が配給することに。
当時大ニュースとなったこの事件だが、記事によって微妙にその内容が違う。

1974年9月11日にスポーツニッポンに掲載された記事

この「ドラゴンへの道」日本配給権を巡るゴタゴタ騒動は、実はその経緯が非常に複雑で面白いのだが、かなり多くの資料の紹介と解説が必要なため、いずれ詳しく解説させて頂こうと思うので、お楽しみに!

実はB・リー主演作で最初にTV放映された作品だった!

本作は1977年4月6日、日本テレビの「水曜ロードショー」において、「出た!!ブルース・リーのドラゴンへの道」のタイトルで、早くもTV放送されている。
これは当時の人気洋画作品のTV放映サイクルとしては極めて早く、ちなみに「ドラゴン危機一発」は、1978年の1月1日にテレビ朝日「日曜洋画劇場」で放映。「ドラゴン怒りの鉄拳」は更に遅れて、1979年8月5日に同じくテレビ朝日「日曜洋画劇場」で放映されている。

ブルース・リー主演作の初放映は、当時としても大きな話題となった。

1977年4月TV放映の作品情報を伝える記事

それでは、何故に「ドラゴンへの道」が最初にお茶の間に登場したのだろうか?
「ドラゴンへの道」の配給権を東映に寸前で奪われた形になった東和が、「ドラゴンへの道」公開にぶつけるかの様に、1975年の公開ラインアップに「死亡遊戯」を持ってきたことは、既に述べて来た。(もちろん、この時点で完成していないし、完成の補償も無いのだが・・・)
その関係で、「死亡遊戯」が実際に日本で公開される1978年まで、東和が配給権を持つブルース・リー作品のTV放映は実現しなかったというわけだ。「燃えよドラゴン」に関しては、結構頻繁にリバイバル公開が行われており、その商品価値がかなり高かったため、このような早期のTV放映が実現し難かったと思われる。(「燃えよドラゴン」のTV放映は更に遅れて、1979年10月14日だった)

ちなみにTV放映時の日本語吹替で、リーの声を担当したのは俳優の柴俊夫。これは骨格が似ていた点も大きいと思われるが、一番の理由はその髪型の類似性だろう。ちょうど1977年4月3日より、柴俊夫主演のドラマ「さわやかな男」が放送されたため、その宣伝効果も狙ってのことかも知れない。

実は日本だけでなく、香港でもコミカライズされていた!

タバコメーカーの「ウィンストン」とのタイアップにより、ローマ周遊の旅が当たる!という豪華な物だった。

香港港開時に掲載された新聞広告

上の画像は、実際に香港公開当時に掲載された新聞広告だ。
タバコのメーカー「ウィンストン」とのタイアップ広告なのだが、ちなみにこのキャンペーンの抽選は、当時の人気番組「歓楽今宵」の中で発表!と記載されている。
この様に、様々なタイアップによる宣伝展開が取られた香港に対して、日本での宣伝展開で記憶に残るのは、やはり本作「ドラゴンへの道」のコミカライズ版の製作・掲載だろう。
ちなみに「コミカライズ」とは、この当時の宣伝手法として一般的だった、映画の内容(もちろん、ラストまで完全にネタバレあり!)をコミック化して様々な媒体に掲載する!という宣伝手法を指す用語だ。

田辺節雄先生の迫力の絵で書かれた傑作!

月刊少年チャンピオンに掲載された、コミカライズ版「ドラゴンへの道」の扉絵!

本作のコミカライズが掲載されたのは、秋田書店の「月刊少年チャンピオン」1975年1月号。作者は後に数々の名作コミカライズを発表することになる、田辺節雄先生。田辺先生の抜群の画力により、ラストのコロシアムの対決シーンなどは、映画に劣らぬ大迫力!
しかし、残念ながら諸般の事情により、これら当時の映画コミカライズ作品は殆ど単行本化されておらず、現在では入手が極めて困難となっている。

マンガと言うより、絵物語に近い感じがする。

こちらは香港で発行されていた、「ドラゴンへの道」コミカライズ版表紙と中の1ページ。

実は偶然にも、本国の香港でも公開当時、「ドラゴンへの道」と他のゴールデンハーベスト作品はコミカライズされていた。但し雑誌掲載ではなく、アメコミの様に単独誌として販売されていた点が日本とは大きく異なるのだが、遠く離れた国でほぼ同時期に、映画の宣伝手法としての「コミック化による、低年齢層への宣伝波及」が流行していたことは、非常に興味深い事実だと言えるだろう。
当時の少年達の映画への欲求を満たしてくれた、この「映画コミカライズ」という手法が、世界的な動きだったとは!興味を持たれた方は、是非ご自分でお探しになってみては?

最後に

欲を言えば、是非もう一度劇場のスクリーンで見たいものだ。

42年の時を越えて、やっと日の目を見た日本劇場公開版!

以上、駆け足で紹介・解説してきた、「ドラゴンへの道」初公開時の公開状況と、ドラゴンブームの熱狂振り!
ミドルエッジ世代の中には、「おお、懐かしい!」と思われた方、或いは「え、全然知らなかった」という方もおられたのでは?

全男子にとっての永遠の憧れ、そして目標でもあるブルース・リーという巨大な「人間山脈」。
実は今回紹介した以外にも、公開された映画館の売店でおもちゃのヌンチャクが売られていた!との目撃証言や、各地方の映画館独自のキャンペーンの存在など、その全貌はまだまだ謎に包まれている。
皆さんも是非一度、机や押入れの中を探してみては?きっと当時のブルース・リーグッズと一緒に、あの頃の思い出も蘇るはずだから。

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