ハワイ出身の相撲取り「曙 太郎」
初土俵と曙太郎の同期「花の六三組」力士たち
曙太郎は1988年3月場所に初土俵を踏んでいる。
1992年5月場所千秋楽では、当時前頭7枚目の若花田との優勝争い制して、曙 太郎は幕内初優勝を果たした。同年年5月場所で曙は大関に昇進した。
しかし1992年7月場所の直前の稽古中に足の小指を骨折してしまい、初土俵以来初の全休で、いきなり大関角番となった。
初の外国人横綱に昇進する曙 太郎
1992年9月場所で勝ち越して、1992年11月場所では2度目の優勝。翌1993年1月場所も、大関昇進を賭けていた関脇の貴乃花(当時貴花田)を千秋楽結びの一番で圧倒して完勝。3度目の優勝を飾る。
そして曙太郎は大関の地位で2場所連続優勝を果たして、外国人初の横綱に昇進した。
横綱土俵入りは雲龍型。新横綱の1993年3月場所は10勝5敗。横綱2場所目の同年5月場所は千秋楽結びの一番で、13勝1敗同士の大関貴ノ花との対戦で敗けている。
横綱3場所目の同年7月場所から11月場所まで、3連覇で優勝した。その後、1994年11月場所まで曙 太郎は11場所の間一人横綱を維持した。
1994年5月場所前の巡業中に左膝を痛めるも、同5月場所を強行出場した。そして、曙太郎は一人横綱の責任を果たした。
さらに5月場所では右膝も故障する。曙 太郎は、10日目までただ一人10連勝していた。11日目には貴闘力に敗れる。翌12日目、両膝のケガが悪化したため突如途中休場。横綱不在となる。
曙太郎は場所後に両膝を手術したが思うように回復せずに、同年7月場所・9月場所は共に全休。11月場所で3場所ぶりに土俵に復帰し、10勝5敗。同場所千秋楽結びの一番の当時大関・貴乃花戦は、大熱戦となり、大相撲史に語り継がれる歴史的な取組となった。結果は貴乃花が土俵際での上手投げを決め勝ち星。
1995年1月場所からは曙太郎・貴乃花の「花の六三組」同期生の二人横綱となった。
1997年5月場所の優勝。結婚による後援会の解散があった。
1998年2月に行われた長野冬季オリンピックの開会式には、体調不良で欠席した貴乃花の代役として横綱の曙太郎が横綱土俵入りを披露した。
横綱・曙太郎の引退
2000年7月場所では、19場所ぶり10回目の幕内優勝。
2001年の1月場所には、持病の両膝のケガの悪化により全休する。1月場所終了直後に両膝の回復が見込めない理由などにより、突然の現役引退を発表した。