姉弟コンビでデビュー
詩;来生えつこ、曲;来生たかお。音楽界でも珍しい姉弟での詩曲コンビ。
1976年10月にレコードデビューします。
関係者の間では、数十万枚セールスのヒット間違いなし、と太鼓判を押されてのデビューでしたが、1万枚を突破することもなく、散々な結果でした。

2枚目、3枚目と結果を出すことができずに、姉弟の間では「レコードをもう出してもらえないかも」という不安が常にあったそうです。
そして、3年の月日が流れました。
3年目にして初のヒット曲
マイ・ラグジュアリー・ナイト

1979年10月リリース。
TVのCMで流れていたのを覚えている方もいらっしゃるのでは?
しばたはつみが歌って大ヒットした曲です。彼女自身の代表曲と言えるでしょう。
彼女はこの歌で紅白歌合戦に初出場を果たしました。
この歌の生い立ちがなかなかなものなのです。
マツダのCMソングとしてのコンペが開催され、14曲の参加曲がありました。
CMソングの王者・小林亜星、名作曲家・筒美京平という名だたる猛者が参加していました。
姉弟はまず選ばれないだろう、と思っていたそうです。このメンバーではそう思ってもいたしかたないですよね。その中で最終選考の2曲に残り、最後にしばたはつみ本人が選んだのが「マイ・ラグジュアリー・ナイト」でした。
名曲誕生
Goodbye Day

1981年11月リリース。
テレビドラマの主題歌にもなりましたが大ヒット曲とは言えませんでした。
しかし、ジワジワと売れ続けて有線で1位となり、カラオケでは彼の歌の中で1番歌われている曲になりました。
マイナーのスローバラードがなんとも切ないラブソングとして、いつまでも耳に残る名曲です。
カイカァ~ン
セーラー服と機関銃 夢の途中

1981年11月リリース。
薬師丸ひろ子(セーラー服と機関銃)と来生たかお(夢の途中)がほぼ同時期にリリースした異名同曲です。
薬師丸ひろ子はこの歌で歌手デビュー⇒いきなり大ヒット、となりました。映画もヒットし、一躍彼女の名前を轟かせましたね。
何と言っても機関銃をぶっ放した後の彼女の一言、「カイカァ~ン」で世の中の男性のハートをわしづかみにしました。
17歳の女の娘に、あの表情でこんな言葉を発せられたら、ハートを揺さぶられない男性はまずいないでしょう。
レコーディングに際しては、こんなエピソードもあります。
抱きしめて 身動きできないほど
シルエットロマンス

1981年11月リリース。大橋純子が歌ったヒット曲です。
彼女の抜群の歌唱力とダイナミックで伸びのある歌声が、スローバラードのロマンティックな歌を際立たせています。
この歌は約1年にわたりジワジワと売れ続け、1982年日本レコード大賞の最優秀歌唱賞に選ばれました。
気分は逆光線

1982年4月リリース。
彼の歌の中では珍しくポップス系のメロディですが、けだるい夏を想わせるノリのいい歌です。
中森明菜デビュー
スローモーション

1982年5月リリース。
中森明菜のデビューシングルは、来生姉弟による歌でした。
ポップス系のメロディに彼女の初々しさがマッチしてとてもいい歌になっています。
中森明菜への楽曲提供はこの歌のみならず、さらなるヒット曲を生み出していきます。
来生姉弟は、明菜のデビュー当初を支え、スターへの道へと導いた一役を担ったと言えるでしょう。
明菜最大のヒット曲
セカンドラブ

1982年11月リリース。彼女のシングルリリースの中で最大のヒット曲です。
今年1月のBSの対談番組で、来生たかおはこんなことを言っていました。
「この曲は、もともと大橋純子さん用に作った曲なんです(オファーがくると思いあらかじめ作っておいた)。でも来なかったので宙に浮いてしまっていたところ、ディレクターさんにぜひ明菜の3曲目に、となって提供させていただいたんです。」
今振り返ってみると、この難しい歌を17歳でよくぞ歌いましたと言いたいですね。
中森明菜は、この歌を相当気に入ったらしく、こんな逸話を残しています。
スケバン刑事
楽園のdoor

1987年1月リリース。
ご存知、スケバン刑事の主題歌ですね。
オリコン1位のヒット曲となりました。
若々しい南野陽子が眩しいくらい輝いていましたね。
美空ひばり
来生姉弟は美空ひばりにも楽曲を提供しました。
2人とも大ファンだったようで、念願かなったというコメントを残しています。
編曲・プロデュースは坂本龍一。

バラードの名メロディメーカー、来生たかおさんも今年で66歳になられました。
お姉さんのえつこさん共々、まだまだ現役で頑張っていただきたいですね。