高校野球史に残る名勝負をいくつか紹介しています。ここでは、1985年夏の大会。PL学園対宇部商業戦をとりあげます。「KKコンビ」高校三年生・夏の大会決勝戦で「甲子園は清原の為にあるのか!」という名実況が生まれました。
巨人・モスビー!1992年はモスビー効果と称された活躍をした!
メジャー通算169本塁打を引っ提げ、巨人入り。優勝を目指せるチームを探し、巨人に辿り着いたモスビー。陽気なキャラはクロマティ2世とも言われた。1992年のモスビーはデビュー戦でホームランを放つなど印象に残る活躍が多かった!
高校野球史に残る大逆転試合~昭和59年・夏~金足農業対PL学園
高校野球史に残る大逆転試合をいくつか紹介しています。ここでは、昭和59年・夏の大会準決勝。金足農業対PL学園戦をとりあげます。桑田・清原(当時高校2年生)擁する優勝候補大本命のPL学園に挑んだ「雑草軍団」の戦いの結末は…。
第59代・阪神4番「セシル・フィルダー」 場外HRと小指骨折が代名詞です!その後メジャーでは二冠王を獲得しました!
セシル・フィルダー。1989年の1シーズンだけ阪神タイガースに在籍。開幕前は三振の山を築きますが、開幕後は打ちまくった外国人助っ人。例によって「バースの再来」と言われましたね!
華麗なる奪三振ショー、息をも飲むファインプレー、疾走する盗塁など野球の見どころは数多くありますが、やはり一番の盛り上がりポイントはホームランでしょう。夜空に打ち上がる放物線は、未だに記憶に残るものも多いはず。そこで、ここでは1980年代、90年代に活躍したホームランバッターを紹介します。
【タフィ・ローズ】3球団・13年間プレーした、日本プロ野球史に残る大物助っ人
近鉄・巨人・オリックスの3球団で13年間在籍。「キレやすい」気質の為に退場処分を受けたり、コーチ陣と軋轢を呼ぶ事もあったが、彼がプロ野球史に残る打者であった事は記録とファンの記憶が示している。そんなタフィ・ローズの球歴を振り返る。
【吉村禎章選手】交通事故レベルの激突事故から奇跡の復帰を果たした不屈の打者。
1988年7月6日。札幌円山球場に詰め掛けた野球ファンは後に「交通事故レベルの激突事故」と呼ばれた栄村選手と吉村選手の激突事故を目撃する。この様を見た多くの人が思った事だろう「吉村は終わった」と。だがこれが奇跡の始まりだった…。