ビワハヤヒデ誕生
ビワハヤヒデは1990年3月10日、父Sharrood(シャルード) 母パシフィカスの仔として福島県の早田牧場で産まれました。
母パシフィカスはブライアンズタイムの種付けをする肌馬として購入され、日本に輸入されたのですがその時お腹の中に身籠っていたのが後に「芦毛の怪物」と言われるまでになったビワハヤヒデでした。
そして翌年パシフィカスに種付したブライアンズタイムとの間に産まれたのが、あの有名なナリタブライアンでした。
ビワハヤヒデを預かる浜田調教師は、当歳時に初めて見たビワハヤヒデの印象についてこう語っています。
デビュー戦~3歳時
調教を重ねたビワハヤヒデは9月の阪神競馬場 芝1600m新馬戦で鞍上は岸騎手でデビューしました。
人気は2番人気でしたがレースは2着以下に大差での圧勝という衝撃的なデビューを飾りました。
2戦目のもみじステークス(京都競馬場 芝1600m)でもレコードでの勝利を飾り、一躍スター候補にに名乗りを上げました。
続く3戦目はデイリー杯3歳ステークス(京都競馬場 芝1400mGⅡ)に決まり、周囲の注目を一身に集める中、3歳レコードを1秒以上更新してデビューから3連勝を達成しました。
デイリー杯3歳S|1992年11月07日 | 競馬データベース - netkeiba.com
3歳馬の頂点を決めるレース朝日杯3歳ステークス(中山競馬場 芝1600mGⅠ)では単勝1.3倍で堂々の一番人気に支持されたビワハヤヒデですが、このレースではエルウェーウィンに競り負け2着に敗れました。
4歳 クラシックシーズン到来
3歳シーズンを4戦3勝2着1回で終えたビワハヤヒデ。
4歳初戦は共同通信杯(東京競馬場 芝1800mGⅢ)に出走し、ここでも1.3倍のダントツの一番人気に支持されましたが、またもや2着に惜敗。
この2戦連続の2着という結果に対し、オーナより、デビュー戦より騎乗していた岸騎手の交代という非情ともいえる采配が振るわれました。
岡部騎手と新コンビ結成
ビワハヤヒデの新パートナーには陣営の強い希望もあり名手 岡部幸雄騎手に決定しました。
新コンビで迎えた皐月賞トライアルの若葉ステークス(中山競馬場 芝2000m)では1番人気に応え見事に勝利しました。
3冠レース初戦の皐月賞(中山競馬場 芝2000mGⅠ)ではウイニングチケットに次ぐ2番人気に押され、期待が膨らむ中レースはスタート。終始好位につけいい展開で最後の直線で抜け出したが、ゴール前で大外から猛烈な勢いで差してきたナリタタイシンにかわされ無念の2着に終わります。
皐月賞|1993年04月18日 | 競馬データベース - netkeiba.com
続く日本ダービー(東京競馬場 芝2400mGⅠ)でもビワハヤヒデは2番人気となりました。
レースはスタート直後にマルチマックスが落馬するなど波乱含みの展開でしたが、最後の直線で瞬発力勝負となり切れ味で勝るウイニングチケットが堂々ダービーを制覇。
ビワハヤヒデは皐月賞に続きまたしても2着に終わりました。
東京優駿|1993年05月30日 | 競馬データベース - netkeiba.com
ともに2着で終わった春のクラシック2レースでしたが、最後の1冠、菊花賞を奪取すべく夏の間も休まず調教を続けました。
そして秋初戦を神戸新聞杯(阪神競馬場 芝2000mGⅡ)で始動したビワハヤヒデですが、ここでは格の違いを見せつけて楽勝し、菊花賞に弾みをつけました。
菊花賞当日、ビワハヤヒデは皐月賞馬ナリタタイシン、ダービー馬ウイニングチケットを抑え、堂々の一番人気に支持されました。
レースは中団につけ終盤に徐々に加速し、最終コーナーで仕掛けるとそのままグングン伸び、終わってみれば2着に5馬身差の大勝で最後の1冠、菊花賞を戴冠しました。
そのタイムは当時の日本レコードでした。
菊花賞|1993年11月07日 | 競馬データベース - netkeiba.com
1993年 年度代表馬へ
見事にGⅠホースの仲間入りをしたビワハヤヒデはその年の締めくくり有馬記念(中山競馬場 芝2500mGⅠ)へと駒を進めます。
有馬記念にはトウカイテイオー、ライスシャワー、レガシーワールドなど歴戦の雄が揃う中、ビワハヤヒデは1番人気に支持されました。
結果はトウカイテイオーの2着でしたが4歳馬として古馬とも互角に渡り合い、来年以降、間違いなく競馬会の中心にいるのはこの馬だと印象付けるレースでした。
菊花賞|1993年11月07日 | 競馬データベース - netkeiba.com
充実の5歳シーズン~突然の引退へ
1993年の年度代表馬に選ばれたビワハヤヒデは年の明けた1994年、京都新聞杯(京都競馬場 芝2200mGⅡ)から始動し、単勝人気は1.2倍でレース結果は2着に7馬身差の圧勝劇でした。
古馬となって最初のGⅠレースとなった天皇賞(春)(京都競馬場 芝3200mGⅠ)でも1.3倍と圧倒的な1番人気に押される中、ライバル・ナリタタイシンの猛追を抑え見事に天皇賞を制覇。昨秋の菊花賞に続くGⅠ2勝目とし、デビューから続いている連続連対数を「13」へと伸ばしました。
天皇賞(春)|1994年04月24日 | 競馬データベース - netkeiba.com
怪物過ぎる半弟「ナリタブライアン」との兄弟対決へ
春シーズン3戦目は宝塚記念(阪神競馬場 芝2200mGⅠ)となりました。
GⅠレースですが出走メンバー的に今のビワハヤヒデにとっては脅威となる相手もおらず、みご日本レコードを叩きだし天皇賞(春)に続いて、GⅠ2連勝を飾りました。
この春の牡馬クラッシック2レース(皐月賞・日本ダービー)ですが、ビワハヤヒデの半弟ナリタブライアン(父ブライアンズタイム 母パシフィカス)が圧倒的な力で2冠を達成しました。
新たな怪物の誕生に、マスコミ、ファンは年末にかけての夢の兄弟対決に期待せずにはいられませんでした。
宝塚記念|1994年06月12日 | 競馬データベース - netkeiba.com
秋競馬のビワハヤヒデの出走プランが産経賞オールカマー⇒天皇賞(秋)⇒有馬記念であることが報じられると、国際GⅠのジャパンカップがプランに含まれないことに対して、競馬界の各方面から賛否の声が上がりましたが、この選択はオーナーの天皇賞に対する強い思いがあっての事でした。
緒戦の産経賞オールカマー(中山競馬場 芝2200mGⅡ)ではライバルのウイニングチケットも出走する中、ビワハヤヒデは単勝1.2倍と圧倒的な支持に応え勝利しました。
この秋2戦目の天皇賞(秋)(東京競馬場 芝2000mGⅠ)でも単勝1.5倍と断然の一番人気となり、天皇賞春秋連覇の偉業へ向けて周囲の期待を一身に受けレースに臨んだのですが、後に鞍上の岡部騎手はパドックでの輪乗りの際、一抹の不安を感じたと語っています。
レースが始まるとビワハヤヒデは先行策で好位につけ進んでいったが、このレースでは4コーナー付近でスルスルと先頭に立ついつもの必勝パターンは見られず、直線も伸びを欠いたまま自身初となる連対を外す5着に終わりました。
天皇賞(秋)|1994年10月30日 | 競馬データベース - netkeiba.com
屈腱炎が判明~突然訪れた引退の時
天皇賞(秋)のレース直後、歩様に違和感を感じた岡部騎手は下馬し、その後、左前脚に屈腱炎が発症していたことが判明し、引退が発表されました。
その年の有馬記念では3冠馬となった半弟ナリタブライアンが見事に優勝しました。
「もしビワハヤヒデが万全の状態で有馬記念に出走していたら」…、当時、兄弟対決に夢を膨らませていた多くの競馬ファンのため息が聞こえてきそうで、ビワハヤヒデの引退はとても残念でなりませんでした。