シンコウラブリイ誕生~競走馬デビュー
シンコウラブリイは、1989年2月2日に父Caerleon(カーリアン) 母ハッピートレイルズの仔としてアイルランドで生まれました。
3歳の春まで生産者であるアイルランドのファイアストン夫妻のもとで育成され、その後、日本人馬主に買われたシンコウラブリイは日本で競走馬デビューすべく、美浦の藤沢和雄厩舎に入厩しました。
日本への輸入後、検疫を終えたシンコウラブリイは藤沢厩舎に入厩後、わずか一か月ほどでデビュー戦をむかえました。
衝撃のデビュー戦
シンコウラブリイのデビュー戦は11月2日東京競馬場 芝1600mでした。鞍上は藤沢厩舎所属の若手 橋本広喜騎手。
このデビュー戦は持ったままで4馬身差の楽勝で、そのポテンシャルの高さを感じさせる内容でした。
デビュー2戦目に選ばれたのは中1週の福島3歳ステークス(福島競馬場 芝1200m)でした。
デビュー戦の勝ちっぷりもあり、断然の1番人気に支持されたシンコウラブリイは、ここでも期待に応えて見事レコード勝ちしデビュー2連勝を飾りました。
そして迎えた3歳牝馬女王決定戦 阪神3歳牝馬ステークス(阪神競馬場 芝1600mGⅠ)では、ニシノフラワー、サンエイサンキューとの激しい叩き合いの末3着に敗れました。
マル外(外国産馬)の悲運をバネに・・・
当時、JRAの規定でマル外(外国産馬)はクラシック5大競走(皐月賞・日本ダービー・菊花賞・桜花賞・オークス)への出走が認められていませんでした。
外国産馬のシンコウラブリイも例外ではなく、クラシックとは別の独自路線を進むこととなります。
前走でしのぎを削ったライバル、ニシノフラワー・サンエイサンキューらと桜花賞、オークスでの競演を見たかったファンもきっと多かったと思います。
4歳初戦に選ばれたのはカーネーションカップ(東京競馬場 芝1600m)で鞍上は前走からコンビを組む名手岡部幸雄騎手です。
阪神3歳牝馬ステークス3着の実績からこのレースで1番人気に支持されましたが、約半年のブランクもあり思うような競馬ができず6着と惨敗しました。
重賞レース初制覇
この春の最大の目標でもある次走のニュージーランドトロフィ4歳ステークス(東京競馬場 芝1600mGⅡ)まで、中1週しかありませんでしたが陣営は見事に立て直し、重賞4連勝で断然の1番人気に支持されていたシンコウラブリイと同じマル外馬ヒシマサルの猛追を振り切り、見事に優勝しました。
この重賞制覇はシンコウラブリイはもちろん、藤沢調教師にとっても初めての重賞勝利となりました。
NZT4歳S|1992年06月07日 | 競馬データベース - netkeiba.com
前走見事な勝利で初重賞タイトルを手にしたシンコウラブリイは、続くラジオ短波賞(福島競馬場 芝1800mGⅢ)でも鮮やかな勝利を飾り、重賞2連勝を達成。
その後、休養に入り秋競馬に備え充電することとなりました。
秋競馬開幕!
牧場でリフレッシュして戻ってきたシンコウラブリイの秋初戦に選ばれたのは、クィーンステークス(中山競馬場 芝2000mGⅢ)でした。
この2000mという距離はシンコウラブリイにとって初めて挑戦する距離でもあり、短距離マイル路線でいくか、中距離路線でいくか、今後の進むべき道を占う意味でも大事な一戦となりました。
そして迎えたレース当日、単勝1.4倍という断然の一番人気に支持されたシンコウラブリイは、周囲の心配をよそに、まったく危なげないレース展開で2着パーシャンスポットと3馬身半差の圧勝。
2000mの距離にも充分に適応できることを証明しました。
初挑戦! GⅠマイルチャンピオンシップ
2000mのクィーンステークスでの勝利し中距離路線でも手ごたえを感じた陣営は、この秋の最大目標をジャパンカップ(東京競馬場 芝2400mGⅠ)に定めました。
ところがその前哨戦となった富士ステークス(東京競馬場 芝1800m)で、勝利こそしたがそのレース展開をみて藤沢調教師は2400mは距離が持たないと判断し、目標レースを連闘となるマイルチャンピオンシップ(京都競馬場 芝1600mGⅠ)へと切り替えました。
そうして挑んだ大一番のマイルチャンピオンシップですが、シンコウラブリイは鞍上岡部騎手&ここまで4連勝&4歳牝馬53キロの軽ハンデということもあり、1番人気に支持されました。
マイルチャンピオンS|1992年11月22日 | 競馬データベース - netkeiba.com
レースはイクノディクタスが逃げを打つ中、シンコウラブリイは好位から得意の展開で競馬をすすめるも、4コーナーで不利をうけ、前年度の覇者でもあるダイタクヘリオスを捉えきれず1馬身半差の2着、結果、歴戦の雄ダイタクヘリオスの貫録勝ちでした。
6戦4勝うち重賞3勝で4歳を終え、翌年の安田記念を春の最大目標に休養に入ったシンコウラブリイ。
古馬と激戦を繰り広げたマイルチャンピオンシップの疲れは癒えたかに思えましたが、その反動は思いのほか尾をひき、春の初戦となった京王杯スプリングカップ(東京競馬場 芝1400mGⅡ)でヤマニンゼファーの後塵を拝し2着に終わります。
春の最大目標 安田記念
一度叩いてむかえた春の最大の目標、安田記念(東京競馬場 芝1600mGⅠ)ですが、この年から外国馬の参加が解禁となり、国際レースとなりました。シンコウラブリイの人気は同世代のライバル・ニシノフラワー、前走敗れたヤマニンゼファーに次ぐ3番人気に甘んじます。
レースは淀みない展開からヤマニンゼファーが抜け出しそのまま府中の長い直線を駆け抜け見事に優勝。
シンコウラブリイはイクノディクタスにかわされ3着に終わりました。
安田記念|1993年05月16日 | 競馬データベース - netkeiba.com
春競馬を2着、3着に終わったシンコウラブリイですが、激戦の疲れは重く、次走の札幌日経オープン(札幌競馬場 芝1800m)でもなんとか勝利はしましたが、そのまま休養に入りました。
充実の5歳・秋~そして引退へ
5歳の秋を迎え、精神的にもたくましく成長したシンコウラブリイは、この秋の最大の目標レースを前年苦杯をなめたマイルチャンピオンシップに定め、初戦の毎日王冠(東京競馬場 芝1800mGⅡ)へ出走しました。
結果はセキテイリュウオー、ナイスネイチャらを抑え見事に勝利。
続くスワンステークス(京都競馬場 芝1400mGⅡ)でも、迫るステージヒーローを封じて勝利し、自身初のGⅠ制覇に向け弾みをつけました。
マイルチャンピオンシップでGⅠ初制覇
マイルチャンピオンS|1993年11月21日 | 競馬データベース - netkeiba.com
そして迎えたマイルチャンピオンシップ。前年の悔しさを晴らすとともに、この一年で大きく成長した自身の力を最大限に発揮し集大成とするべく挑んだレースでした。
レース当日は激しい豪雨となり、馬場は最悪のコンディションの不良馬場。
このレースでも堂々の1番人気に押されたシンコウラブリイは、泥濘などまったく苦にもせず、持てる力を全て発揮して見事にGⅠを制覇。自らの有終の美を優勝で締めくくりました。
シンコウラブリイ物語|名馬物語 | トレンド競馬
競走馬 引退後
最高の形で競走馬生活を終えたシンコウラブリイでしたが、繁殖入りした後は初仔のロードクロノスが重賞制覇(中京記念GⅢ)するなど活躍馬を産駒に残したのち、2011年に繁殖から引退。
シンコーファームで余生を過ごし、その年の12月に蹄葉炎が原因で亡くなりました。
追悼・シンコウラブリイ | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所
マイルCS制したシンコウラブリイ死ぬ - 競馬ニュース : nikkansports.com
追悼・シンコウラブリイ | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所
もし、シンコウラブリイが今の時代に産まれていたなら・・・
桜花賞や秋華賞に出走し牝馬クラシック戦線で大活躍していたかも知れません。
意外やGⅠは1勝のみなのですが、その走りっぷりで強烈なインパクトを残した名馬でした。