「いとしのレイラ」以外に、本作からは1971年に「キープ・オン・グロウイング」とのカップリングで「ベル・ボトム・ブルース」がシングル・カットされています。
In Concert
デュアン・オールマンのプレイに大きな感銘を受けたエリック・クラプトンは、その後、デュアン・オールマンにバンドへの加入を正式に要請したものの断られてしまったとのことです。
1971年になると、デレク・アンド・ザ・ドミノスは2枚目のアルバム制作を開始しますが、そのレコーディング中にエリック・クラプトンとジム・ゴードンが仲たがいしてしまい、製作は中止され、バンドはあっけなく解散してしまいました。
スタジオ・テイクしかないと思われていたデレク・アンド・ザ・ドミノスですが、「いとしのレイラ」発表直前の1970年10月フィルモア・イーストでの貴重なライヴ録音が残っており、1973年に発売されています。
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最後にデレク・アンド・ザ・ドミノス解散後のメンバーに関して触れておきましょう。
その後、ソロになってからも大活躍のエリック・クラプトンですが、解散直後はドラッグに溺れ暫く音楽活動から遠ざかってしまいかなり大変な思いをしています。バンド仲間の死や不倫だので疲れ切ったのでしょう。
もっとも疲れ切ったのはエリック・クラプトンだけではなく、ベースのカール・レイドルは1980年にアルコールとドラッグ中毒により37歳の若さで亡くなっていますし、ドラムスのジム・ゴードンに至ってはドラッグ中毒の上に統合失調症となり、1983年には母親を殺害するという事件を起こしてしまい殺人罪で現在も収監されています。
ボーカルとキーボードを担当したボビー・ウィットロックは、大きなヒットこそありませんがソロとしてのキャリアを重ねており、2000年にはエリック・クラプトンと共演しデレク&ザ・ドミノスのBell Bottom Blues などを演っています。