ソロ活動
この頃から財津はソロ活動を開始します。
自身でも歌を歌いながらほかの歌手に楽曲を提供し、歌のみならず、エッセイ集の出版やテレビ、映画への出演と幅広く活躍していきます。
自身のヒット曲
1979年12月に発売された「Wake Up」は、ソロとしての最大のヒット曲になりました。
松田聖子
財津が一番多くの楽曲を提供したのが「松田聖子」。
1980年4月にデビューした松田聖子は、順調にアイドルの階段を登っていました。
そこへ現れたのが財津作曲の「チェリーブラッサム」。
1981年1月に発売されるや大ヒット。
そして、「夏の扉」「白いパラソル」と続けて提供した曲も大ヒット。
松田聖子のトップアイドルの地位を、不動のものにしたのでした。
集大成的ヒット曲
1990年6月発売の沢田知可子の「会いたい」。
彼の神髄であるバラード調の曲は、沢ちひろの詩とベストマッチし大ヒット。
1991年の有線大賞グランプリを獲得し、いまだに歌い継がれる名曲です。
チューリップ時代の数度にわたるメンバー交代等々、紆余曲折ありながらもミュージシャンとしての道を歩んできた財津和夫。
数々の名曲を世に送り出し、人々を感動の世界にいざなってきました。
そんな財津ももうすぐ69歳。
でも、まだまだ現役でがんばっていただきたいですね。
