【土佐のドカベン】中田亮二
「土佐のドカベン」と言われた、高知の名門・明徳義塾の主軸を担った中田亮二選手。(ただ、明徳の馬淵監督が命名した「ブーちゃん」という方が一般的)
2年生夏の第86回全国高等学校野球選手権大会で横浜高校の涌井秀章(後西武、ロッテ)から本塁打を含む3安打を放ち(この時の森田選手の打順は6番。背番号は12)、一気に注目を浴びる存在となります(試合は5-4で横浜高校の勝利)。森田選手が3年生の時の夏は高知大会で優勝を果たすのですが、他部員の不祥事により出場辞退を余儀なくされます。
亜細亜大学を経て、2009年のドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受けて入団した中田選手。入団一年目のシーズン途中から一軍入りを勝ち取るのですが、怪我に見舞われたことも関係して期待された結果は残せず、2014年に戦力外通告を受けて引退。
中田亮二選手(中日時代)
その後、中田選手は社会人野球のJR東海でプレーしています。