1980年の大ヒット曲『恋人よ』五輪真弓
奥深い歌声で歌い出しの「枯葉散る夕暮れは」のワンフレーズで聴衆の心を握りしめる。
深い嘆きと悲しみが溢れ出るメロディーに乗せた歌詞は胸に残って離れない。
そんな名曲中の名曲、五輪真弓の『恋人よ』。

『恋人よ』五輪真弓
後世に語り継がれる名曲『恋人よ』はなぜ、どのようにして生まれたのか?
日本的な歌謡曲への回帰から生まれた『恋人よ』
五輪真弓(いつわまゆみ)は、1972年にアルバム『少女』でデビュー。
当時としては珍しい海外(LA)録音で、キャロル・キングもレコーディングに参加したことから"和製キャロル・キング"と称され、女性シンガー・ソングライターとして松任谷由実や中島みゆき、吉田美奈子に先駆ける存在になった。
圧倒的な歌唱力は海外でも高く評価され、フランスからアルバム制作の申し出があり、全フランス語による『MAYUMI』が1977年に発売された。
海外で活動することで、日本的な歌謡曲へ転向。
1970年代半ばぐらいまでは、海外テイストの楽曲が多かった五輪真弓。
フランスで活動中に『母国の音楽にこそオリジナリティがある』と気付かされ、生まれ育った日本の情緒をもっと音楽に取り入れたいと考えるようになっていった。
1978年、そうして生まれた歌謡曲テイストの「さよならだけは言わないで」がヒット。
フジテレビ『夜のヒットスタジオ』やTBSテレビ『ザ・ベストテン』など多くの歌番組に出演した。
『恋人よ』のテーマ”究極の別れ”と、悲しい実体験。
国内外で実力を高く評価され、ヒット曲も出した。
実力派シンガーソングライターとしての地位を確立した五輪真弓が次に構想したのは”究極の別れ”を歌にすることだった。
そんな矢先、五輪のデビュー時からプロデューサーとして深く関わっていた木田高介が突然の交通事故で亡くなってしまう。
木田はデビューアルバムで渡仏した不安な五輪を常にサポートし、その後も家族ぐるみで可愛がってくれた兄のような存在であったという。

木田高介(きだ たかすけ)
五輪は昔から、人やペットと別れるのが何よりも辛く感じ、その思いを歌の形で吐き出すことで自身の心を明るく保っていたという。
初めて経験する親しい人との永遠の別れで感じた、『昨日までいた人が突然いなくなってしまう』という現実。
そして、木田の葬儀に参列した五輪真弓は、「愛する人を失った」木田の妻の悲嘆ぶりを目の当たりにする。
感情や印象がどんどん溢れ出て、葬儀からの帰り道で『恋人よ』の歌詞は既に浮かんでいた。
「冗談だよと笑ってほしい」という有名なフレーズもこの時、心の底から出てきた想いだったという。
『恋人よ』のメロディーに感じる独特な暗さと重さ。
全てを無くしたかのような絶望的な悲哀が込められた歌詞。
それは、親しい人との「今生の別れ」という”究極の別れ”が生み出したものだった。
五輪真弓/歌詞:恋人よ/うたまっぷ歌詞無料検索
【動画】五輪真弓の歌う『恋人よ』
深みのある美しいビブラートが特徴的。
大袈裟な情感は込めていないのに、ズシン!と胸に響いてくる圧倒的な迫力。
また、「愛する人との別れ」を恨み憎しむような強い目力も印象的であった。
五輪は「この曲を歌うときは手が抜けない。イントロが始まると背筋がピンと伸びる。」と語っている。
『恋人よ』はミリオンセラーを記録、自身最大のヒット曲に。
現実に起きた悲劇を基に作った『恋人よ』だが、当初はB面(カップリング)用の曲として考えていた。
しかし、歌入れの後にその出来の素晴らしさからA面として発売されることになったという。
この判断が大きく当たり「恋人よ」は大ヒット。
オリコン1位を獲得し、第22回日本レコード大賞金賞を受賞。
『第31回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。
累計売上はミリオンセラーを記録している。
五輪真弓自身も「この一曲を歌いきることで、他に何も歌わずとも満足するくらいに完成された歌と感じて、多くの人が共感するだろうと確信していた」とその手応えを語っている。
【聴き比べ】多くの歌手にカバーされている『恋人よ』
五輪真弓が自身で作詞・作曲を行い歌った『恋人よ』は、一般人のみならず数多くのアーティストから称賛され、カバーもされている。
シンプルなスローバラードならではの難しさからか、本家・五輪真弓と比較されるのを恐れてか、カバーしている歌手は歌唱力に定評がある人ばかりである。
聴きごたえのあるカバーばかりなので是非、五輪真弓の『恋人よ』と聴き比べて欲しい。
「歌謡界の女王」美空ひばり、「ブルースの女王」淡谷のり子、「演歌の女王」八代亜紀。
各分野の女王3人を始め、歌唱力と表現力、そして個性を併せ持つ歌手たちによるカバーは「ただのカラオケ」と称されがちな昨今のカバーブームとは全く違う輝きを放っている。
また、『恋人よ』は東南アジアを中心に多くの国で現在も根強い人気を博しており、ベトナム・香港・韓国・ロシアでそれぞれカバーされている。
現在の輝きを放っている五輪真弓の歌声
1980年代後半からは結婚・出産・育児のため活動をセーブし、表立った活動を控えていた五輪真弓だが、2000年代に入ってからは徐々にその活動を再び活発化させている。
年齢とともにだんだん声が低くなっていると本人は語っているが、より深い迫力を感じるその歌声はいまも多くの人を感動させている。
五輪真弓 official Site