本田美奈子/歌詞:1986年のマリリン/うたまっぷ歌詞無料検索
曲はデビューシングル以来ずっと本田美奈子の曲を手掛けてきた筒美京平。
筒美は、秋元が書いた歌詞に一目惚れし、本田美奈子自身からの少しセクシーなアレンジにして欲しいという要望にも応じて、メロディを作っていった。
そして、本田美奈子はマリリン・モンローやマドンナなど外国のスターを研究し、ヘソを出したステージ衣装、そして腰を振って踊る振付けを自身で考え出した。
衣装と振付けについては、当時マリリン・モンローの再来と称され、強くてセクシーで格好良い女性の代名詞と言われたマドンナを強くインスパイアしたものだと思われる。
当時のマドンナ
渾身の作品『1986年のマリリン』は、オリコン最高位3位、約25万枚の売上を記録
こうして、1986年2月5日。
アイドルがヘソを出して、腰を振って歌を歌う常識外れの楽曲『1986年のマリリン』は本田美奈子の5枚目のシングルとしてリリースされた。
本田美奈子『1986年のマリリン』ジャケット写真
愛らしいルックスの19歳の女の子がヘソを出したミニスカ姿で腰をくねらせて熱唱する姿は鮮烈な印象を残し、歌番組へ引っ張りだこに。
あっという間に『1986年のマリリン』は売り上げを伸ばしていき、ザ・ベストテンでは2位を記録。
オリコンでも最高位3位と念願だったTOP5を両方で達成した。
約25万枚の売上を記録し、本田美奈子にとって最大のヒット曲となった。
【貴重動画】本田美奈子『1986年のマリリン』
奇抜な衣装と独特な歌詞にばかり印象が偏りがちだが、この『1986年のマリリン』においても本田美奈子の歌唱力は十分に発揮されている。
当時、歌番組で共演することも多かったアルフィーの高見沢俊彦は、「(本田美奈子が)他のアイドルと圧倒的に違っていたのは歌唱力。「マリリン~」のサビの部分に上のパートが付いているがこれを吹き込んでいるのも本人の声。通常はコーラスの人が付けるのに本人が自ら付けるというのは歌唱力が無いとできないことだ」と称賛している。
『1986年のマリリン』でポジションを確立。歌へのさらなる情熱を燃やした本田美奈子。
本田美奈子は、この『1986年のマリリン』のヒットによって、他のアイドルとは違うポジションを確立。
より洋楽やロックへの興味を高めていき、その影響を貪欲に取り入れていった。
アイドル時代の彼女しか知らない人にとって『1986年のマリリン』は本田美奈子の代名詞かもしれない。
だが、彼女にとって『1986年のマリリン』は「アイドルとはこういうもの」というイメージから脱皮を果たし、歌手として羽ばたくための重要な通過点だったのではないか。
そのアイドル離れした歌唱力は中森明菜に匹敵するとまで言われ、ロックバンドやミュージカル、クラシカル・クロスオーバーなど様々な音楽ジャンルに挑戦を続けた本田美奈子。
「私は歌と結婚したから今生では結婚できないの」、「40代になったらジャズを歌いたい」などと語った彼女は38歳の若さで亡くなってしまい、どれだけ無念であったか…
彼女が終着点としてどんなジャンルでどこまで辿り着くはずだったのか、それはもう誰にも分らない。
しかし、彼女が自身の分岐点として30年前に残した『1986年のマリリン』は当時の愛らしい笑顔と共に多くの人々が記憶し続けるだろう。