はじめに
フジテレビの人気バラエティー番組「めちゃ2イケてるッ!」で話題になった、元メンバー・三中元克さんのプロレス挑戦企画。そこで、厳しくも優しく三中さんを見守っていた、みちのくプロレスの社長兼レスラーの姿を覚えている方も多いのではないでしょうか。
その人の名は、新崎人生。実はこの人、日本プロレス界に名を刻む偉大なプロレスラーなんです。

三中元克さんを囲むみちのくプロレスの面々
プロレス入門以前
まず、新崎人生選手のプロフィールを紐解いてみましょう。

高校でレスリングをしていたとなれば、ここからすぐにプロレス入りしたと予想するのが自然と思われますが……。
最初の師匠はあの有名人!
高校を卒業した新崎青年は、何と、俳優を志して上京するのです。
ジャパン・アクション・クラブを経て、ある大物俳優の付き人になりました。
その大物俳優とは、菅原文太さん。

新崎青年は文太さんを「オヤジ」と呼び、役者の世界を離れてからも慕い続けました。
後に、文太さんは、人生選手の後援会長を務めています。
プロレスの世界へ
最初は「役者の仕事に役立つかも」という気持ちでプロレスの門を叩いた新崎青年ですが、やがてプロレスラーになりたいという思いが大きくなります。
そして、ついにユニバーサル・プロレスに入門。1992年11月19日にデビューを飾ります。
が、デビュー当時の彼は、まだ「新崎人生」ではありませんでした。
しかし「モンゴリアン勇牙」時代は長くは続かず、ユニバーサル・プロレスの分裂に伴い、彼も新しく立ち上がった「みちのくプロレス」へ移籍します。
そこで、新たなキャラクターとして誕生したのが「新崎人生」でした。
「お遍路レスラー」の誕生
「お遍路さん」とは、四国八十八か所を巡礼する修行者のことで、いわゆるお坊さんとは少し異なります。四国・徳島生まれの彼にとって、お遍路さんはたいへん身近な存在だったといいます。
こうして、プロレスラーとしては異色すぎる「お遍路さん」というスタイルが生まれたのです。
名付け親は俳優時代の先輩
「新崎人生」の「新崎」は彼の本名によるものですが、「人生」はある人物に命名されたものです。それは、俳優時代の先輩、宇梶剛士さんでした。

ルードからリンピオへ
新崎人生」になってからしばらくは、ルード(悪役)としての活動が続きました。ついたあだ名は「極悪坊主(お坊さんじゃないのに…)」。その評価を一変させたのが、みちのくプロレスのエース、ザ・グレート・サスケとの一騎打ちでした。
激闘録〜個人編 – 新崎人生公式サイト『同行記』
その特異なキャラクターと確かなレスリングテクニックから繰り出される技の数々は、やがて海外のプロモーターの目に留まるのです。
異例の抜擢でメジャーリーガーに
人生選手を抜擢したのは、アメリカを拠点に世界中にファンを持つ、WWF(現・WWE)。
わずかデビュー数年、しかもインディー団体のレスラーが、アメリカの超メジャー団体と契約を結ぶというのは、当時では考えられない出来事でした。試しに野球で例えてみると「地方の独立リーグに所属する若手選手が、メジャーリーグの人気球団とメジャー契約を結ぶ」くらいの大事件です。
海を渡った彼は、新たなキャラクターに変身します。
白使(ハクシー)世界を翔ける

この「白使」の代表的な試合として記憶に残るのは、怪奇派レスラーの第一人者であり、「白使」のキャラクターの原点ともいわれる「ジ・アンダーテイカー」戦と、武藤啓司選手の化身「ザ・グレート・ムタ」戦ではないでしょうか。特に、ザ・グレート・ムタ戦では、白使の持参した卒塔婆に、大流血した白使の血を使ってムタが「死」の文字を書くという、今ではとてもテレビ放映できないような場面が繰り広げられたことでも有名です。(後に、武藤選手とはユニット「BATT」で共闘し、「白使&黒使無双」のタッグで数々の名勝負を生み出しました)
2年間の海外生活を経て、彼は再びみちのくプロレスで「新崎人生」としての闘いを再開させます。
天竺巡礼
重ねて申し上げるとおり、新崎人生は「お遍路さん」、つまり巡礼者です。その彼が、プロレスという長い巡礼の旅でひとつの到達点と定めたのが、日本のプロレス界の雄、全日本プロレスでした。
その後、人生選手はインディー団体・FMWのエースだったハヤブサ選手とタッグを組み、1999年2月、第65代アジアタッグ選手権王座を獲得しています。
人生選手の盟友・ハヤブサ選手は、2001年、試合中に頸椎損傷の重症を負います。リング復帰を目指して長年のリハビリを続けていましたが、2016年3月3日、くも膜下出血のため彼岸へ旅立たれました。
ハヤブサ選手追悼 1998.5.1 ハヤブサ(FMW)、G馬場、志賀vs人生(みちのく)、泉田、キマラ in全日本プロレス東京ドーム大会(♪王者の魂) - YouTube
独特の技、独特のキャラクター
人生選手を語る上で避けて通れないのが、その技のオリジナリティです。技の名前には、仏教にまつわる言葉が多用されています。
必殺技編 – 新崎人生公式サイト『同行記』

拝み渡りを決める人生選手
新崎人生 - Wikipedia
また、90年代の人生選手は、リング上でも、リングを降りても、一言も喋らないことで有名でした。時には、こんな出来事もあったそうです。
「人生社長」
2003年6月、人生選手はみちのくプロレスの社長に就任。若手選手の登用など、経営改革に辣腕を振るうことになります。(現在はコミッショナー職、みちのくエンタテイメント社長職を務める)
また、2006年に旗揚げした女子プロレス団体「センダイガールズプロレスリング」には旗揚げ当初から関わり、2011年まで代表を務めました。今でも、コミッショナーとして会場に顔を出すことがあるそうです。

人生選手とセンダイガールズプロレスリングのエース、里村明衣子選手
震災乗り越え里村新体制で再始動/仙女 - プロレスニュース : nikkansports.com
徳島ラーメンを東北に
現役プロレスラーとして、またプロレス団体のトップとして活躍する一方、人生選手は新たな挑戦を始めます。
それは「徳島ラーメン 人生」の開業。
生まれ故郷である徳島の思い出の味が、徳島ラーメンだったといいます。
新崎人生より | 徳島ラーメン人生

現在、「徳島ラーメン 人生」は、宮城県内に3店舗展開しています。
徳島ラーメン人生
おわりに
2016年2月27日、フジテレビ『めちゃ2イケてるッ!真冬に汗をかきまくれ 国民投票だよ全員集合 全力の生スペシャル』で、人生選手が、三中元克さんに向かって発した言葉があります。
俳優修業の後、小さなインディー団体でレスラーとしてのキャリアをスタートさせ、海の向こうにも渡り、やがてトップレスラーに上り詰めた経験に裏打ちされた、重みのある言葉だったと思います。
今年の12月で50歳を迎える新崎人生選手。昔と変わらぬ鍛え抜かれた肉体と美しい所作、華麗な技の数々を見に、プロレス会場に足を運んでみてはいかがでしょうか。