楢山節考とは?
1983年カンヌ国際映画祭にてパルム・ドール受賞作品!


1954年地獄門(衣笠貞之助監督)1980年影武者(黒澤明監督)に続きこの作品で今村昌平監督が受賞した。
誰も期待していなかった作品がまさかの受賞!

楢山節考 (1983年の映画) - Wikipedia
楢山節考「村の掟」
①「結婚し、子孫を残せるのは長男だけである」
・長男以外の男子は「ただの食い扶持」と邪険にされ、最初から一家の働き手として育てられる。次男以降は奴(ヤッコ)と呼ばれる。長男には逆らえない。結婚もできないゆえ、童貞が多い。

②「他家から食料を盗むのは重罪である」
・他家から食べ物を盗むのは1番の重罪にあたり、「楢山様に謝らせる」という処罰を受ける。「楢山様に謝らせる」とは、盗人の家に村中の人間で押し入り、他に食料がないか調べ、出てきた食料(盗んでない物でも)を山分けにされる。

③「70歳を迎えた老人は【楢山参り】に出なければならない」。
・苦しい食糧事情の為の口減らし。高齢の年寄り(男女関係なく)をその家の長男などが背負子(しょいこ)を一人で担いで連れて行き楢山に置いてくる。

主なキャスト
辰平役 緒形拳

おりん役 坂本スミ子

利助役 左とん平

玉やん役 あき竹城

松やん役 高田順子

ストーリー
おりんは69歳。元気に働いてはいたが、今年楢山参りを迎えようとしていた。「楢山参り」とは70歳を迎えた冬に皆、楢山へ行くのが貧しい村の食糧事情を支える掟(食い扶持を1人減らす)であり、山の神を敬う村人達の最高の信心だった。
【山へ行く=死】を意味している。おりんの夫も自身の母親の楢山参りの年、精神的重圧からか?失踪していた。おりんの長男、辰平に後添(辰平は前妻を事故で亡くしている)がくることが決まり、おりんはこれで安心して楢山へ行けると喜ぶ。


楢山祭りの日に向う村から玉やんが辰平の所に嫁に来た。おりんは玉やんを気に入る。
夜、犬のシロに夜這いをかけていた利助は、「自分が死んだら村の奴(ヤッコ)達を一晩ずつ娘のおえいの花婿にさせる」という新屋敷の主の遺言を聞き胸踊らせる。

同じ頃辰平の家では、けさ吉の嫁として、腹の大きくなった「村1番ふしだらな女」松やんも含めた7人世帯になっていた。そんなある夜、おりんは芋を持って出て行く松やんを見てしまう。松やんの実家は、貧しい村の中でも1番と言っていいほどの貧乏所帯だった。
これに怒った辰平は、戻って来た松やんを崖から落そうとしたが腹の子を思いやめる。
数日後、闇夜に「楢山様に謝るぞ!」の声が響く。松やんの父が、他家に豆かすを盗みに入って捕まったのだ。食料を盗むことは許されない村の重罪だった。二代続いて楢山へ謝った松やん一家は、代々泥棒の血統と見なされ、翌日の夜、男達に縄で縛られ松やんを含め全員生き埋めにされた。


新屋敷の主が死に、おえいは遺言を実行していた(毎晩入れ替わり奴達が旦那になり一夜を共にする)が、利助だけは抜かした。自分だけ抜かされている事実に怒り狂う利助を見かねて、おりんは親しい婆さんに身替りを頼む。これで何も案ずることなく楢山参りに向かうことができるとホッとするおりん。

秋も深くなり、おりんは「明日山へ行く」と告げ、その夜に山へ行く為の儀式が行われた。とうとう夜が更け、嫌がる辰平を責め立て、おりんは楢山参りのため辰平の背負いかごに乗り揺られていった。


ラストシーン
楢山節考エピソード
坂本スミ子、老婆に見せる為に歯を削る!

楢山節考 (1983年の映画) - Wikipedia
カンヌ女優誕生!しかし天国から地獄・・・

第36回カンヌ国際映画祭に日下部プロデューサーと共に出席し、カンヌ女優となり帰国した際、空港には大勢の報道陣が。カンヌでの吉報や作品についての取材ではなく、カンヌ入りしていた際に発覚した大麻を友人に譲渡したという疑惑についての取材だった。
撮影中、本物のうじ虫を食べる左とん平!

オススメ!
ラストシーンの、辰平が置き去りにしたおりんの所に戻り、「雪が降ってきてよかったな(雪だと、寒くて凍死して、苦しまないで死ねるだろう)!」ただ、ただ涙です!