内角打ちの名人① 落合博満
内角打ちの名人として真っ先に挙がるのはやはりこの人、落合博満。
天才的な内角打ちと、芸術的な外角打ちを兼ね備え、3度の三冠王に輝いた。

落合博満(おちあい ひろみつ)
落合の打法はプロ入り間もない頃に受けた松沼博久の徹底したインハイ(内角高め)攻めに対応するため、改良を重ねて編み出されたものであると言われている。
松沼は「落合とは初対戦から6打席連続三振を奪っているんです。その頃はインハイが弱く、楽なバッターだと思っていました。ところが僕のインハイのストレートが打てないと分かると、それを今度は徹底して狙ってきた。やがてベース寄りに立つようになってインコースの厳しいボールを投げ難い構え(神主打法)を編み出し、インハイを完璧にカットする技術を身に付けていた。」と語っている。
これには一軍に定着した頃に江夏豊から「ピッチャーは特定の球種を待たれるのが一番嫌なんだ、お前みたいにコロコロ狙い球を変えていたら一生俺からは打てない」と言われたことが関係しており、以降は狙い球を絞り、インハイの力のある球に振り後れないよう打席ではインハイを待っていたという。
落合本人はインタビューにおいて、「俺の弱点はアウトローだった。俺ほど外の球を打つのが下手なのはいない」と語っている。
実際に落合が得意としていたのはインコースをセンターから右に打つことだった。
そのため、ライト方向へ多く飛ぶので「アウトコースは危ない。勝負するならインコース」と落合対策を練る他球団が増え、得意なコースばかり球がきて苦手なコースにはあまり投げ込んでこず、落合本人はそのことをほくそ笑んでいたという。
内角打ちの名人② 若松勉
小柄な体格ながら巧みなバッティングで数々の記録を打ち立て「小さな大打者」の異名を持つミスタースワローズ・若松勉。
通算打率が日本人歴代1位のヒット職人は、内角打ちの名人でもあった。

若松勉(わかまつ つとむ)

若松勉の内角打ち
上体を投手方向に寄せるようなバッティングフォームでヒットを量産した。
規定打席に到達した14シーズン中、12回の打率3割を記録。
三振も非常に少なく、シーズン最多は1973年の43三振である。
野村克也は、「軸をブラして打てるのは、若松かイチローくらい」と語り、若松の打撃センスを賞賛している。
若松による内角打ちのポイントは、『右肘の絞り』にあるという。
「右肘の脇が甘いと、逆方向にしか飛んでいかないし、飛球のアウトが多くなる。
私の内角打ちの感覚は“絞りレベル”。絞りあげる感覚ではなく、肘を絞って、レベルでスイングする感覚である。内角球に左手を使うと、引っかけてしまう。右肘の絞りができれば、右中間に鋭いライナーが飛ぶ。」と明かしている。
内角打ちが上手いと言われた稲葉篤紀や真中満はヤクルト時代に若松から内角打ちを教えてもらったと語っている。
内角打ちの名人③ 掛布雅之
体格的に決して恵まれていなかったが猛練習による肉体改造と打法の改良で長距離打者として開花、パワフルな打撃とホットな三塁守備でファンを沸かせ「ミスタータイガース」と呼ばれた掛布雅之。

掛布雅之(かけふ まさゆき)
打撃の特徴としては、レフトスタンドへ本塁打を量産する独特の芸術的な流し打ちが有名である。
江川卓は著書『江川流マウンドの心理学』(廣済堂出版、2003年)で「掛布の弱点はインコース高め」と指摘し、掛布自身も対談で「インコースは弱い」と認めている。
しかし、「4番打者の強さ」を相手投手に見せつけるため、内角に投げられたボールをライトスタンドへの強烈な本塁打にすることを意識したと語っており、実際に多くの内角球もスタンドに運んでいる。

掛布雅之の内角打ち
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内角打ちの名人④ 石嶺和彦
抜群の勝負強さと強打のクラッチヒッター。
ブーマー、門田と共にブルーサンダー打線の中心となり、後に阪神でも活躍した石嶺和彦。

石嶺和彦(いしみね かずひこ)
体をうまく回転させて強打する内角打ちについて評価が高かったが、特に意識して練習したわけではなく自然に身についた石嶺は語っている。
インコースの球は体の前方で打て、という一般論についてはファウルになりやすいとして否定的で、むしろグリップエンドがヘッドより前にある位置まで引きつけて捕らえ、そこから体を回転させる感覚で打つのが良いと語っている。
自身は真ん中からやや内角寄りのコースが好きで、また内角なら多少ボール気味でもレフト線に打球を飛ばせるという感覚があり、内角へのシュートを遠慮しながら投げてくる投手は特に得意だったという。
落合博満は「俺と同じ打撃が出来るのは石嶺和彦だけ」と石嶺の内角打ちを高く評価しており、落合は中日の監督に就任すると同時に石嶺を中日の打撃コーチに迎え、石嶺は落合が監督在任した8年間、一貫して打撃コーチとしてチームを支えた。
また、工藤公康もインタビューで「厳しい内角を上手くさばいてヒットにするのは落合さんか、好調の時の石嶺さんだけ」と評している。

石嶺和彦の打撃フォーム
内角打ちの名人⑤ 前田智徳
落合・イチローを始め、球界を代表する打撃の名手が口を揃えて「天才」だと称する男、前田智徳。
ヒットや本塁打を打っても納得のいかない打球には首を傾げるなど、ストイックに野球に取り組む姿から「侍」とも称された。

前田智徳(まえだ とものり)
内角打ちの名人⑥ 古田敦也
ヤクルトスワローズ一筋で現役を過ごし、キャッチャーとして史上2人目の2000本安打を達成したほか、リード・強肩・好守でも高い評価を受けるなど、球史に残る名捕手・古田敦也。

古田敦也(ふるた あつや)

古田敦也の内角打ち
内角打ちのレジェンド、山内一弘。
内角打ちを得意とし、「シュート打ちの名人」と呼ばれた山内一弘。
3度のオールスターMVPを獲得し「初代お祭り男」等の異名をとった大打者であった。
特に内角球に対してヒジを折りたたんで振り出す独特の打法は、神様・仏様・稲尾様と呼ばれた稲尾和久をして「職人」と言わしめたほどだった。

山内一弘(やまうち かずひろ)
野村克也は現役時代には、捕手守備時のマスク越しやオールスター戦のネクストバッターズサークルにいる時などに、山内の打席を穴があくほど観察し、そのフォームや内角捌きを参考・手本にして、自身の三冠王の獲得にも繋がったと語っている。
後に指導者として、落合・掛布など多くのバッターに技術指導を行った。
指導者としての山内一弘
教え出したら徹底的に指導することから『かっぱえびせん』の異名をとった。
※カルビーの同名商品のCMキャッチフレーズ「やめられない、止まらない」から
気が付けば、唾を飛ばして試合前の相手チームの選手にまで指導してしまう熱の入れようだった。
掛布雅之、水谷実雄、高橋慶彦、田淵幸一、真弓明信、原辰徳といった選手達を指導し、その打撃理論で数々の名打者を育てた。
阪神の助っ人選手として活躍したハル・ブリーデンやマイク・ラインバックなどには、「阪神が弱くなったのは山内コーチを辞めさせたせいだ」とまで絶賛されている。
巨人コーチ時代には報知新聞の付録のプロ野球名鑑のプロフィールの「趣味」欄に「コーチ」と書かれていた。
山内一弘と落合博満
ロッテ監督時代、新人だった落合博満の打撃指導をしていたが、「指導は結構です、ほっといてください」と言われる。
落合本人は、後に「当時は山内監督の高度な打撃理論が理解できなかった」と語っており、山内の人柄・打撃理論、また指導してくれたことなどに関して、自著で感謝の意を述べている。
落合は山内から伝授された正面打ち(カーブマシンを自分の真正面に置き、自分に向かって飛んでくる球を左に打ち返すというもので、左脇を締めて壁を作る練習など)を現役晩年まで実践していた。
山内一弘と掛布雅之
山内は掛布に対しても徹底指導を行った。
夕食後の練習として、山内は夜8時頃になると2本のゴルフクラブを持って現れたという。
山内一弘が語った打撃理論と練習法
卓越した打撃理論と、徹底した指導で多くの名打者を育てた山内一弘。
世代が異なり現役時代の活躍を見ることはできなかったが、その内角打ちの極意は落合を初め多くのバッターに引き継がれ私たちを感動させてくれた。
まさにレジェンドである。