32bitゲーム機の先駆けとなった「3DO REAL」

パナソニックから登場した「3DO REAL」
TVCMでもアインシュタインをイメージキャラクターとした「3DO REAL」のプロモーションが盛んに行われました。
元々、アメリカの3DO社が1993年に開発・発表した32bitマルチメディア端末の統一規格「3DO」
3DO - Wikipedia
統一規格「3DO」、そして日本では松下電器産業や三洋電機などが参画。
どことなく「MSX」の匂いが漂っていました。。。
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3DO社の方針は「情報家電」「インタラクティブ・マルチプレイヤー」
当時流行ったこの「情報家電」「インタラクティブ」「マルチ」は結局のところ何ができるのかが全く不明で、訴求力を曖昧にするだけのものでした。
80年代から熾烈な戦いを繰り広げてきた日本の家庭用ゲーム機戦線で戦うには弱すぎた
3DOのビジネスモデルから原価以上に販売価格を設定せざるを得ず、他のゲーム機と比べて高価だった「3DO REAL」。
またゲームショップなどをメインに販売された競合ゲーム機に対し、3DO REALは松下が持つ家電としての販路を利用して主に販売。松下電器は地域専門店、いわゆる「ナショナルショップ」での販売も行ったので、店側が儲かる施策が必要で、競合機のような積極的な値引き販売が出来ませんでした。
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当初のラインナップは「洋ゲー」が中心
同年の11月には「セガサターン」(SS)、12月には「プレイステーション」(PS)という競合機が一気に展開
対抗策として、11月にはカプコンからそれまで国内のコンシューマソフトとしては発売されていなかった業務用ヒットタイトル「スーパーストリートファイターII X」が発売。
このタイミングでゲーム機としての本来のラインナップへと転換を図り、高額だった本体も設計見直しによる改良機「3DO REAL II」を廉価(44800円)で販売するなど普及戦略を仕掛けました。
が、時すでに遅し。
それ以上のヒット作が不在で、洋ゲーと国内中小のサードパーティーが開発した版権キャラクターもののタイトルで占めていた3DOはあっけなく敗北します。
そんな中、1995年4月発売の『Dの食卓』は3DO REALを代表するヒット作となりました。
そんな中、3DOでは実写のアダルトゲームの発売が許可
海外タイトルではポルノ女優の静止画や動画を再生するもの、国産では脱衣麻雀ものや野球拳による脱衣ゲーム類、美少女ゲームが発売されました。
再生対応としていたビデオCDはLDと比べ画質が劣ることもあり、日本では専らアダルトビデオ系統の正規タイトルが多かったため、ナイステックのROBOが発売されラブホテルのサービス機器として実用化されたのです。