1969年に販売された「スバル R-2」はちょっと可愛そうな車なの。偉大な先輩「スバル360」は国民車として本当に日本全国で活躍していたわ。その後を継いだのが「スバルR-2」よ。
スバル R-2 水冷
あたし実は「R2」が大好きなのよ。前期のあの可愛いフロント部分と後ろから見た背中部分がたまらなかったわ。
スバル R-2 空冷 (初代)
イタリアの国民車といわれる「フィアット500」を彷彿する部分と「スバル360」を世襲した部分を兼ね備えた「R2」は「ハードミニ」と言うキャッチコピーで登場したわ。
フィアット 500
スバル 360
販売当初はトランクスペースを増設したり、エンジンにもこだわりをもった部分もあり好調な出だしだったの。でも、この時代は軽自動車の戦国時代でもあったの。トヨタと日産、いすゞ、マツダ以外は売れ筋の軽自動車たちだらけだったわ。ホンダは「NⅢ360」三菱は「ミニカ70」ダイハツは「フェローMAX」スズキは「フロンテ」と協力なライバルとの商戦だったの。
ホンダ NⅢ360
三菱 ミニカ70
ダイハツ フェローMAX
スズキ フロンテ
「R2」は苦戦したわ。70年には「ライトバン」「SS」「スポーティーデラックス」「GL」を投入。71年にはついに掟破りの「水冷」を販売開始。正直びっくりしたわ。
スバルR-2 ライトバン
そして、マイナーチェンジのゼブラマスクよ。わたしのイメージのR2は何処へ行ったの?空冷ももちろんゼブラマスクになったんだけど水冷のフロントまわりには本当にぶっ飛んだわ。思いきった決断だったんだけど、ライバル達には差をつけられ72年には掟破りの「水冷」をあっさり撤退。「レックス」に移行し、73年にはR2は4年間と言う短い生涯を閉じるの。なんかジェットコースターのような一生よね。
スバル R-2 空冷 (二代目)ゼブラマスク
スバル レックス
時代と戦い、ライバルと戦い抜いたR2は決して「醜いアヒルの子」なんかじゃなかったのよ。そう!戦国武将のような富士重工の侍として戦った1台だったのね。
驚異のリッターカーキャンピングカー! ドミンンゴ アラジン
1996年に販売された「スバル ドミンゴ アラジン」は密かにキャンピングカーブームだった自動車業界に満を持して投入されたの。