まるで未来からやって来た車!早すぎた名車 アルシオーネ
1985年に登場した「アルシオーネ」は本当に群を抜いたデザインだったわ!

スバル アルシオーネ
デザイナーは、日本人の「碇窮一」氏よ!次作後継車の「アルシオーネSVX」が「ジウジアーロ」だった事を考えるとなんの遜色もないアルシオーネのデザインは逸材ね。

スバル アルシオーネ SVX
エンジンは1800CCの水平対向4気筒のターボエンジンと2700CCの水平対向6気筒NAエンジンが用意されたの。キャッチコピーは「オトナアヴァンギャルド」。意味が良くわからないけどなんだかかっこいいわ!

アルシオーネCMのワンカット
CMの音楽はアルシオーネの為に作られたと言ってもいい「ハリー・ステントン」の「シカゴ7:05」よ。AOR風の曲調でアルシオーネにぴったりの曲よ!これはあたしが某誌で紹介してるわ。探してみて!

アルシオーネCM曲 ハリー・ステントン シカゴ 7:05
そしてデザインの中で特筆されるのは、スバルの車の中で唯一の「リトラクタブルヘッドライト」なの。

アルシオーネ ヘッドライット
そしてスバル異例の海外先行発売。ハリウッド映画にも使用されたそうよ。一番有名なのは「トム・ハンクス」主演の「Big」ね。たしか、ラストシーンで出てきたような気がしたけど間違ってたらごめんなさいね。

トム・ハンクス主演 ビッグ
話がそれちゃったけど、他にもアルシオーネには優れた所があったわ。空気抵抗係数(CD値)が日本車ではじめての「0.29」と言う数値を叩きだしたの。もちろん当時では最高値よ!「セリカXX」や「サバンナRX-7」の空気抵抗値が「0.34」なのを考えると凄い数値よね。

トヨタ セリカXX

マツダ サバンナ RX-7
内装も未来的だったわ。特に個性的だったのが左右非対称のステアリングと(L字型)まるで未来カーを想像させる「エレクトリック・インストルメントパネル」よ。

アルシオーネ ステアリング&インパネ
そんなアバンギャルドなアルシオーネは「SVX」にモデルチェンジし1991年に販売終了したの。現在でもオーナーさん達は大事に乗ってらっしゃるわ。でもクラシックカーではなく現代にデザインが追い付いて違和感なく思えるのはあたしだけかしら?
「醜いアヒルの子」と揶揄された偉大なスバル360の子孫 「ゼブラマスク」 スバル R-2(水冷)
1969年に販売された「スバル R-2」はちょっと可愛そうな車なの。偉大な先輩「スバル360」は国民車として本当に日本全国で活躍していたわ。その後を継いだのが「スバルR-2」よ。

スバル R-2 水冷
あたし実は「R2」が大好きなのよ。前期のあの可愛いフロント部分と後ろから見た背中部分がたまらなかったわ。

スバル R-2 空冷 (初代)
イタリアの国民車といわれる「フィアット500」を彷彿する部分と「スバル360」を世襲した部分を兼ね備えた「R2」は「ハードミニ」と言うキャッチコピーで登場したわ。

フィアット 500

スバル 360
販売当初はトランクスペースを増設したり、エンジンにもこだわりをもった部分もあり好調な出だしだったの。でも、この時代は軽自動車の戦国時代でもあったの。トヨタと日産、いすゞ、マツダ以外は売れ筋の軽自動車たちだらけだったわ。ホンダは「NⅢ360」三菱は「ミニカ70」ダイハツは「フェローMAX」スズキは「フロンテ」と協力なライバルとの商戦だったの。

ホンダ NⅢ360

三菱 ミニカ70

ダイハツ フェローMAX

スズキ フロンテ
「R2」は苦戦したわ。70年には「ライトバン」「SS」「スポーティーデラックス」「GL」を投入。71年にはついに掟破りの「水冷」を販売開始。正直びっくりしたわ。

スバルR-2 ライトバン
そして、マイナーチェンジのゼブラマスクよ。わたしのイメージのR2は何処へ行ったの?空冷ももちろんゼブラマスクになったんだけど水冷のフロントまわりには本当にぶっ飛んだわ。思いきった決断だったんだけど、ライバル達には差をつけられ72年には掟破りの「水冷」をあっさり撤退。「レックス」に移行し、73年にはR2は4年間と言う短い生涯を閉じるの。なんかジェットコースターのような一生よね。

スバル R-2 空冷 (二代目)ゼブラマスク

スバル レックス
時代と戦い、ライバルと戦い抜いたR2は決して「醜いアヒルの子」なんかじゃなかったのよ。そう!戦国武将のような富士重工の侍として戦った1台だったのね。
驚異のリッターカーキャンピングカー! ドミンンゴ アラジン
1996年に販売された「スバル ドミンゴ アラジン」は密かにキャンピングカーブームだった自動車業界に満を持して投入されたの。

スバル ドミンゴ アラジン
世間では、いすゞの「ロデオ」やマツダの「ボンゴ ブレンディ」が人気だったのかしら?その中でたった1200CCのドミンゴを使ったあたりが独創性の富士重工って事なのね。

いすゞ ロデオ キャンピングカー

マツダ ボンゴ ブレンディ
そもそもドミンゴは1983年に「サンバー トライ」をベースに1000CCを搭載、異色の存在だったの。昔、トヨタの「ミニエースコーチ」と言うのがあったけどそれ以来の7人乗りだったわ。そして、リッタカーでありながらワンボックスと言うコンセプトが国内でドミンゴだけだったのでとても人気があったわ。それには、安価やスペースの多さ、乗員定数等ユーザーが求めるものが詰まっていたのね。

スバル サンバー トライ

トヨタ ミニエース コーチ
1994年に二代目になり1200CCにフルモデルチェンジ、今度は軽自動車の「サンバー ディアス」をベースにしたわ。そして1996年にルーフをポップアップでベットスペースが生まれる「アラジン」が登場したの。このシリーズには確か「アラジンキャンパー」と言う優れものもあったわ。

スバル ドミンゴ アラジン キャンパー
でも、ここで悲劇が起きるの。1998年に軽自動車の企画変更が起きてドミンゴの存在価値が薄れてしまったの。まあ、中にはスズキみたく「ワゴンR」の1000CC版「ワゴンRワイド」なんて車をワザワザ作ったメーカーもあったけどね。そして、同年「ドミンゴ」は15年間のロングセラーの車として販売を終了したの。現在でも中古車市場でたまに見かけるけど人気があるわよね。「富士重工」って本当に1台1台に拘りと楽しさを追求したクルマが多かったわ。その中でも「ドミンゴ アラジン」はエンドユーザーに愛された1台だったのかも知れないわね。