スクリーン切り裂き事件
翌1993年5月、復帰作「大病人」公開初日、日劇東宝で上映中にスクリーンが切り裂かれるという事件が起きます。犯人は自称右翼の男でしたが、反社会勢力の脅迫行為は続いていました。
突然の訃報
1997年12月20日、東京麻布のマンション下にて遺体で発見されます。
投身自殺と判断されましたが、様々な憶測が飛び交いました。
伊丹十三 - Wikipedia
真相が闇の中にあるのかどうかさえ、我々には知るよしもありませんが、親しき人たちにとってはあまりにも急すぎる悲しい出来事でした。
生前の本人の希望により葬式等は行われず、弔問もお断りしたそうです。
妻 宮本信子さんは
伊丹氏の死後10年間はスクリーンから遠ざかり、2007年に「眉山 びざん」で復帰を果たします。その間はジャズシンガーとして活動し、ライブやアルバム作成などを手掛けておりました。
伊丹氏の死から5年後の2002年12月20日、宮本信子さんはホテルオークラにて「感謝の夕べ」と題しディナーショーを開催しました。親交のあった方々を招待したその席で、過去のことを「本人が決めたことですからしかたないですけれども。。」と胸の内を述べています。
伊丹十三記念館
妻・宮本信子さんにより、2007年5月愛媛県松山市に設立されました。
遺品や愛車が展示されており、「女房として最後の大仕事」と言われたとおりの出来栄えとなっております。
伊丹十三賞も創設し、第1回受賞者には糸井重里氏が輝きました。