作品紹介
「マルサの女」に次ぐ「✖✖の女」シリーズ。
一般人対ヤクザという構図で、スリリングな事件をコミカルに描き、従来のヤクザ映画とは一線を画した作品。
ロケは開業前の長崎ハウステンボスの「ホテルヨーロッパ」で行われました。
劇中でもそのままのホテル名が使用されています。
開業前とはいえ、内容が内容なだけに、ホテル側はよくぞという感じですね。

従来のヤクザ映画では、主人公=ヤクザ=ヒーロー的なものが多かったのですが、この映画の主役はあくまでも「一般人」。そして、一般人の武器は「法律」。
「弱きを助け、強きをくじく」「ペンは剣より強し」的なストーリーを、笑いと涙で見事に調和させ、興行収入15億円超えの大ヒットとなりました。
しかし、この映画の公開後、伊丹監督は大きな事件に巻き込まれて行きます(後述)。
女弁護士対ヤクザ(ガッツ石松)

ホテルへ怒鳴り込み

鉄砲玉

毅然と立ち向かうホテルマンたち

主な出演者
宮本信子 弁護士;井上まひる
暴力や圧力に法律で立ち向かう女弁護士役。
ホテルの従業員たちの先頭に立って、皆を牽引していく主人公。

宝田明 ホテルヨーロッパ;小林総支配人
総支配人という役職にありながら、賭けゴルフ・ハニートラップ等、見事にヤクザの罠にはまってしまう。何とも憎めない役を演じています。

伊東四朗 ヤクザの大親分;入内島
小林総支配人を賭けゴルフの罠に落とし込む大親分。
元々こわもてだけに、結構決まってます。

中尾彬 ヤクザの親分;伊場木
ホテルへの嫌がらせや締め付け等々、このこわもてでやられたらたまりません。
ハマリ役ですね。

その他にも、津川雅彦・大滝秀治・柳生博・大地康雄・柳葉敏郎・櫻井淳子・ガッツ石松等々、豪華なメンバーが顔を揃えスクリーンを盛り上げてます。
伊丹十三
1933年5月、映画監督・伊丹万作の長男として京都に生まれました。
高校時代に執筆活動をはじめ、大江健三郎氏(ノーベル賞作家)との親交がはじまったのもこの頃です。のちに、大江氏は伊丹氏の妹と結婚されます。
デザイナー・イラストレーターとして活躍した後、俳優・監督等マルチタレントとしても活躍し、妻・宮本信子を起用したコミカルな社会派映画の制作に取り組みます。
1997年12月20日、自宅マンションで自殺(後述)。64歳でした。






襲撃事件
「ミンボーの女」公開直後、1992年5月22日夜、自宅近くの駐車場で複数の男達に刃物で襲撃され、全治3か月の重傷を負います。犯人は5人の暴力団員。12月に逮捕され実刑判決を受けています。原因は映画の内容等いろいろ言われておりますが、伊丹監督自身、プロモーションビデオに上半身入れ墨を施して登場したり、ある記者会見では「私は、この映画でヤクザに喧嘩を売ったのです」という発言をしたり、ある種の挑発と取られる行為をしていたことがありました。五社英雄氏(映画監督 鬼龍院花子の生涯・極道の妻たち等)は、「あの男はやられるかもしれない」と関係者に言っていたそうです。
スクリーン切り裂き事件
翌1993年5月、復帰作「大病人」公開初日、日劇東宝で上映中にスクリーンが切り裂かれるという事件が起きます。犯人は自称右翼の男でしたが、反社会勢力の脅迫行為は続いていました。
突然の訃報
1997年12月20日、東京麻布のマンション下にて遺体で発見されます。
投身自殺と判断されましたが、様々な憶測が飛び交いました。
伊丹十三 - Wikipedia
真相が闇の中にあるのかどうかさえ、我々には知るよしもありませんが、親しき人たちにとってはあまりにも急すぎる悲しい出来事でした。
生前の本人の希望により葬式等は行われず、弔問もお断りしたそうです。
妻 宮本信子さんは
伊丹氏の死後10年間はスクリーンから遠ざかり、2007年に「眉山 びざん」で復帰を果たします。その間はジャズシンガーとして活動し、ライブやアルバム作成などを手掛けておりました。
伊丹氏の死から5年後の2002年12月20日、宮本信子さんはホテルオークラにて「感謝の夕べ」と題しディナーショーを開催しました。親交のあった方々を招待したその席で、過去のことを「本人が決めたことですからしかたないですけれども。。」と胸の内を述べています。
伊丹十三記念館
妻・宮本信子さんにより、2007年5月愛媛県松山市に設立されました。
遺品や愛車が展示されており、「女房として最後の大仕事」と言われたとおりの出来栄えとなっております。
伊丹十三賞も創設し、第1回受賞者には糸井重里氏が輝きました。
