リーグ開幕時と今の違いを振り返る
1993年5月に開幕を迎えたサッカー・Jリーグ。これまでは代表戦でさえ閑古鳥が鳴くほどサッカーは低迷しており、クラブチームなどは招待客ばかりだった。それを一変させたのがJリーグ。日本サッカーのターニングポイントともなった1993年から20年強。Jリーグの今と昔の違いを振りかえっていきましょう。

1993年Jリーグ開幕


チーム数
1993年10チーム→2016年56チーム
この20年で最も変化したと言われているのが、チーム数だろう。
鹿島、市原、浦和、横浜M、横浜F、V川崎、清水、名古屋、G大阪、広島のいわゆるオリジナル10と言われる10チームの参戦だったJリーグ。今ではJ1だけで、18チーム。リーグも3部までのJ3まであり、総チーム数は56まで増えている。
ほぼ全国にチームができ、すそ野が広がる一方、チームが多すぎて、良い選手が細分化してしまい、Jリーグ自体のレベル低下も叫ばれている。

応援スタイル
1993年ミーハー的応援→欧米スタイル
1993年開幕時は、Jリーグはスポーツと言う側面よりトレンド的な扱い。武田や北沢などアイドル的な黄色い声援がスタジアムでは響き、チアホーンがこだましていた。また、紙吹雪なども待っていた。
しかし、鳴り物は禁止され、応援は基本、太鼓と自身の声と言うヨーロッパスタイルのサポーターとなっている。
代表戦では、正直まだまだミーハー的なものも少なくないが、Jリーグサポーターでは、例え勝っても納得できないサッカーだとブーイングするサポーターが増えているなど目が肥えてきている。

外国人助っ人の知名度
1993年世界的スタープレイヤーが続々入団→2016年実力重視!結果を出して中東や中国に引き抜かれる
Jリーグ開幕時は、まさにバブル状態。鹿島にはジーコ、名古屋にリネカー、市原にリトバルスキなど世界的なプレイヤーが続々とJリーグに入団。
結果を出した選手、不満が残った選手がいるが、Jリーグにプロ意識を植え付けされたことは間違いない。
今では、あまりお金がないのもあり、成長株の選手などを主に獲得。Jリーグで結果を残した選手がオイルマネーの中東や中国の爆買いで引き抜かれるのが多くなっている。
ユニフォーム
1993年全チームMIZUNO製→2016年NIKE、adidasなど各チームごとに個性的に
1993年開幕時はユニフォームの契約はチームごとではなくJリーグとしての契約だったため、ユニフォームは全てMIZUNO製、どことなく似ているデザイン。また、10チームしかないため、なかなか色も被る事がないのでオリジナル性を保っていたが、チーム数も増え、今では各チームごとにメーカーと契約。ホーム用、アウェイ用だけでなく、カップ戦用、ACL用と何種類もある。
浦和→NIKE、横浜→adidas、FC東京→umbro、磐田→PUMAなど

スタジアムの規模
1993年基本は10000人台のスタジアム開催→2016年3~5万人規模が多くなる
まだ野球場ほど大勢のキャパのあるスタジアムは皆無で、浦和戦など集客が見込める試合には、多くのチームが中立である国立競技場(50000人強)を使用した。
転機となったのが2002年日韓ワールドカップ。
横浜Mのホーム・日産スタジアム(70000人強)、浦和の埼玉スタジアム(60000人強)、出来たばかりのG大阪の吹田スタジアム(40000人強)など30000人以上を収容するキャパのスタジアムが増えた。
また、男女トイレの数などJリーグ規約も厳しくなっており、より観やすいスタジアム作りが進んでいる。

いかがでしたでしょうか?レベルに関しては賛否両論があるものの、やはりJリーグが成長しないと、日本代表を含めた日本サッカーの発展はありえませんから、これから20年後、今の状態が衝撃を受けるほど進展していって欲しいですね。