第1位 智弁学園、智弁和歌山・高嶋仁監督 「通算63勝」
たかしま ひとし。1946年5月30日生まれ。長崎県出身。
長崎海星高校時代に、投手兼外野手として1963、1964年の全国高等学校野球選手権大会に出場。
日本体育大学卒業。
大学卒業後、智弁学園高校のコーチとなる。1972年に同校監督に就任し、選抜高等学校野球大会ベスト4などの結果を残す。1980年に智弁和歌山へ転任。
率いるチームの部員は30人と少数精鋭を通している。
高嶋仁監督
【通算出場】 34回
【通算勝利】 63勝32敗
【優勝回数】 3回
【春・成績】
・智弁学園 出場 2回、5勝2敗 、ベスト8は1回 、ベスト4は1回
・智弁和歌山 出場 11回、21勝10敗、ベスト8は3回、準優勝は2回、春優勝1回
【夏・成績】
・智弁学園 出場1回、2勝1敗
・智弁和歌山 出場21回、35勝19敗、ベスト8は1回、ベスト4は2回、準優勝は1回、優勝は2回
※数字は2015年8月現在のもの。誤差等ある場合もございます。
≪高嶋仁監督の特徴≫
チーム編成においてはユーティリティープレイヤーが多い。
投手、野手は複数のポジションを守れるようしている。
投手の複数制については第68回選抜高等学校野球大会で全試合に登板したエースの高塚信幸が肩を故障したことが原因で一人の投手に頼らないという考えからである。エース番号でない選手が実質的エースの場合もある。
采配は継投策をとることもあれば、先発投手を終盤ぎりぎりまで引っぱることもあり、試合展開によって使い分ける。先発投手の調子が悪いと判断したときは1回でも降板させることもある。
また伝令や選手交代、攻守交替時での指示が勝利につながった例も数多く、その優れた采配力は同じ高校野球指導者である木内幸男や元プロ野球監督の野村克也が絶賛するほどである。
高嶋の野球のモットーは「常に全力を出し切る」!
≪1985年春から1992年夏までは初戦敗退!≫
高嶋仁 - Wikipedia
高嶋仁監督
智弁和歌山は2015年の夏に3年振りの甲子園出場を決めたが、初戦で敗退した。
これからも甲子園で勝利と熱いドラマを積み重ねていって欲しい!