東京オリンピック(1964年10月10日)開催の年は色々熱かった!

東京オリンピック(1964年10月10日)開催の年は色々熱かった!

東京オリンピックが開催された1964年は、東海道新幹線「超特急ひかり号」開通(1964年10月1日)などエポックメイキングな出来事や忍者ブームや切手ブームなど流行が生まれた熱い年でした。キングギドラが初登場した年でもありました。おさらいしてみましょう。東京オリンピック時に忍者ブーム・忍者ごっこが大流行していたため、「ジャパン=忍者」という外国人の古典的な日本イメージが出来上がったのでしょう。


全国的な小学校の建築ラッシュ!ひとりにひとつの机時代の幕開け!

憧れの超最新型の机「ホウトク学生机2型」(1963年)が徐々に普及し、ひとりにひとつの机時代の幕開け!

二人がけの隣の生徒が暴れん坊だと、自分の机も動いてしまう。

また隣の生徒が自分の領域に容易に侵略してくるという問題もあった。

この当時は、木製の机が中心であり、二人用の机がザラだった。

同じ木製の机であっても、ひとり用なら、かなりマシであった。

この噂の最新型の机「ホウトク学生机2型」が全国に完全配備されるには、10年程度は必要であっただろう。

「隠密剣士」が忍者ブームの火付け役となり「忍者ブーム」が巻き起こる。「忍者部隊月光」「風のフジ丸」「サスケ」「伊賀の影丸」と続く。

天明7年(1787年)から寛政2年(1790年)にかけての日本各地を舞台として、江戸幕府11代将軍・徳川家斉の腹違いの兄である松平信千代(大瀬康一)が秋草新太郎と名乗り、公儀隠密として旅をしながら、世の平和を乱す忍者集団との戦いを繰り広げる作品である。

第1部は蝦夷編で、アイヌ人と和人(日本人)の葛藤が描かれるなど工夫がみられるが、重厚な内容のせいか不人気であった。

第2部から新機軸として忍者との戦いを繰り広げることになる。これにより人気が上昇した結果、視聴者層は子供から大人に広がり、最盛期には40%近い視聴率を取った。本作の人気は1960年代の忍者ブームを牽引し、映画化や主演を替えてのシリーズ化などが行なわれた。

内容は正統派の時代劇であり、登場するさまざまな忍者や忍術もリアリティがあるが、これらは脚本家・伊上勝のアイディアによるものが多く、本作で彼が培ったものは後年、脚本を担当した『水戸黄門』『仮面の忍者赤影』『仮面ライダー』などに活かされたとされている。

また、「忍者の刀の構え方」や「卍型の手裏剣」などは企画担当の西村俊一の考案によるもので、これも後続の忍者物ドラマなどに踏襲された。

さらに「水蜘蛛の術」を初めて映像化した作品とされており、こうした映像によって一般的な忍者のイメージを確立したとも言われる。制作進行の野木小四郎は、路線変更にあたって伊賀や甲賀へ赴き、忍術の研究を行ったと証言している。

出典 隠密剣士 - Wikipedia

「隠密剣士」(第二部 忍法甲賀衆・1963年1月6日)が忍者ブームの火付け役となり忍者ブームが巻き起こる。

これが「隠密剣士」の伝説の水蜘蛛の術。

東京オリンピック時に忍者ブーム・忍者ごっこが大流行していたため、「ジャパン=忍者」という外国人の古典的な日本イメージが出来上がった。

「隠密剣士」が「水蜘蛛の術」を初めて映像化した作品とされている。

『忍者部隊月光』(にんじゃぶたい げっこう)は、1964年(昭和39年)1月3日から1966年(昭和41年)10月2日までフジテレビ系で全130話が放送された、国際放映製作の特撮番組。モノクロ作品。吉田竜夫の漫画『少年忍者部隊月光』を原作として、時代を第二次世界大戦中から現代に、主人公たちの年齢を少年から青年に置きかえている。 

正義と世界平和を守ることを目的とする「あけぼの機関」に所属する、伊賀流・甲賀流忍者の末裔で編成される「忍者部隊」が忍術などの能力を駆使して悪事と戦う物語。「月光」は部隊長の呼び名。

『忍者部隊月光』(1964年1月3日)

『少年忍者風のフジ丸』(しょうねんにんじゃかぜのフジまる)は、1964年6月7日から1965年8月31日にかけてNETテレビ(日本教育テレビ。現:テレビ朝日)系列で全65話が放送された東映動画製作のテレビアニメである。

放送時間は、1964年6月から12月までは日曜日18時30分 - 19時。1965年1月から最終回までは火曜日19時30分 - 20時。モノクロ作品。

白土三平の貸本短編集『忍者旋風』(1959年)や、週刊少年マガジンに連載されていた『風の石丸』(1960年)などを原作としたテレビアニメである。

番組スポンサーの藤沢薬品工業(現:アステラス製薬/第一三共ヘルスケア)とのタイアップのため、主人公の名前(番組タイトル)が「フジ丸」と改められた。主題歌の最後にはスポンサークレジットとともに「♪フジサ〜ワ〜、フジサ〜ワ〜、藤沢や〜く〜ひ〜ん」とスポンサー名を連呼する女性コーラスが入っていた。

『少年忍者風のフジ丸』(1964年6月7日)

光文社の少年漫画雑誌『少年』1961年7月号から1966年3月号まで全55話が連載

漫画『サスケ』

『サスケ』は、白土三平による日本の漫画作品である。光文社の少年漫画雑誌『少年』1961年7月号から1966年3月号まで全55話が連載され、1968年にはテレビアニメ化もされた。

サスケ
声 - 雷門ケン坊
主人公。父から甲賀流忍術を受け継ぎ、「猿飛の術」「分身の術」「微塵がくれの術」などの忍術を駆使して戦う少年忍者。父と共に様々な強敵と戦い続け、忍者の心技体を磨いていく。

生き残るために敵を倒す非情さを心得ているが、やはり素顔は幼さを残す少年であり、死んだ母親に対する思慕の情を強く持ち続けている。第2部では成長し、腹違いの弟・小猿を抱えて放浪する。

テレビアニメ『サスケ』

『伊賀の影丸』(いがのかげまる)は横山光輝の漫画作品である。江戸時代を舞台に、忍者影丸の活躍を描く。

1961年から1966年まで「週刊少年サンデー」に連載された。主人公の影丸は江戸幕府の隠密で、伊賀流の忍者。彼は服部半蔵の命を受けて日本各地に赴き、徳川家に敵対する勢力と戦う。本編9話、番外編3話がある。

黒装束に鎖帷子を着るという忍者の視覚的イメージを確立した漫画である。

『伊賀の影丸』(1961年から1966年まで「週刊少年サンデー」に連載) 黒装束に鎖帷子を着るという忍者の視覚的イメージを確立した漫画である。

人形劇「伊賀の影丸」(TBS系・1963年11月5日から1964年11月3日まで)

NHK総合テレビで放送された人形劇『ひょっこりひょうたん島』(1964年4月6日 - 1969年4月4日) 放送当時子供たちの絶大な人気を得た。

手狭なスタジオでも制作できる人形劇は、テレビ開局当初、重宝がられました。NHKは1953(昭和28)年2月の本放送開始直後に連続人形劇『玉藻前』を放送。研究と改良を重ね、テレビ人形劇の新分野を開拓していきます。

その人気を確立したのが、1956(昭和31)年に始まった『チロリン村とくるみの木』です。ピーナッツのピー子、玉ねぎのトン平ら野菜やくだものを擬人化した人形と、黒柳徹子ら売れっ子による吹き替えが評判を呼び、8年間、812回放送されました。

この『チロリン村』の後番組として、1964(昭和39)年にスタートしたのが『ひょっこりひょうたん島』です。漂流する島が舞台の奇想天外な物語は、当初ひとケタの視聴率が続き、低迷しました。しかし、子どもの視点から社会や権威を風刺する面白さで、次第に大人にまでファン層を広げ、最高視聴率37.5%を記録。放送は5年間、1224回に及びました。

NHK総合テレビで放送された人形劇『ひょっこりひょうたん島』(1964年4月6日 - 1969年4月4日)

東京オリンピックの年(1964年)に流行った人形劇は『ひょっこりひょうたん島』というのは暗記しておこう。

『ひょっこりひょうたん島』 も最初は人気低迷、非難殺到。最初はさっぱり人気が出なかったんです。

最初は人気低迷、非難殺到 山岸 そうやって放送にこぎつけたものの、最初はさっぱり人気が出なかったんです。 武井 僕ら自身は「面白い、行けるぞ」という自信はありましたが、視聴率は10%を切って、なかなか上がってこなかった。その間、「前の番組は良かったのに、なぜあんな変なのを出すんだ」という非難の電話が殺到したり、言葉遣いが悪いと新聞に叩かれたり。当時の部長には「君は何局にいると思ってる?」と聞かれ、「教育局にいます」と答えると、「あれのどこが教育なんだ」と責められました(笑)。でも、僕の提案を通してくれた高橋さんが「今のままでいいから、そのままやりたまえ」と背中を押してくださった。 山岸 そのころ、我々青少年部の若い連中は連帯感が強く、彼が提案した新しい番組をみんなで作っていこうという意識もごく自然に出ていましたね。 武井 高橋CPや仲間たちの支えがなかったら、つぶされちゃったと思いますよ。 山岸 半年経ったころでしたよね、ワーッと人気が出てきたのは。 武井 視聴率が25パーセント前後までいって、ようやく手応えを感じましたね。人間は保守的ですから、新しい番組に慣れるのに時間がかかったのかもしれません。それに、秋になり、日が短くなってきたことも追い風になりました。番組が始まる夕方5時45分には子どもたちが家に帰っているようになったから。 岸川 そのころ、ようやく『ひょうたん島』の笑いの中にあるメッセージが伝わった感じがしますよね 山岸 そう。しっちゃかめっちゃかで何でもありに見えても、実は違うんです。ある意味、古風なもの、浪花節の世界に近いテーマが根底に流れていると言っていい。そういうものが半年の間にじわっと広がったんじゃないかな。

http://www.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=puppet-anime003

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『ひょっこりひょうたん島』の声優の収録

東宝の怪獣映画の当たり年「モスラ対ゴジラ」(1964年4月)、「宇宙大怪獣ドゴラ」(8月)、『三大怪獣 地球最大の決戦』(12月)

『モスラ対ゴジラ』(モスラたいゴジラ)は1964年(昭和39年)4月29日に公開された日本映画。ゴジラシリーズの第4作であり、『モスラ』の続編でもある。製作、配給は東宝。カラー、東宝スコープ。上映時間は89分。併映は『蟻地獄作戦』。初回興行時の観客動員数は351万人。登場怪獣はゴジラ、モスラ(幼虫、成虫)。

本作でのゴジラはモスラに対する悪役として描かれており、ゴジラにとって怪獣同士の闘いにおける初の黒星(昭和シリーズでは唯一)を喫した作品である。

本作の公開された1964年には『宇宙大怪獣ドゴラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』と怪獣映画が3本公開されており、後の第一次怪獣ブームの土台を築いたとされる。

東宝の怪獣映画「モスラ対ゴジラ」(1964年4月) 後の第一次怪獣ブームの土台を築いたとされる。

小美人(しょうびじん)は、日本の空想小説『発光妖精とモスラ』及びそれを原作とした特撮映画『モスラ』(1961年、東宝)にて登場する架空の妖精。その後の平成「モスラ」、「ゴジラ」シリーズなどにも登場している。

小美人:ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、伊藤ユミ)

『宇宙大怪獣ドゴラ』(うちゅうだいかいじゅうドゴラ、英題:Dogora-the Space Monster)は東宝が製作し、1964年(昭和39年)8月11日に封切り公開された日本の怪獣映画。81分、総天然色、東宝スコープ。
ドゴラは、本作品の劇中に登場する宇宙怪獣の名称。

キングギドラより劇場公開が4ヶ月早いため、ドゴラが日本最初の宇宙怪獣です。

『宇宙大怪獣ドゴラ』(1964年8月11日) 史上初の「宇宙大怪獣」

『三大怪獣 地球最大の決戦』(さんだいかいじゅう ちきゅうさいだいのけっせん)は、1964年(昭和39年)12月20日に公開された日本映画。「ゴジラシリーズ」の第5作であり、『空の大怪獣ラドン』と『モスラ対ゴジラ』の直接的な続編にもあたる。

製作、配給は東宝。総天然色、東宝スコープ。併映作品は『花のお江戸の無責任』。初回興行時の観客動員数は、前作『モスラ対ゴジラ』を81万人上回る432万人となった。

ゴジラが初めて善玉として描かれた(ただし、モスラのように完全な「人間の味方」ではない)、つまり、これ以前とは立場を変えることになった作品である。同時に、常に「人類の脅威」であるゴジラを描くという作品姿勢も転機を迎え、以降のゴジラシリーズは怪獣同士の格闘劇が主になっていく。

一応、防衛隊(自衛隊)は登場するものの、戦車や戦闘機などを使った作戦は実施していない。
シリーズ最大の悪役(敵役)とされているキングギドラが初登場した作品でもある。

タイトルの「三大怪獣」とは、地球の三大怪獣であるゴジラ・ラドン・モスラのことを指しており(ゴジラシリーズでは初めてタイトルから「ゴジラ」が外れた)、宇宙超怪獣であるキングギドラのことは含まない。本作では、地球側の三大怪獣が互いに種族は違うものの、鳴き声などを通じて明確な意思疎通を行っている。

『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年12月20日) シリーズ最大の悪役(敵役)とされているキングギドラが初登場した作品でもある。

この東宝の特撮技術を駆使したキングギドラの初登場シーンは、特撮史上伝説といわれるクオリティの映像だ。

東京オリンピックの年に出現した、シリーズ最大の悪役(敵役)とされているキングギドラ。その初登場シーン

『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年12月20日)

東海道新幹線「超特急ひかり号」開通(1964年10月1日) 東京・大阪間で運転開始。東京オリンピックにギリギリ間に合った。

世界最速の東海道新幹線「超特急ひかり号」に全世界の人が驚き、びびった。

世界でもっとも速い列車!東海道新幹線「超特急ひかり号」開通(1964年10月1日) 東京・大阪間で運転開始。

東海道新幹線開業のテープカット。超特急ひかり1号が新大阪に向けて出発=1964(昭和39)年10月1日、東京駅

テープが切られて新大阪駅4番ホームを出発する新幹線一番列車「ひかり2号」。テープを切ったのは、左から左藤義詮大阪府知事、八木国鉄関西支社長、中馬馨大阪市長。東海道新幹線は1964年10月1日に開業。一番列車は東京駅からは下り「ひかり1号」。午前6時同時に両駅を発車、ほぼ定刻の午前10時に双方の駅に到着した。

テープが切られて新大阪駅4番ホームを出発する新幹線一番列車「ひかり2号」。

世界でもっとも速い列車「夢の超特急」開業の朝、幼稚園への途中で下り電車を見上げる園児たち=1964年10月1日、神奈川県横浜市港北区菊名町

東京オリンピック(1964年10月10日)開催 日本は過去最高16個の金メダルを獲得した。

東洋の魔女(とうようのまじょ)は、1961年の欧州遠征で22連勝した日紡貝塚女子バレーボールチーム(監督:大松博文)につけられたニックネーム。

1964年東京五輪では同チームのメンバーを主体とした全日本で出場し、5試合で落としたセットは1セットのみという圧倒的な力で金メダルを獲得した。ソ連との優勝決定戦では視聴率66.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録し、スポーツ中継としては歴代最高となっている。

東京オリンピック女子バレーボール 日本中が興奮した。

ソビエトを破り金メダルを獲得した東洋の魔女

スポ根時代の幕開けである。根性が大切なのだ。

鬼と呼ばれる「大松博文」監督「バレーにヒーローはいらない。根性が大切なのだ。」と語った。

この後、1960年代後半から1970年代初頭にかけてスポ根漫画を原作としたテレビドラマやアニメが大流行した。スポ根時代の幕開けである。

ウルトラC(当時、流行後になった)連発の日本の男子体操選手は大活躍

日本人初の体操男子総合の金メダルに輝いた「遠藤幸雄」選手

平均台、跳馬と個人総合の金メダルに加え、団体でも銀メダルを手にした。優美な演技は日本において「オリンピックの名花」「体操の名花」と讃えられた。

1964年の東京オリンピックで、体操の「ベラ・チャスラフスカ」選手は人気選手となる。

ウルトラC(当時、流行後になった)連発の日本の男子体操選手は大活躍したが、世界の視聴者の視線は「ベラ・チャスラフスカ」選手に釘付けであった・・・

オリンピック東京大会記念切手5枚セットが呼び水となり、日本全国で「切手」ブームが巻き起こる。

1957年にグリコが「世界の切手をあなたに」のキャッチフレーズで商品のおまけに国内外の切手を入れたことを端緒として第一次切手ブームが起こり、二度目の切手ブームはオリンピック東京大会記念切手が呼び水となった。

当時は新しい切手の発売日には郵便局に購入希望者が長蛇の列をなして並ぶ光景が見られた。

第18回オリンピック東京大会記念切手 戦後2度目と言われる切手ブームが起こる。

東京五輪の記念硬貨は、日本初の記念貨幣だ。百円銀貨も同時に発行された。発行枚数は千円銀貨が約1500万枚、百円銀貨は約8000万枚だったようだ。

読売巨人軍の「王貞治」選手が「シーズン55本塁打」という偉業達成

読売巨人軍の「王貞治」選手が「シーズン55本塁打」という偉業達成

一本足で50本打てるなら、両足なら100本打つんじゃないの!というトンチンカンなことを言ってる人もいた。

現役時代の巨人の王貞治選手の一本足打法が大人気。

9月23日最終戦の対大洋ダブルヘッダー第2試合 (28回戦、後楽園球場) で雨中の5回裏に佐々木吉郎投手からシーズン55号 (通算170号) 本塁打を24歳で記録した。

これは2013年にヤクルトのウラディミール・バレンティンに破られるまで長年プロ野球記録であった。

55本塁打のうち24本は飛距離400フィート (約122m) 以上という大リーグの球場でも十分にスタンド中段に届く大型ホームランであり、決して球場の狭さに助けられた記録ではない、と宇佐美徹也は評価している。

参考に、この年のセ・リーグにおいて第2位の本塁打数はM・クレス(当時は大洋所属)の36本で、両リーグ合わせて第2位の本塁打数は野村克也(当時は南海所属)の41本であり、両者を10本以上も突き放しての数字である。また、55本塁打のうち17本は左投手から奪った本塁打であり、金田正一からは7本塁打を記録した 。

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