全国的な小学校の建築ラッシュ!ひとりにひとつの机時代の幕開け!

憧れの超最新型の机「ホウトク学生机2型」(1963年)が徐々に普及し、ひとりにひとつの机時代の幕開け!

この当時は、木製の机が中心であり、二人用の机がザラだった。

同じ木製の机であっても、ひとり用なら、かなりマシであった。

この噂の最新型の机「ホウトク学生机2型」が全国に完全配備されるには、10年程度は必要であっただろう。
「隠密剣士」が忍者ブームの火付け役となり「忍者ブーム」が巻き起こる。「忍者部隊月光」「風のフジ丸」「サスケ」「伊賀の影丸」と続く。

「隠密剣士」(第二部 忍法甲賀衆・1963年1月6日)が忍者ブームの火付け役となり忍者ブームが巻き起こる。

「隠密剣士」が「水蜘蛛の術」を初めて映像化した作品とされている。

『忍者部隊月光』(1964年1月3日)

『少年忍者風のフジ丸』(1964年6月7日)

漫画『サスケ』

テレビアニメ『サスケ』

『伊賀の影丸』(1961年から1966年まで「週刊少年サンデー」に連載) 黒装束に鎖帷子を着るという忍者の視覚的イメージを確立した漫画である。

人形劇「伊賀の影丸」(TBS系・1963年11月5日から1964年11月3日まで)
NHK総合テレビで放送された人形劇『ひょっこりひょうたん島』(1964年4月6日 - 1969年4月4日) 放送当時子供たちの絶大な人気を得た。

NHK総合テレビで放送された人形劇『ひょっこりひょうたん島』(1964年4月6日 - 1969年4月4日)

『ひょっこりひょうたん島』 も最初は人気低迷、非難殺到。最初はさっぱり人気が出なかったんです。
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『ひょっこりひょうたん島』の声優の収録
東宝の怪獣映画の当たり年「モスラ対ゴジラ」(1964年4月)、「宇宙大怪獣ドゴラ」(8月)、『三大怪獣 地球最大の決戦』(12月)

東宝の怪獣映画「モスラ対ゴジラ」(1964年4月) 後の第一次怪獣ブームの土台を築いたとされる。

小美人:ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、伊藤ユミ)

『宇宙大怪獣ドゴラ』(1964年8月11日) 史上初の「宇宙大怪獣」

『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年12月20日) シリーズ最大の悪役(敵役)とされているキングギドラが初登場した作品でもある。

東京オリンピックの年に出現した、シリーズ最大の悪役(敵役)とされているキングギドラ。その初登場シーン

『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年12月20日)
東海道新幹線「超特急ひかり号」開通(1964年10月1日) 東京・大阪間で運転開始。東京オリンピックにギリギリ間に合った。

世界でもっとも速い列車!東海道新幹線「超特急ひかり号」開通(1964年10月1日) 東京・大阪間で運転開始。

東海道新幹線開業のテープカット。超特急ひかり1号が新大阪に向けて出発=1964(昭和39)年10月1日、東京駅

テープが切られて新大阪駅4番ホームを出発する新幹線一番列車「ひかり2号」。

世界でもっとも速い列車「夢の超特急」開業の朝、幼稚園への途中で下り電車を見上げる園児たち=1964年10月1日、神奈川県横浜市港北区菊名町
東京オリンピック(1964年10月10日)開催 日本は過去最高16個の金メダルを獲得した。

東京オリンピック女子バレーボール 日本中が興奮した。

ソビエトを破り金メダルを獲得した東洋の魔女
スポ根時代の幕開けである。根性が大切なのだ。

鬼と呼ばれる「大松博文」監督「バレーにヒーローはいらない。根性が大切なのだ。」と語った。
この後、1960年代後半から1970年代初頭にかけてスポ根漫画を原作としたテレビドラマやアニメが大流行した。スポ根時代の幕開けである。
ウルトラC(当時、流行後になった)連発の日本の男子体操選手は大活躍

日本人初の体操男子総合の金メダルに輝いた「遠藤幸雄」選手

1964年の東京オリンピックで、体操の「ベラ・チャスラフスカ」選手は人気選手となる。
ウルトラC(当時、流行後になった)連発の日本の男子体操選手は大活躍したが、世界の視聴者の視線は「ベラ・チャスラフスカ」選手に釘付けであった・・・
オリンピック東京大会記念切手5枚セットが呼び水となり、日本全国で「切手」ブームが巻き起こる。

第18回オリンピック東京大会記念切手 戦後2度目と言われる切手ブームが起こる。

東京五輪の記念硬貨は、日本初の記念貨幣だ。百円銀貨も同時に発行された。発行枚数は千円銀貨が約1500万枚、百円銀貨は約8000万枚だったようだ。
読売巨人軍の「王貞治」選手が「シーズン55本塁打」という偉業達成

読売巨人軍の「王貞治」選手が「シーズン55本塁打」という偉業達成

現役時代の巨人の王貞治選手の一本足打法が大人気。
9月23日最終戦の対大洋ダブルヘッダー第2試合 (28回戦、後楽園球場) で雨中の5回裏に佐々木吉郎投手からシーズン55号 (通算170号) 本塁打を24歳で記録した。
これは2013年にヤクルトのウラディミール・バレンティンに破られるまで長年プロ野球記録であった。
55本塁打のうち24本は飛距離400フィート (約122m) 以上という大リーグの球場でも十分にスタンド中段に届く大型ホームランであり、決して球場の狭さに助けられた記録ではない、と宇佐美徹也は評価している。
参考に、この年のセ・リーグにおいて第2位の本塁打数はM・クレス(当時は大洋所属)の36本で、両リーグ合わせて第2位の本塁打数は野村克也(当時は南海所属)の41本であり、両者を10本以上も突き放しての数字である。また、55本塁打のうち17本は左投手から奪った本塁打であり、金田正一からは7本塁打を記録した 。