このまとめは、物理的に東西ベルリンを隔てた「ベルリンの壁」にフォーカスしたもので主義や思想、当時の世界情勢などに触れるものではありませんのでご了承ください。
ベルリンの位置
東ドイツの中央やや東部に位置していたベルリン。
「ベルリンは東西ドイツの境界線上に位置し、ベルリンの壁はその境界線の一部」と思われがちでしたが、これは誤解。

東ドイツ領内のベルリンが東西に分断

ベルリン市内の統治管轄
ベルリンの壁建設

1961年、ベルリンの壁建設が始まる
ベルリンの壁は後に数度作り変えられ、1975年に完成した最終期のものはコンクリートで出来ていました。壁の総延長は実に155kmにも。
映像などを通じて広く知られている西ベルリンに面した壁に加え、東ドイツ側にもう一枚同様のコンクリート壁がありました。
つまり西ベルリンは二重の壁で囲まれていて、その2枚の壁の間は数十メートルの無人地帯となっていました。

壁の西側(西ベルリン)を彩ったストリートアート
西ベルリンに在住していた人々は2,130,525人(1989年当時)

西ベルリンの外観
西ベルリンの広さは約500平方キロメートル(東京23区が600平方キロメートル)なので、人口200万人超が住むしても実に十分な広さがありました。
市の南西部には30平方キロメートルに及ぶ巨大な森林が横たわり、西には大きい湖も有し、また市のいたるとこに大きい公園やリクレーション菜園が散在しており、余裕のある自然環境は閉鎖された空間にあるとは言え市民生活に潤いを与えていたようです。
また「ベルリンの壁」の背景としては、西ベルリンが包囲されていたわけではなく、東ベルリンから西ベルリンに入ることを防ぐ目的でしたが、とはいえ幼いころはどうしても「西ベルリン」の人々がどのように往来しているのか気になったものです。
西ベルリン⇔西ドイツ領など、西側諸国への往来は確保されていた
空路について
陸路について
西ベルリンから東ベルリンは自由、その逆はダメだったようです
ベルリンの壁があった頃は西ベルリン地域で生活する人々はどのような生... - Yahoo!知恵袋
ベルリンの壁崩壊

1989年、ベルリンの壁が崩壊
東西ベルリンを行き来する映画「ブリッジ・オブ・スパイ」
近年この映画を鑑賞したことで、当時の「東西ベルリンの往来手段」が気になりました。