新沼謙治 「スター誕生」
新沼謙治は1956年2月27日に岩手県大船渡市に生まれ、身長170cm、血液型A型。1970年代中頃から演歌歌手・俳優・タレントとして活動を開始しました。

日本テレビ系の伝説のオーディション番組『スター誕生!』に応募するも、新沼謙治は4回落選しています。

『スター誕生!』の合格をきっかけに、新沼謙治は、上京します。
気持ちよく悲しい声、新沼謙治の歌手デビュー
『スター誕生!』決戦大会では、男性史上最多の17社のプロダクションが、新沼謙治にオファーの札を挙げました。

気持ちよく悲しい男-新沼謙治
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同年6月に発表されたシングル第2弾の「嫁に来ないか」が大ヒットします。新沼謙治はこの年の新人賞を受賞し、「NHK紅白歌合戦」にも初出場を果たします。その後も「ヘッドライト」「酒とふたりづれ」「津軽恋女」等、多数のヒットを飛ばし、アイドル並みの人気を博します。
コブシにパンチがきいた新沼謙治の歌唱は、アッケラカンとしているようで、どこかに影を感じさせる。作詞家、阿久悠が感じた個性は、アイドルとしての可能性でもあった。

「嫁に来ないか」ライブ
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新沼謙治は、歌手として平成2年までに「NHK紅白歌合戦」通算13回出場します。
役者としても芝居の才能も発揮し、「二百三高地」(昭和54年東映)、私鉄沿線97分署」・NHK大河ドラマ「炎立つ」などの映画やドラマに出演しています。
左官職人として3年間働いていた新沼謙治が、デビュー30周年を迎え、みずから作詞作曲をした「左官職人こね太郎」が収録されているアルバムです。
新沼謙治の嫁がすごい!元オリンピック選手
1981年、新沼謙治は、趣味のバドミントンを通じて元オリンピック選手湯木博江さんと知りあいます。

新沼謙治と婚約者、湯木博江さん。(1986年)
【元世界女王】新沼謙治の亡き妻はすごい女性【日本バドミントン界の至宝】 | LAUGHY [ラフィ]

新沼謙治の嫁は、バドミントンの女王
【バドミントン/訃報】4度の世界一、”バドミントンの女王”新沼博江(旧名・湯木博恵)さんが死去 夫は歌手の新沼謙治さん/裏芸能ちゃんねる
結婚後の博恵さんは、新沼謙治の歌手生活を優先し、家庭中心の生活を送りながら、母校の日本女子体育大学で後進の指導にあたっていました。

新沼謙治の子供
新沼謙治と妻の博恵さんの間には、娘の文那さんと息子の翔大さん二人の子供がいます。

2011年最愛の妻の死とふるさとの被災、新沼謙治は自立を誓う
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震

故郷の岩手県大船渡市が被災
大船渡で津波の高さ23メートル、東北地方太平洋沖地震 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
新沼謙治の実家は無事でしたが、親戚1人が津波の犠牲になり亡くなっています。
2011年9月7日、妻の博恵さん甲状腺がんのため62歳で他界
2010年に博恵さんの首に腫瘍が見つかり、その後病状が悪化します。新沼謙治が妻の訃報を聞いたのは東北での公演先でした。

新沼謙治 復興支援曲「ふるさとは今もかわらず」
新沼謙治自身による作詞、作曲、故郷の復興に願い込めた「ふるさとは今もかわらず」(両A面シングル「雪の宿/ふるさとは今もかわらず」)を2012年11月21日に発売しました。

2013年4月9日の『NHK歌謡コンサート』で新沼謙治 は杉並児童合唱団44人と共に合唱しました。
今、新沼謙治が注目されている!

亡き妻の願い「自立」する新沼謙治
