16回ダウン、病院送り
『空手が勝つか、ムエタイが勝つか』
この刺激的なテーマに観客は超満員だった
「デビュー戦をKO勝ちし2戦目に運命のときを迎えます
相手はタイの強豪サマン・ソー・アディソンです
私は前2戦同様、空手の誇りを胸に秘め道着でリングに上がりました
今度も負けるわけがない
空手が世界最強と信じていたからです」
(沢村忠)
しかしリングに上がった沢村はアジソンの雰囲気に圧倒された
「なんというか、底なし沼のように、
どろんと鈍い底しれぬ殺気をたたえた目」
ゴングが鳴った
沢村は先制攻撃をしかけた
しかしアジソンは前回の相手とはまるで違った
沢村は1Rから押された
2R、
セコンドが頭からかけた水が空手着に染み込んで重くなってしまった
3R、
アジソンはスパートをかけた
圧倒的な数のキック、パンチが沢村に飛んだ
アジソンの右ハイキックでダウンした沢村は
その後、ほぼサンドバッグ状態となった
見ていて残虐とも思えるようなシーンの連続だった
だが沢村は倒されても倒されても立ちあがった
4R
リングは試合でなく屠殺場と化していた
「もう、やめさせろ!」
一方的な展開に観客が野次った
そしてアジソンの右フックで沢村がダウンした時点でレフリーが試合を止めた
4R2分53秒
沢村の食らったダウンは合計16回にも及んだ
伝説のハジマリ
沢村は担架で退場し病院直行となりそのまま入院した
本人も試合の記憶は途中から消失していた
奥歯が5本抜け
打撲37箇所
出血13箇所
ヒジ打ちを食った後頭部は陥没していた
「4R2分53秒、私のKO負けです
全身16ヶ所が破壊されていました
頭蓋骨陥没、歯は7本、肋骨は3本折れていました
リングからそのまま病院に直行でした」
(沢村忠)
高熱が1週間続き
頭には継続的に激痛が走った
半殺し状態だった
ベッドでうめきながら沢村は空手とタイ式の違いについて考えた
1
空手は一撃必殺だけにその一撃に全力を集中する
だがせっかくの一撃必殺もめまぐるしいタイ式のスピードについていけない
2
空手の試合では攻撃を相手の紙一重で止めるため、殴られることに慣れていない
したがってタイ式ボクサーより当然もろい
3
したがって空振りで疲れ攻撃されて弱ってくると一撃必殺の力も失われていく
.
野口は再起は無理だろうと思った
それどころか沢村の体は日常生活に支障がないほどに回復するのだろうか
そして戦わせたことに対して自責の念に苛まれいたたまれない気持ちとなった
せめて戦いをねぎらってやろうと病室を訪れたとき、沢村から驚くような言葉を聞いた
「もう1回やらせて下さい」
「よく言ってくれた
実は私は君の空手ならタイ式の一流とやっても互角に戦えると考えていた
ところが完全に敗れた
私は今更ながらタイ式の強さに惚れ直した
しかし君の根性にはもっとほれたぞ」
沢村はあれだけやられてもまだ戦う意志があった
このままで終わってたまるかという気持ちがその後の沢村忠を生み出すことになる
片まゆ毛、鼻ひげ
約1ヵ月後、沢村は退院し、長野の八ヶ岳山中にこもった
昔の武者修行侍のように完全に世間の生活から離れることで全てをタイ式ボクシングにかけた
目的はキックの練習はもちろんだがメインは精神鍛錬だった
人のいない山奥で夜を明かし孤独と恐怖に耐えることで精神が成長すると考えたのである
狂人じみた特訓を続ける沢村であったが強敵は深山の夜であった
我慢できない孤独感が彼を襲った
(ううう、さびしい
ネオンまばゆい銀座の雑踏
人間が無性に恋しい)
(うおお、もうたくさんだ
東京に帰る
夜があけたら山を下るんだ)
しかし朝になって思い返す
(帰ってどうなる
みじめな負け犬に成り下がるだけだ
男として、ダメになるだけだ)
沢村は人恋しさに山を降りて行かないように片方の眉毛だけを剃り落とした
(これでいい
この顔ではとうてい人前には出られん
眉がそろうまでいやでも山中で特訓を続けるほかない)
約2週間の山籠りを終え沢村は山を下った
野口修と沢村忠
下山した沢村は野口宅で合宿生活に入った
野口は精悍になった沢村を見て満足した
「そうだ
そのひげをそる時、鼻ひげだけ残すといい」
「え、この若さで鼻ひげですか」
「鼻の下の髭は試合中に鼻血が出たとき、血が口へ流れ込むのを防いでくれる」
こうして鼻ひげ顔の沢村忠が誕生した
「キックボクシングを世間に広めるためには、
選手育成はもちろんのこと、
テレビで放映してもらうことが不可欠」
そう考える野口はしょっちゅう沢村を連れてTBSへ出かけ営業活動にいった
キックボクシングの説明をし
沢村対サマン戦のビデオを放送して欲しいとアピールした
最初は相手にされなかったが
1年半もの活動の結果、
ついに森副部長が興味を示し
自分が手がけていた番組「サンデースポーツ」の中で沢村対サマン戦を紹介
こうして初めてキックボクシングが公共の電波で放映された
超人的な特訓
「タイ式とは違う一撃必殺の空手の威力が
タイ式のスピードとタイミングの上に乗ればいいんだ」
空手家からキックボクサーとなるべく沢村は本格的にトレーニングを開始した
全身を武器とするため自ら様々なトレーニング方法を考え出し超人的な特訓に取り組んだ
みぞおちの急所を守るため15kgくらいの鉛の玉を何度も腹で受け止める「腹筋鉛玉落とし」
野球のバットで腹をバットで30回くらい連打で殴ってもらいパンチに耐える不死身の体に鍛える「バットめったうち」
車のタイヤを天井からぶら下げそれを反動をつけて腹で受け止める「タイヤショック」
指の力を鍛えてパンチの力を増す「2本指腕立て伏せ」
コンクリートの柱におでこをたたきつけ頭突きの威力を増す「頭蓋骨固め」
足のバネを鍛えるための「鉄げたランニング」
むこうずねは弁慶でもうたれると泣くほどの急所だが、
スリコギを使ってスネを叩く「泣かずの弁慶特訓」では
叩くたびにスネは腫れ上がっていった
それでも我慢して叩いているとだんだんと痛みもなくなり腫れもしなくなった
スリコギでは役不足になり
牛乳ビンを使うようになり
半年もするとビール瓶をスネで叩き割れるようになった
そしてビール瓶を克服すると今度はコーラのビンを使うようになった
そのころの野口ジムのタイ式の日本選手は沢村1人だけで
あとはタイ人選手が4人いるだけだったが
沢村はその4人を練習で血祭りにあげた
ジムにあった急所図
次の段階として沢村は90日間のビザを取得して1人タイへ向かった
そして知人の紹介でタイの富豪の家に住みこみの使用人として働きながら本場タイの技を学んだ
「タイのルンピニ系のジムは陸軍が統治していました
私は軍の将校の家に下男として登録され訓練に明け暮れました
軍には徴兵で集められた優秀なボクサーが何人もいました
練習にはこと欠きません
日本人の練習生は彼にとって良い標的でした
激しい訓練で私は空手からキックボクサーとして変身していったのです」
(沢村忠)
沢村忠の帰国後、
野口修氏はキックボクシングのコミッションを立ち上げ
選手の募集と育成に着手した
ボクサーで名乗り出る者はなかった
野口は日本中の空手家に声をかけ選手をかき集めた
帰国後、沢村は一気に9連勝した
しかも9人中8人が強烈な蹴りをくらって肉離れを起こした
人間凶器となった沢村に野口はある話をもちかけた
「本場タイ国のチャンピオン級と勝負する気はあるか?
これを東洋ミドル級タイトルマッチにし、お前が勝てばチャンピオンだ」
「しかし、チャンピオンは本場タイで決めているんでしょう」
「ああ
タイ式のチャンピオンはな
だがキックボクシングのチャンピオンはまだ決まっていない」
「え、すると」
「そうだ
いよいよ日本におけるタイ式ボクシングをキックボクシングの名のもとにスタートさせることにした
それにはタイ国一流に勝たなければファンは納得せん
自信はあるか」
「怖いです
しかし、死んでもやります」
いいファイトをすれば必ずお客さんはつく
沢村がサマン・ソー・アジソンに惨敗した悪夢の日からほぼ1年
東京新宿体育館でキックボクシング発足記念発表会の試合の日が来た
新宿体育館は超満員となった
メインイベントはモンコントン・スイートクンvs沢村忠の東洋ミドル級王座決定戦
試合前、沢村はスイートクンがタイでソー・アジソンに勝っていることを知って驚く
「本当ですか、会長」
「その通り
そのくらいの大物の勝たなくては、新生キックボクシングのチャンピオンとして日本では認めてくれん」
そして試合開始
余裕綽綽のモントーコンであったが、沢村は互角に渡り合う
あせりはじめるモントーコンに対して精神的に優位に立つ沢村
そして沢村の飛び蹴りがモンコートンの胃をえぐる
リングサイトで見ていた寺内大吉は
「タイ人の黒い肌がそこだけ一瞬色を失った」
と表現した
結果は3R、沢村のKO勝ち
これで悪夢の敗戦から復活後10連勝
キックボクシング東洋ミドル級チャンピオン沢村忠が誕生した!!
それはまた日本キックボクシング界の夜明けでもあった
この試合は「サンデースポーツ」の中で放送された
ただ試合10日後に放送される録画放送ではあったが従来の扱いに比べれば格段の進歩だった
とはいえ、まだ経営は苦しかった
この頃、沢村は日本橋の穀物取引関係の会社に勤めながらジムに通った
まだまだキックで生活が出来るには遠く及ばなかった
会場設営、ビラ配り、ポスター貼り、切符売り・・・
全て沢村を含めた選手とスタッフが全員で行っていた
野口は沢村に言う
「これからが大変だ
今日からは追う立場から追われる立場
追われる立場が追う立場より数倍厳しいことはすべてのスポーツのチャンピオンが認めている
お前の王座を狙って次々に本場タイ式の強豪が日本を襲ってくる
これに打ち勝つのは人並みの業ではダメだ
お前だけの必殺技を身につける必要がある」
.
真空飛び膝蹴り
沢村は自分の必殺技は何であるか考えて、足技であると思った
「タイ式ボクシングは400年の歴史がある
マットの上だけの技ではとてもタイ式においつけぬ
だが僕独自の足のバネによる空中からの攻撃
これこそ歴史にみがかれたタイ式を破る強烈な武器になる」
沢村は飛び蹴りを意識して出すのではなく無意識に出せるように徹底して反復練習した
ある日、野口は気合をこめてキックの練習を繰り返す沢村をみていた
そして沢村の体が引力の法則に逆らって一瞬ピタリと空中に停止するのがみえた
「沢村よ
俺は見たぞ
蹴る寸前、確かにお前の体が一瞬、空中で静止した
あたかもそこが真空地帯になったように
ひょっとするとこれが必殺技の手がかりかもしれん
ただの飛び蹴りでは必殺技にならん
なぜなら敵も蹴られそうな急所を予測して防いでしまうからだ
しかし一呼吸おいて、空中からの蹴りを敵に見舞うことが可能だとしたらどうなる?」
沢村は真空飛び蹴りの開発についてこう語っている
「引力の法則に逆らって人間の力で空中に真空を作る
この途方もない夢の実現のために
僕がまずヒントにしたのは、走り幅跳びの選手だった
走り幅跳びの選手はそのジャンプが頂点に達したせつな、
そのまま落ちてしまうところをもう一息、空中で両足をバタバタやることにより、
滞空時間とジャンプ距離を伸ばす
このせつな、彼らも引力の法則に逆らい真空地帯を作り出している
それを僕もやってみようと思ったんです」
足のかわりに両手をバタバタさせて真空状態を作ろうと特訓を繰り返す沢村
それを見て周りの人間は沢村を狂人扱いした
特訓を繰り返す間にも試合は行われるが客の入りはまばらだった
沢村はKO記録を重ねていくが、本場タイでは沢村の存在を本気に取り扱っていなかった
金のなかった沢村は
犬のえさを食べ
23円の銭湯代がなくて猛練習のあと頭から水道の水をかぶった
そして沢村は特訓の結果、膝蹴りが有効であることに気づいた
「幻の必殺技は真空飛び蹴りではなくて真空飛び膝蹴りだったのだ
確かに足の振り幅の大きいつま先蹴りはかわせても、振り幅の少ない膝蹴りはかわせん」
まず敵の頭上より高く飛び上がっておく
このとき最初から膝を曲げていては膝蹴りがくると敵に防御されてしまう
まっすぐ飛び上がり敵の頭上で右膝でいくか左膝でいくか決めるのだから防御のしようがない
助走なしてこの高さまでジャンプすることは沢村以外の選手は真似ができない
膝が敵の顔面の位置になるまで下降し、右でいくか左でいくか決めながら、完全に相手の隙を見極めることができる
まさしく真空だった
「歴史的にみて1年対500年なのです
日本の武道では手や足を使っても最強のヒザは活用したことが無いのです
手、足で対抗できてもこれでは勝てません
しかし空間を蹴り、重力とひねりで相手にヒザをぶつける
これはタイにはありませんでした
蹴るときには常に軸足が地に着いている
これが常識です
でも常識を守っていれば勝機はないのです
私は空を飛びました
”真空”がついたのは当時のアナウンサーの石川顕さんか解説の寺内大吉さんが命名したのでしょう
いずれにしてもこれが私の勝利の方程式になったのです
偶然ではなく
勝つための必然だったのです」
(沢村忠)
バイヨク・ボーコーソー
沢村が血みどろで真空飛び膝蹴りに取り組んでいるころ
野口も新生キックボクシングの発展のため血を流していた
テレビ局に毎日のように姿を現した
「粘りますよ
いくらでも
わがキックボクシングを毎週テレビで定期放送していただくまでは」
そして野口は沢村に言った
「お前の真空飛び膝蹴りでテレビ局と勝負してくれ
今度テレビでキックの試合が放送される
その試合でお前はジャイアント馬場にもファイティング原田にも負けないキックの威力を真空飛び膝蹴りでテレビ局に示すのだ」
「そして一気にキックを定期放送に持っていくわけですね」
「む、久しぶりにすごい大物を本場のタイから呼ぶぞ」
そして沢村と野口は対戦相手のバイヨク・ボーコーソーを出迎えに羽田空港に行った
バイヨク・ボーコーソーは、以前沢村を16回もダウンさせたサマン・ソー・アジソンをやぶっていた
「ボーコーソーはどんなタイプの選手なのですか?」
「不死身の鉄人
その一言に尽きる
本場タイでも不死身ぶりにかけては、ボーコーソーの右に出る選手はおらん」
「つまり、俺の真空飛び膝蹴りが一番通じにくい男」
「そういうこと
敵が不死身であればあるほど、これを倒したとき、真空飛び膝蹴りの威力は光り輝く」
記者会見でボーコーソーは報道陣に愛嬌をふりまいた
そしてコーラ瓶を腕にはさんでへし折るパフォーマンスを見せた
試合当日、浅草公会堂は超満員だった
王者:沢村vs挑戦者:バイヨク・ボーコーソー
1R
沢村の先制攻撃がことごとく命中するが、ボーコーソーの顔から笑顔が消えない
2R
沢村は投げ技をボーコーソーに仕掛けるが、まったくきかない
次第に沢村は窮地に追い込まれていく
(のるかそるか、失敗を恐れている男に勝利はない)
そして気合とともに空中に飛び上がる沢村
ボーコーソーの顔からスマイルが消えた
(左に隙あり)
沢村は右膝をボーコーソーの顔面にヒットさせた
ボーコーソーはたまらずダウンしてテンカウントを聞いた
沢村は劇的な飛びヒザ蹴りで見事タイトルを守った
「よくやった、沢村
だが俺は喜びの今よりも厳しい明日を見る主義だ
男はそうありたいと思う
ボーコーソーを倒したこの瞬間から、本場タイ式ボクシング界はお前を大敵として認めた
打倒沢村に総力をあげてぶつかってくるぞ」
「望むところです」
この試合はTBSのサンデースポーツで放送され
テレビ中継の視聴率22%だった
真空飛び膝蹴りと共にキック人気は急上昇していった
「八百長じゃねえか」
名前が売れるとジムに道場破りが現れるようになった
ボクサー、合気道、空手、喧嘩屋、柔道・・・
20人以上の道場破りが来たが
沢村相手に1分もった男はいなかった
沢村は21連勝し11度目の東洋タイトルの防衛に成功した
しかし野口の顔は渋かった
「キックの人気が盛り上がっているのに
まだいっこうにテレビ局は毎週放映するとはいってこない
なぜなのか私には理由がわからん
沢村の真空飛び膝蹴りの一撃必殺のスリルは
ジャイアント馬場の32文ミサイルキックにもおとらんと思うが」
親しい記者がいった
「ジャイアント馬場が倒す外人プロレスラーは1流ぞろいだ
ちゃんと本場アメリカから情報がはいるからねえ」
「それでは沢村が倒すキックボクサーは一流でないと君はいうのか? 」
「そうはいいません
ただね、2流3流をつれてきて1流だ、殺し屋だと凄みをつけることもできるという話しでさ」
その後も悪評は野口の耳にちらほら入ってきた
「タイの選手があんなに簡単に負けるわけがないじゃないか
相手が手を抜いているのかも知れない
タイでやったらああはいかないさ」
「八百長じゃねえか」
野口は頭に来た
しかし同時に記者の言うことも確かに一理あると思った
結局、実力を証明するためにこちらからタイへ乗りこみ敵地でチャンピオンと戦うしかないと結論した
「タイ式ボクシングはタイ国だけのもの
情報もはいらん
沢村が勝ちすぎると変にかんぐる島国根性の人間もおる
そこでだ
誰にも文句を言わさぬ日本キックボクシング界の運命をかけた大勝負をたったいま私は決意した
こちらからタイ国に殴りこみをかけるのだ」
「僕は東洋チャンピオンになっても、
真空飛び膝蹴りを編み出しても
決してスター気取りで浮かれていない
いや、浮かれるほど甘くないんだ
キックの人気は相変わらずパッとしないのだから
テレビ放送は月1回だけ
チャンピオンになっても僕の試合場は1000人しかはいらない浅草公会堂だ
試合のリングは僕や遠藤マネージャーが自ら素人大工で組み立てる
切符は友人や知人を頼って売り歩くんです
キックを知らない相手に身振り手振りで説明しているうちに惨めで悲しくなる
苦労のあげく血で血を洗う命がけの試合をやって僕が手にするファイトマネーは最高で3万円
それも一ヶ月に一度試合があればましなのだから東洋チャンピオンの収入は工員さんや店員さん以下だ
僕は愚痴をこぼしているんじゃない
決して派手なスター気取りでキックをやっているんじゃない
こうなったら絶対に負けんぞ」
,
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