KDDI社が展開するケータイ端末の歴史を俯瞰できる「auケータイ図鑑」を観て、通信キャリア大手の歴史をまとめてみたいと思いましたので、可能な範疇でまとめてみます。
auケータイ図鑑|おもいでタイムライン
最初に「通信自由化」あり
1985年以前は「国内電話=電電公社」「国際電話=国際電電(KDD)」
「通信自由化」に端を発した、各社の設立や合併などについて振り返っていきましょう。
かつてお世話になったケータイ会社が出てくることと思いますよ。
まずはNTTグループの変遷について。
1985.4 日本電信電話(NTT)
電電公社⇒NTTへ

カエルコールのCMも懐かしいですね
1988.5 NTTデータ通信
NTT⇒NTTデータ通信が分社

NTT DATAの企業ロゴ、懐かしいですね
1998.8 NTTデータ

2012年から、現在の企業ロゴに
1992.7 NTT移動通信網
NTT⇒NTT移動通信網が分社

国の決定でNTTから移動体通信業務を分離
1990年代中盤にはポケベルブーム
NTTドコモグループ及びテレメッセージ各社が提供していたポケベルサービス。
ケータイやPHSが登場する前、ポケベルが普及しました。女子高生(コギャル)中心にポケベル文化は大流行をみせました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
1994 NTTパーソナル
「エヌ・ティ・ティ中央パーソナル通信網株式会社」を初めとするグループ会社で、PHSサービスを提供。
北海道・東北・中央・東海・北陸・関西・中国・四国・九州の総計9社の地域会社が存在しました。

とんねるずの「みんなを電話にする会社」も話題に
NTT移動通信網に事業譲渡後、2008年にはPHS事業がサービス終了となりました。
携帯電話よりすごい時代もあったPHS 発売されたユニークな端末たち - Middle Edge(ミドルエッジ)

2008年から、現在の企業ロゴに
1999.7 NTTグループ再編
持株会社とNTT東日本、NTT西日本、NTTコミュニケーションズとに分離。
![新しいNTT(持株会社)の戦略子会社として、1999年に営業開始。
都道府県を越えて行なわれる長距離通信事業、フリーダイヤルなどの特殊付加電話サービス事業、インターネット・サービス・プロバイダ事業 (OCN) をNTTから受け継ぐとともに、国際通信事業]に新規参入。](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
1997年のNTT法改正によるNTT再編として、NTT から分割された4社のうちの1社
2016年現在、NTTグループは持株会社のNTTとNTT東日本、NTT西日本、NTTコミュニケーションズ、NTTドコモ、NTTデータとなっています。
次に、多岐に渡る企業が関わることとなったKDDIグループの変遷について。
1953.4 国際電信電話(KDD)
電電公社の国際通信部門でした

電電公社から国際通信部門が分離
1984.11 日本高速通信(TWJ)

通称はテレウェイジャパン
1998.12 KDDにTWJが合併
「ゼロ・ゼロ・ワンダフル」のCMも懐かしかった90年代も終盤の1998年。
KDDを存続会社として日本高速通信(TWJ)と合併、ケイディディ株式会社(KDD Corporation)誕生。
この時点で郵政省共済組合 (9.26%) に次いでトヨタ自動車が第2位株主 (8.42%) となり、トヨタが役員を派遣し経営に参加。
1984.6 第二電電(DDI)

創業は京セラ社長だった稲盛和夫
その後、関東・中部を除く全国にセルラー8社が誕生
第二電電 - Wikipedia
関東、中部には同時期に日本移動通信(IDO)が設立されました。
1994 DDIポケット
1994年7月に株式会社ディーディーアイポケット企画設立。
同年11月、株式会社ディーディーアイポケット企画がディーディーアイ東京ポケット電話株式会社に。
同時に北海道、東北、北陸、東海、関西、中国、四国、九州に地域会社が設立され、PHS事業が開始されました。

出力・感度の高さを武器にPHSでトップグループに成長
若き日の華原朋美を起用したDDIポケットのCM、懐かしいですね
DDIポケットのその後

現在はソフトバンクへ
振り返れば懐かしい、90年代中盤のPHSを取り巻く環境
1987.3 日本移動通信(IDO)

日本高速通信(TWJ)が筆頭株主、トヨタが第二位株主となって設立
2000.10 KDDとDDI、IDOが合併してKDDIが誕生
合併と前後してブランド名も統一の運びに

統一ブランド「au」

「DDI+KDD+IDO=KDDI」※存続会社は第二電電(DDI)
トヨエツの懐かしい「IDOはどこにあるの?」CM憶えていますか?
一方、DDIセルラー8社の動き
2000年11月、セルラーグループ各社は、関西セルラー電話株式会社を存続会社として九州セルラー電話株式会社、中国セルラー電話株式会社、東北セルラー電話株式会社、北陸セルラー電話株式会社、北海道セルラー電話株式会社及び四国セルラー電話株式会社と合併し、株式会社エーユーに。
2001年3月には株式会社ディーディーアイが株式会社エーユーを完全子会社に。順次全国のauショップのシステム統合を実施。
同年10月にはケイディーディーアイ株式会社が株式会社エーユーを合併。
こうしてセルラーグループもあらかたKDDIに合流しましたが、唯一沖縄セルラーのみは単独で残り、現在もKDDIに吸収されていません。
ツーカー3社(1991.7東京、1991.10関西、1992.2東海)

ツーカーの由来は「気心の知れた人間関係」から
このツーカー3社は、1998年後半に設立母体で大株主だった日産自動車が経営危機状態となり、非中核事業のリストラを行ったことから、1999年9月にDDIによって買収されました。
後、2005年に完全統合されて「TU-KA」⇒「au」ブランドとなりました。
浜崎あゆみの印象も強かった「TU-KA」
浜崎あゆみが女子高生のファッションカリスマだったころ、TU-KAは彼女をCMに起用していました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
ブランド終盤には「通話とメールだけのシンプルなケータイ」を打ち出したことも
1986.3 東京通信ネットワーク(TTNet)

東京電力・三井物産・三菱商事・日産自動車の4社が大株主
1994~95 アステル

各地域の電力会社が母体となったPHS事業「アステル」
地域色が強かったことも手伝い、非常に多くのタレントが起用されていたアステルのCM
着メロの生みの親はアステル東京だった
ちなみに当時、リクルートからアステル東京へ出向していた柳田要一氏の発案で着信メロディの配信サービスが先駆けて行われ、1998年にアステル東京が着メロの商標登録を行いました。
アステル各社のその後
1999年、主要株主が共通で当時経営不振に陥っていたアステル東京を、同社の大株主であった日本テレコム(当時JR系)が出資より撤退した事によってTTNetが持株分を譲受、4月1日付で吸収合併(事実上の救済合併)。
これを皮切りに順次、母体の電力系通信事業者に吸収合併もしくは事業譲渡ののち法人清算となりました。
2002年8月には、日本テレコムから東京テレメッセージを2001年に買収したITベンチャーの鷹山が、TTNetからアステル東京を買収。
しかし同年11月には九州通信ネットワークがアステル九州の新規受付を停止。2003年11月にアステル九州のサービスが終了し、PHS事業者としては日本国内初のサービス廃止へ。
他のアステルグループも事業終了への流れが加速することになりました。
唯一異なる動きとなったのはアステル沖縄。
2005年1月にウィルコム沖縄に事業譲渡となり、以降はウィルコムと同じ流れとなりました。
1999.11 PNJコミュニケーションズ
アステルの流れとは一転、東京電力系のTTNetをはじめ全国の電力系通信事業者が、競争力を高めるための取り組みに動きました。
2001.10 PNJコミュニケーションズ⇒パワードコムへ
統合への第一段階として、同社がTTNet・中部テレコミュニケーション (CTC)・大阪メディアポート (OMP) の3社から法人向けデータ通信部門の営業譲渡を受け、同時に社名を株式会社パワードコムに変更しました。
2003.4 TTNetとパワードコムが合併し、新生パワードコムへ

経営再建後、KDDIによる吸収へ
ただ、皮肉にも経営再建がきっかけで、東京電力が通信事業からの撤退を視野にKDDIと協議を開始し、2006年1月1日、KDDIに吸収合併され、KDDI法人向けサービスに統合されました。
2006.1 KDDIによる合併

「NTT対抗軸を」KDDIによるパワードコムを吸収合併
1986.6 中部テレコミュニケーション(CTC)

中部電力を母体に設立
1996.10 沖縄通信ネットワーク

沖縄電力を中心に地元企業・金融機関・商社等34社の出資
元々のKDDに、京セラ、トヨタ自動車、日産自動車、大手商社及び全国の電力会社と、広範な企業群が集う形となったのが現在のKDDIの姿といえるのではないでしょうか。
なんとKDDIがキャリアの垣根を飛び越えた?携帯電話とともに思い出を振り返る「おもいでタイムライン」を公開! - Middle Edge(ミドルエッジ)
次に、こちらは度重なるブランドチェンジを経ていまのブランドとなったソフトバンクについてみていきましょう。
1984.10 日本テレコム(JT)

国鉄と三井物産、三菱商事、住友商事で設立
1991 デジタルホングループ
携帯電話事業新規参入第二陣としてJR東日本などと共同出資。
1991.7に東京、1991.11に関西、1992.3に東海の3社が設立されました。
1994 デジタルツーカーグループ
同時期に関東・関西・東海の3地区で展開を始めた、ツーカーグループとデジタルホングループ。
その他全国区での展開を模索するにあたり、当時の郵政省指導の下で株主である日本テレコムと日産自動車が手を組みました。

デジタルホングループと、後にKDDIグループとなったツーカー3社との合同事業
また同年、既出のアステル東京へTTNet(東京通信ネットワーク)と同一比率で出資し、設立母体として駅構内へのPHS基地局設置など一部分に関与しました。※1999年に撤退
1999.8 日本テレコムによるデジタルツーカー買収
日産の経営悪化で携帯電話事業などから撤退することになり、日産が保有していたデジタルツーカー6社の株式を、デジタルホン3社を有する日本テレコムに譲渡しました。
ほぼ同時期、同様に日産が保有していたツーカー3社についてはDDIが買収して「au」ブランドに。
1999.10 J-フォンブランドが誕生
デジタルホン3社、デジタルツーカー6社が「J-フォン」ブランドに統合されました。

J-PHONEブランドは1997年に誕生
当時「J-PHONE」というと藤原紀香のイメージが強かったですね
ブランド統合のCM「デジタルツーカーはJ-PHONEへ」
2000年10月には、合計9地域会社のうち8社が東日本・西日本の2社へ統合。東海のみそのまま存続し、全国3社体制となりました。
J-フォン以降の大きな流れに進む前に、その他ソフトバンクグループについて確認しましょう。
1986.7 日本国際通信(ITJ)

国際電話の新電電だったITJ
1986.11 国際デジタル通信(IDC)

伊藤忠商事・トヨタ自動車・英ケーブル・アンド・ワイヤレスなどの出資で設立
後の2005年2月、同社はソフトバンクによって買収されることとなります。
再び日本テレコム、J-フォンを取り巻く大きな動きに戻ります。
2001.10 ボーダーフォンによる日本テレコム買収
旧国鉄系から外資系に

始まりは1999年、通信世界大手のブリティッシュ・テレコムとAT&Tが日本テレコムに出資(ブリティッシュ・テレコム20%、AT&T10%)
ベッカムのイメージが強かったですね
2003年11月、当時ボーダフォン傘下の日本テレコムホールディングスが事業子会社の日本テレコムをリップルウッド・ホールディングスへ2613億円で売却すると発表。
この時点で、ボーダフォンは3年がかりで日本テレコムの本業・固定通信事業を切り離し、元々の狙いだった携帯電話事業のみを手中に収めることになりました。
しかし売却された日本テレコムおよびボーダフォンともに、更なる動きに見舞われることになります。
2004.7 ソフトバンクによる日本テレコム買収

買収価格は約3400億円
2006.4 ソフトバンクによるボーダフォン(日本法人)買収

買収価格は約1兆7500億円
ソフトバンクは固定電話、携帯電話の両事業を抱え、売上高2兆5000億円規模、提供回線数約2600万回線の総合通信事業者としてNTTとKDDIに対抗する。
http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0603/17/news074.htmlソフトバンク、ボーダフォン買収に合意 ヤフーも参加 - ITmedia Mobile

以降10年間、いまやソフトバンクブランドを確立
上述の2つの超大型買収、およびIDCやイー・アクセス(イー・モバイルと合併)の買収、既出のウィルコム買収、さらに自前で開始したBBテクノロジーなどの事業体を併せ持ち、ソフトバンクグループが形成されていきました。
お父さん犬シリーズが本格化する前の、懐かしいソフトバンクCM
いかがでしょうか、主な電気通信事業者の変遷。
多少割愛させていただきましたが、懐かしいサービス名やCMなどがあったのではないかと思います。
時代はスマホですが、私たちの世代にはポケベル、PHS、ガラケーと一通りの進化があったことを忘れたくないものですね。
2020年9月、NTTがNTTドコモを完全子会社化すると報道
今は無い携帯電話/ポケベルの会社・ブランド - Middle Edge(ミドルエッジ)
携帯電話番号の歴史 今度は「060」や「020」も開放?! - Middle Edge(ミドルエッジ)