歴代の笑点司会者の経歴をプレイバック
放送開始から50年も経つ今も、視聴率が20%を超える日曜夕方の定番番組「笑点」。テレビは見ないけど、笑点だけは習慣で見る!なんて人も多いのではないでしょうか。50年を機に、司会者が春風亭昇太に変わりましたが、今までで6名変わっています。歴代司会者から笑点をプレイバックしていきましょう。

初代 立川談志(1966年5月15日~1969年11月2日)

時代の風雲児である立川談志が、テレビで、舞台の寄席のようなものをやろうと言い出したのが「笑点」の始まり。つまり、笑点の生みの親の一人ですね。
しかし、放送開始から3年ほど経ち、今ではナチュラルですが、当時ではなかなかなかったブラックユーモアを主流にしようとして、円楽ら他のメンバーの対立。笑点を降板しました。

2代目 前田武彦(1969年11月9日~1970年12月13日)

談志降板後、当時は落語だけでなく漫才などにも挑戦していた事もあり、司会者は落語界からではなく、放送作家で、「夜ヒット」や始まったばかりでお化け番組となる「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」など人気司会者の地位を確固たるものにしていた前田武彦が抜擢された。

3代目 三波伸介(1970年12月20日~1982年12月26日)

てんぷくトリオで一世を風靡していた三波伸介が3代目司会者に抜擢。選ばれた理由が、てんぷくトリオで出演した時に、司会者の前田武彦が来れず、急きょ代理司会者をしたのが好評だったと、今では考えられない理由からだった。
4代目三遊亭圓楽(1983年1月9日 - 2006年5月14日)

約23年に渡り、笑点の司会を務め、創成期から出演している歌丸とともに笑点の顔。ミドルエッジ世代では、この人の司会が一番記憶に残っているのではないでしょうか?
芸に厳しいことで知られ、好楽などはあまりにも激しいダメ出しで、泣きながら逃げようとしたことも。
5代目 桂歌丸(2006年5月21~2016年5月22日)

5代目圓楽とともに、長年笑点を支えてきた笑点の顔!惜しまれつつ2016年5月に司会者を引退しましたが、今も終身名誉司会者となっています。
5代目圓楽の歌丸死にぞこないネタはもやは鉄板。
6代目 春風亭昇太(2016年5月14日~現在)

歌丸勇退後の司会者ですが、本命6代目圓楽と言われ、タモリやビートたけしなどの外部招へいの噂もあったものの、意外な春風亭昇太となり、将来を見越した若手の起用と話題となりました。
いかがでしたでしょうか?やはり今も昔も笑点は、日本の日曜夕方の心ですよね。今後もずっと、微笑ましい笑いを届け続けて欲しいです。