フォルクス、ウェンディーズ、らんぷ亭…ダイエーグループだった飲食店たち

フォルクス、ウェンディーズ、らんぷ亭…ダイエーグループだった飲食店たち

かつて日本有数の企業集団であったダイエーグループ。その中で外食チェーンであったフォルクス、ウェンディーズ、ビッグボーイ、らんぷ亭などの過去と現在。そしてなぜダイエーは牛肉関係の外食店が多かったのかについて紹介。


かつては栄華を誇ったダイエーグループ

創業者・中内功による強烈なリーダーシップにより、かつては日本最大の流通企業だったダイエーグループ。
マルエツやプランタン、プロ野球のホークスなどの買収により一大企業グループとなっていったが、外食・飲食店チェーンの買収や創業も積極的に行っていたことはあまり一般には知られていない。

ここでは、以前はダイエーグループだった外食チェーンについて紹介する。

丸が欠けたロゴは2代目のシンボルマーク(1975年 - 2005年)
いつまでも完全を追い求め続ける「永遠の未完成」を意図している。

昔のダイエー店舗

ステーキハウス『VOLKS フォルクス』(1970年~2005年2月)

ステーキ・ハンバーグ専門のファミリーレストラン。
「VOLKS(フォルクス)」とはドイツ語で「国民・民衆」という意味。

1970年、ダイエーがファミリーレストラン事業の一環として大阪市大淀区(現・北区)に設立し、一号店の中津店を出店。

当時、牛肉は輸入が制限され、ステーキはとても高価なご馳走であった。
ステーキ=お金持ちの食べ物というイメージであった時代に、「サラリーマン家庭でも手軽にステーキが食べられるレストランを」という中内功によるコンセプトで創業された。

カジュアルに手頃な価格で食べれるステーキは多くの家族に喜ばれ、日本のステーキレストランのさきがけとして広まった。
だが、次第に経済成長を遂げ舌が肥えてきた客にとって低価格のステーキでは満足感が低く、かといってステーキの質を高めれば価格が高くなり客が離れるというこというジレンマに。
価格変更を繰り返すなど戦略に一貫性を欠き苦戦した。

ステーキハウス『フォルクス』

1972年にはアメリカのステーキレストランで始まったサラダバーを導入。
チェーン展開するレストランとしては全国で初めてのことであった。
当初はレタスともやしだけという簡素な品揃えであったが、1975年に現在のような多彩な野菜が並べられるサラダバーに充実化が図られた。
現在はおかわり自由のスープバーやブレッドバーも導入している。

日本で初めてサラダバーを導入

テレビ番組「お試しかっ!」のコーナー「全て当てるまで帰れま10」で紹介されたときの人気No1はUS産 熟成サーロインステーキであった。
(2012年12月10日放送)

フォルクスのステーキ

2005年にダイエーの経営不振を理由に、「ステーキのどん」を運営していた株式会社どん(現・株式会社アークミール)に全株式を売却した。
※株式会社アークミールは吉野家ホールディングス傘下

現在の店舗数は44店舗。
(2016年2月1日時点)

ステーキハウス フォルクス

『Victoria Station ヴィクトリアステーション』(~1999年12月31日)

アメリカ発祥のプライムリブ(ローストビーフ)を中心としたステーキ・ハンバーグ専門のファミリーレストラン。
アメリカ合衆国で展開していたチェーン店を、ダイエーが日本国内において店舗展開した。

欧米の古い客車をデザインにした店内や、サラダバーのシステムを早くから取り入れ、当時先進的な存在であった。
実際に海外の鉄道で使用されていた貨車や車掌車を改装し、客席の一部にしていた店舗もあった。

ヴィクトリアステーション

最盛期で30店舗程度まで拡大していったが、その後、ダイエーの経営悪化により1999年12月31日を以って全店が閉鎖。
運営会社のヴィクトリアステーションジャパンは、2001年にダイエー系のアミューズメント施設を運営するファンフィールドに吸収合併され消滅した。

かつて、ダイエー傘下でファミレス事業を行っていた株式会社ビッグボーイジャパンが現在でも北海道内で「ヴィクトリア・ステーション」と言う屋号でステーキ中心のファミレス事業を行っているが、こちらとは一切関係はない。

ヴィクトリアステーション元社員らにより当時のスタイルに近い形のレストラン「ステーショングリル」が横須賀にて1店舗のみ出店されている。

ステーショングリル(横須賀)

アンガス・ビーフを使用した「プライムリブ」は、最高級の厚切りローストビーフ。
ヴィクトリアステーションの看板メニューであったプライムリブを当時のレシピで再現している。

プライムリブも提供中。

プライムリブ・ステーキ専門店 ステーショングリル

『Big Boy ビッグボーイ』(1977年11月~2002年12月)

1936年にボブ・ワイアンがアメリカのカリフォルニア州グレンデールで創業したステーキ・ハンバーグ専門チェーン。
1977年、日本ではダイエー系列のレストランとして、株式会社セントラル・レストラン・システムズを設立、翌年株式会社ビッグボーイジャパンに商号変更し、国内第1号店を大阪府箕面市に開店した。

マスコットキャラクターの名称は「ボビー」。
ビッグボーイを象徴する赤と白のチェック柄のズボン姿とサスペンダーを着用し、ハンバーガーを持つ仕草で愛されている。

Big Boy ビッグボーイ

ビーフ100%を使用した「炙り大俵ハンバーグ」と、店内でひとつひとつ丁寧に手作りした「手ごねハンバーグ」がメイン商品。

ビッグボーイ名物「炙り大俵ハンバーグ」

ビッグボーイは、開放的な1フロアーのアメリカ風の店舗に、調理場が客席から見えるオープンキッチンで作る手こねハンバーグやステーキ類をチャーブロイラー(焼き目を付けるグリドル)で焼き上げる工程が見られるなどの特徴がある。
比較的質の高いハンバーグを提供し、ハンバーグ系に強いレストランとして郊外型のロードサイド店舗を中心に出店が続けられた。
フォルクスと同様に、スープバー・サラダバーなども導入している。

2000年に「ミルキーウェイ」を展開する株式会社ミルキーウェイ(宮城県仙台市)、「ヴィクトリアステーション」を展開する株式会社ヴィクトリアステーション(北海道札幌市)と合併し、両ブランドを継承。
後に「グリル暖」が誕生して4ブランドとなったが、2010年6月にミルキーウェイ全店舗をビッグボーイに転換して消滅させた後にグリル暖を全店舗閉店したため、現在はビッグボーイとヴィクトリアステーションのみとなっている。

2002年、筆頭株主ダイエーの経営悪化により、株式会社ウェンコ・ジャパン(ウェンディーズ)とともにゼンショーに全株を売却され、ダイエーグループを離脱した。

ハンバーグ&ステーキレストランチェーン | ビッグボーイジャパン

ハンバーガーチェーン『Wendy's ウェンディーズ』(1980年5月~2002年12月)

デイヴ・トーマスが創業したアメリカのハンバーガーチェーン店。
中内功が訪米時にウェンディーズの味に感激し、日本誘致が決まったのが始まりである。

日本をはじめとする世界26か国に6000店舗以上を展開している。

「ウェンディーズ」という屋号は、当時 「ウェンディ(Wendy)」 のニックネームで呼ばれたデイヴ・トーマスの娘メリンダ・ルー・トーマスにちなんでいる。当初は「ウィンダ(Winda)」だったそうだが、本人にとって発音が難しかった為ウェンディに変えたと言う。

Wendy's ウェンディーズ

1980年、ダイエーが米ウェンディーズとフランチャイズ契約を結ぶ。
その受け皿としてダイエーグループにおいてハンバーガーチェーンを展開していた株式会社ドムドムを利用することになり、社名を株式会社ウェンコ・ジャパンに変更。

これ以降、社内にはドムドム事業本部とウェンディーズ事業本部が並行しておかれ、フランチャイザーでありながらフランチャイジーでもあるという、あまり例のない業態の会社であった。
1990年代末期には、全国で100店舗体制を達成。

2002年、ダイエーの経営危機に伴う子会社の整理により、同じダイエーグループだったビッグボーイと共にゼンショーに売却された。

そのゼンショーは2009年にウェンディーズとフランチャイズ契約を打ち切り、ウェンディーズは日本から撤退した。

しかし2011年にはヒガ・インダストリーズと提携して日本に再び進出、フランチャイズではなくウェンディーズ・ジャパンを共同で設立している。

2016年5月23日、サントリーホールディングスが100%子会社・ファーストキッチンの全株式をウェンディーズ・ジャパンに売却する方針だと、各紙が報じている。

2014年に登場した「プレッツェルバーガー」。
使用しているプレッツェルバンズは日本市場向けに研究・開発した。

現在の名物「プレッツェルバーガー」

Wendy's Japan

牛丼チェーン『神戸らんぷ亭』(1993年2月~2005年12月)

『神戸らんぷ亭』は牛丼専門の外食チェーン店。
1993年2月に、ダイエーグループの株式会社蔵椀が、牛どん事業を開始。
東京・恵比寿に1号店開店。
同年8月には 株式会社ダイエーの全額出資で、株式会社神戸らんぷ亭が設立され牛丼店のチェーン展開を開始した。

『神戸らんぷ亭』ネーミングの由来
【神戸】
・牛どんの発祥地「神戸」に因む。
・設立時の親会社のダイエーが神戸市を本拠(登記上本店所在地)としていること。
・神戸=牛肉というイメージがあること。
【らんぷ】
・文明開化の象徴であり、暖かく人々をつつむ「らんぷ」の灯のイメージ。
・庶民の心の灯になりたいという大いなる心意気。

東京・恵比寿に1号店を構え首都圏を中心に多数存在したが、名前に付いている「神戸」や他地域への出店実績は無い。

吉野家の牛どん(並)が400円であった時代に、 牛どん(並)を290円で販売開始。
しかし、1996年7月から1998年3月にかけて3回にわたって値上げした結果、吉野家と値段が並んでしまった。
その後、2001年に値下げしている。

神戸らんぷ亭

低価格ながら当時の最大手吉野家に最も近い味と評され、愛好家も多かった。

神戸らんぷ亭の牛どん

最盛期は、すき家、吉野家、松屋、なか卯に続く業界5位だった。

2005年、ダイエーの経営難に伴う子会社の売却に伴い、ITサービス企業であるミツイワ株式会社の子会社となった。

2010年1月に日本初の塩牛丼を発売した。
2014年には一部店舗を新業態のカツ丼専門店・かつ丼屋(かつどんや)に転換した。

2015年に筆頭株主がミツイワからマックグループに異動した後は、同じマックグループのチカラめし(現在の株式会社イー・ダイニング)同様、横浜家系ラーメン店・壱角家への転換を進めた結果、同年7月31日までに神戸らんぷ亭は全て閉店した。
なお、当初家系ラーメン店に切り替える予定であった銀座店は、9月10日に「銀座らんぷ亭」として営業を再開したが、メニューに牛丼は含まれていない。

株式会社神戸らんぷ亭

英国風パブチェーン『HUB ハブ』(1980年~2002年)

1980年、 ダイエー子会社として、株式会社ハブを設立。
3月に「HUB」1号店を神戸市に開店した。

居酒屋のように『食べながら、飲む』ではなく、イギリスのパブのように『飲みながら、会話する』場所というのが創業時に中内功が立てたコンセプトであった。
そのため、部下には『食事メニューには手をだすな』と語っていたという。

HUB(ハブ)の外観

HUB(ハブ)の内装

1986年 旧株式会社ハブを解散し、ダイエーグループ内の外食業再編に伴い株式会社キャプテンクックに事業継承。
1989年 再びダイエーグループの外食業再編に伴い、キャプテンクックから株式会社りきしゃまんに営業譲渡。
1998年 株式会社ハブ(ダイエーホールディングコーポレーション子会社)を設立。りきしゃまんから営業を譲渡される。
2002年 ダイエーが保有する株式会社ハブの株式を村さ来本社(フード インクルーヴ、現:ジー・テイスト)・加藤義和(加ト吉(現:テーブルマーク株式会社)元社長)・21LADYに譲渡。加ト吉の連結子会社となる。
2009年9月4日 大株主の21LADYが保有する全株式を一六堂に売却。
2010年2月22日 テーブルマーク及びフード インクルーヴが保有する同社株式計4,110株をロイヤルホールディングスに譲渡、同社が筆頭株主となる。
この売却によってフード インクルーヴは株主ではなくなり、テーブルマークも第3位株主に退いた。
2011年2月23日 大株主の一六堂が保有する全株式を河内屋に売却。
2012年1月30日 テーブルマークが保有する同社株式計1,220株を久世に売却、テーブルマークは株主でなくなった。

英国風パブ HUB | 82ALE HOUSE

その他、ダイエーグループの飲食店

上記に上げた外食チェーン以外では、弁当チェーン店として『ほっかほっか亭』がある。
提携により、1999年4月まで関東地方を始めとした東日本で展開していた。

また、クレープ店の『ディッパーダン』と、ハンバーガーチェーン店『ドムドムハンバーガー』は現在もダイエーグループ内に存続している。

クレープとジェラートの店。
ダイエーのフードコートを中心に店舗が存在し、イオングループ入り後はイオン、イオンモールにも出店している。
 アメリカ合衆国イリノイ州のシカゴに存在したアイスクリームチェーン「スイフトディッパーダン社」と提携して1972年12月に1号店を東京都中央区八重洲に開いた。

ディッパーダン(Dipper Dan)

ダイエーが米マクドナルドとの交渉決裂により独自に展開した日本初のハンバーガーチェーン。
ダイエー、グルメシティ、イオンなど商業施設のフードコートや、かつてダイエーグループであったマルエツなどへ全盛期には400店舗出店していた。

ドムドムハンバーガー(DOMDOM)

【ドムドムハンバーガー】全盛期は400店舗を誇ったダイエーグループの「ドムドムハンバーガー」!日本初のハンバーガーチェーンを応援しよう!! - Middle Edge(ミドルエッジ)

「懐かしい!」と話題の【ドムドムハンバーガー】に行ってみた

なぜ、ダイエーグループは牛肉の飲食店ばかりだったのか?

「日本人に肉を腹いっぱい食わせたい!」

ステーキ、ハンバーグ、ローストビーフ、ハンバーガー。
ダイエーグループの飲食店はHUBなど一部を除き牛肉をメインに提供していた。

これはダイエー創業者、中内功の戦争体験にあったと言われている。
太平洋戦争のフィリピン戦線へ通信兵として出征した中内は苛烈な飢餓体験を味わっている。
ジャングルの中で蛭を食べてみたり、靴の裏を噛んだことすらあったという。
あまりの食料不足に人肉食いの噂がつきまとうような環境だった。

また、敵の手榴弾により死を覚悟したとき、神戸の実家で家族そろってすき焼きを食べている風景が頭の中に浮かび「ああ、もう一回、腹いっぱいすき焼きを食べたい・・・」と強く願ったという。

九死に一生を得て復員した中内は、戦後アメリカで見た牛肉を安くたくさん食べられる文化にショックを受ける。
そして、「自分の手で日本人を腹いっぱい食べさせなきゃあかん」と考えるようになった。

規制を回避するための裏技から生まれた牛肉の多業態展開

価格破壊を身上としたダイエーは、当時高嶺の花であった牛肉を主婦が気軽に買える値段にしようと考え、利益度外視で通常店舗の半値近くで販売する。

あまりの好評に売るための肉が足りなくなったが、当時は規制により輸入肉を販売することはできなかった。
そこで中内は、返還前の沖縄からの輸入には関税がかからないことに目をつけて、安価なオーストラリア産の子牛を沖縄に運び、6ヶ月間飼育した後、国内に輸入する方法を考えついた。

牛一頭を解体し、まずはすき焼き用の肉などを取り出し、スーパーのダイエーで販売する。
そして、スーパーでは高くて買ってもらえないステーキ用のヒレ肉のためにステーキハウス「フォルクス」を立ち上げる。
さらに、骨まわりの中落ち肉を有効活用するためにハンバーグレストランの「ビッグボーイ」を展開。
こうして、ダイエーは牛肉の多業態チェーンを拡大してくことになった。

お肉を腹いっぱい食べれることに感謝。

こうして日本に牛肉を安くたくさん食べられる習慣に貢献した中内だが、亡くなるまで「腹いっぱい食え」が口癖だったとという。
(2005年没、享年83。)

飽食の時代に育った我々の世代には想像もできない経験と志、そして工夫によって日本に根差した牛肉文化。
かつてダイエー傘下であった飲食店を利用する際には、こんな歴史に感謝しながら「腹いっぱい」頂きたいと思う。

中内功(なかうち・いさお)
※「中内功」の「功」の字は、正しくは「エ」に「刀」。
ダイエー創業者。戦後、ダイエー創業から約15年で百貨店の三越を抜き小売業売上高一位となり、1980年には日本の小売業として初の売上高一兆円を達成。
価格破壊を起こし、日本の小売業の発展を後押しし、カリスマ経営者と呼ばれた。

流通王と呼ばれた故・中内功

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