橋本真也 - Wikipedia
橋本真也:1984年 『新日本プロレス入団~ヤングライオン時代』
1984年に新日本プロレス入団。
同期はご存知の通り、武藤・蝶野らであった。
新人は坊主という決まりのため、橋本も坊主のはずだが
ちょっと伸びた画像しかなかった。
体型は細いがお腹周りの肉がこの後の体型を想像させる。
ヤングライオン時代の橋本真也
橋本真也:1987年 『海外武者修行時代』
ヤングライオン杯準優勝をきっかけに海外遠征へと旅立つ。
モンゴル人ギミックの『ハシフ・カーン(Hashif Khan)』の誕生である。
まだそこまで太っていない。
ヤングライオン杯でニールキックを見舞う橋本
橋本真也:1988 『闘魂三銃士の誕生』
長州が全日本に移籍。
若手の売出しが急務だった新日本プロレスが白羽の矢を立てたのが同期3人だった。
もう太ってきている、橋本真也。
橋本真也:1990 『「時は来た」の名言誕生』
この頃は顔がパンパンである。
太りすぎじゃないかと心配になってしまう。
鉢巻が似合う橋本真也
橋本真也:1993~97 『Mr.IWGPとして大活躍』
この頃にはもう全盛期の体つきである。
いい感じのあんこ型でこの体型から繰り出されるキックは破壊力に説得力があって、重そうな音が会場に響いていた。
パンタロンが落ちてこないか心配だった。
高田のベルトを奪還する橋本真也
橋本真也
橋本真也:1997~2000 『小川直也との抗争』
都合5回戦うことになる小川との抗争は、プロレスの枠を超えた社会現象にもなった。
特に1999年(平成11年)1月4日の東京ドームでの試合は、シュートとも言える凄惨な試合となり世間を騒がせた。
もう体型はあんまり変わりません。引退をかけた第5戦はちょっと痩せてます。
シュートと言われた遺恨試合
橋本真也対小川直也
橋本真也:2001 『新日解雇〜ZERO-ONE旗揚げ』
遺恨のあった小川と和解し、OH砲を結成。
個人的には橋本が一番輝いていた時期な気がしている。
体型はちょっと弛んできちゃってますかね。。。
OH砲結成!(小川直也&橋本真也)
橋本真也:2004 『まさかのハッスル参戦。』
2004年からハッスルに参戦。
ハッスルキングとして、かつてのライバル高田や小川と興行を盛り上げていた。
お馴染みハッスルポーズ
ハッスルキングに扮した橋本真也
橋本真也:2005~ 『ZERO-ONE崩壊、闘病〜最期』
2005年、40歳という若さで逝去。
睡眠時無呼吸症候群も遠因であったと推測されている。が太く生きたのが橋本らしいと思う。
息子がもう少し頑張って欲しいところである。
晩年の頃の橋本真也