高校教師から転身した「センセイ」、智ノ花。

智ノ花(智乃花)
『智ノ花』入門までの経歴。
幼少時に両親が離婚し、叔父夫婦の援助を受けながら育った。
その叔父が法政大学の相撲部出身であった影響から相撲を始め、日本大学相撲部では全国学生相撲選手権大会を始めとする数々の大会で活躍し、大学4年生の時には主将を務めた。

日本大学相撲部時代の智ノ花
大学相撲で「完全燃焼した。」とプロには進まず、大学卒業後は山口県の中学校や大津高校(現大津緑洋高校)で保健体育の教諭として勤めながらアマチュア相撲で活躍。
1989年にはアマチュア横綱のタイトルを獲得した。
教職を捨て、歴代最高齢の27歳で入門。
日本大学の後輩である舞の海の活躍に触発され、大津高校在職中に大相撲入門を決意。

舞の海
同じく日大の後輩である大翔鳳がいた立浪部屋に入門した。
年齢と妻子持ちの高校教員であることから入門を決意した際他のどの部屋も冷ややかな目で見ていたが、唯一立浪部屋は歓迎していたのでこれが入門の決め手となった。
1992年3月場所、幕下付出で初土俵。
27歳での初土俵は年6場所制になってからの史上最高齢であり、高校教員からの転身であることや、既に妻子持ちであることで話題になった。
逆境を跳ね除けスピード出世。
教員時代の教え子世代は兄弟子であったり、苦しい立場を経験するが「強くなって関取になるしかない。」と奮起。
入門から4場所目で幕下優勝して十両昇進。
9場所目で幕内に上がり11場所連続で勝ち越し。
12場所目の1994年1月場所では新小結に昇進した。
これは、幕下付出からの記録では横綱・輪島を抜くスピード三役昇進であった。
珍しい決まり手『居反り(いぞり)』など豊富な技で土俵を沸かせる。
現役中の決まり手は34種類で、「技のデパート」と言われた舞の海の33種類よりも多い。
なかでも、非常に珍しい決まり手である居反りで一度勝利したことのある力士としても知られている。
若貴ブームによる大相撲黄金時代に上手く乗り、智ノ花の取組の時は視聴率が上昇し、他にもニュース番組(FNNスーパータイムなど)で単独特集が組まれるほどの人気を誇った。

居反り(いぞり)とは
【智ノ花】名勝負集

智ノ花 対 曙
三役昇進から1場所で平幕に陥落。その後は低迷を続け引退へ
新小結に昇進した1994年1月場所では大敗を喫して1場所で平幕に陥落し、三役経験はこれが最初で最後となってしまった。
年齢による衰え・怪我や技を研究されたことにより成績が低迷し、さらに幕内下位から十両にまで陥落。
十両への陥落時に四股名を「智ノ花」から「智乃花」に改名。
2001年9月場所、十両下位で5勝10敗と負け越し幕下への陥落が決定的となったため、11月場所前に37歳で現役引退した。
幕下に落ちた直後で勝ち越せば十両復帰できたので続けるつもりだったが、怪我で満足な稽古ができず同場所前に引退を決めたと、智ノ花は引退理由について語っている。
引退後の『智ノ花』
引退時に年寄名跡を取得していなかったため、大関・魁皇から借用し、準年寄・智乃花から年寄・浅香山を襲名。
2005年4月には立浪との部屋経営や指導方針を巡る意見の相違を理由に、立浪部屋から同門の友綱部屋へ移籍し、後進の指導に当たっている。
2006年3月、年寄・玉垣を襲名(元小結・若浪こと先代玉垣の停年退職後に名跡を取得)。

解説を行う玉垣親方(元・智ノ花)