鷹の男、【佐々木誠】はメジャーに最も近い男と言われる凄い男だった。

鷹の男、【佐々木誠】はメジャーに最も近い男と言われる凄い男だった。

トリプルスリーを意識した3拍子揃った男、ホークスの主力選手だった佐々木誠は、全盛期にはMLBに最も近い男と言われていました。そんな80年代に活躍した佐々木誠の軌跡をご紹介いたします。


南海ホークスの一番バッターとして盗塁王も2度獲った佐々木誠

1965年10月3日生まれ
身長181㎝、体重85㎏
左投げ、左打ち
ポジション:外野手

90年代のホークス核弾頭として、大活躍した佐々木誠
2度の盗塁王も獲得し、先頭打者で本塁打を放つなど3拍子揃った選手で有名でした。MLBに、すぐでも連れていきたいと、メジャー監督を唸らせた男です。

佐々木誠(ささき まこと)

佐々木誠の獲得タイトルや主な表彰と記録

首位打者:1回 (1992年)
盗塁王:2回 (1992年、1994年)

ベストナイン:6回 (1991年 - 1995年、1997年)
ゴールデングラブ賞:4回 (1991年 - 1994年)
月間MVP:1回 (1991年4月)

オールスターゲーム出場:6回 (1988年、1991年 - 1995年)

佐々木誠のプレースタイル?

走攻守の全てを完璧にできる選手として、全盛期には最もメジャーに近い男として称された男だった。
1990年の日米野球の終了時にもメジャー監督に、今からでも連れて帰りたい選手の一人として紹介されたほどである。
実際、目標とする選手に蓑田浩二を挙げて、トリプルスリーを目指していたほどである。

トリプルスリーを目指した男

佐々木誠の生い立ちからプロに入るまでの軌跡

1965年に岡山県倉敷市に生まれ、水島工業高校で甲子園を目指す高校球児だった。高校野球時代は投手として活躍したが、投手ではなく打者として見込まれ1983年のドラフトに6位で南海ホークスに指名を受けて入団する運びとなった。

一年目のプロ生活は、まだ高校生気分が抜けない部分があり、4年間プロでやって、活躍できなかったら野球をやめるつもりだったらしい。

しかし、山本一義コーチ陣に厳しい練習を受けて2年目の1985年には早くも1軍で54試合出場する活躍を見せることになる。

プロに入ってからの佐々木の活躍。

1993年は前年苦手にしていた渡辺久信から開幕戦で猛打賞を記録する[11]など好調なスタートを切ったが、5月22日に打撃練習で右肋間筋に挫傷を負い、一軍登録を抹消された[12]。同年のオールスターゲームでは第1戦で決勝点となる本塁打を含む3安打を挙げ、好返球による補殺もあって優秀選手賞を受賞している[13]。レギュラーシーズンでは3年連続でゴールデングラブ賞とベストナインを受賞した一方この年から本拠地になった福岡ドームの広さにチーム全体で苦しみ佐々木も本塁打はわずか7本に終わる。オフに秋山幸二、渡辺智男、内山智之との大型トレードで村田勝喜、橋本武広とともに西武ライオンズに移籍し、2,200万円増の年俸1億2,000万円(推定)で契約を更改している[14]。このトレードに際しては、チームが求めている長打力のある左打者で[15]、かつ秋山と同等の守備能力を持ち[16]、年齢が若くFA権取得まで2年ある点[15]などが西武側から評価されたという。一方、佐々木は自分が唯一尊敬する外野手である秋山とのトレードという点で驚いた[6]が、リーグ4連覇中の強豪に移籍する事を前向きに受け止めたという[17]。秋山については1年後にFA宣言して移籍する可能性も指摘されており、村田と佐々木という若い主力を獲得した西武側にメリットが大きいトレードだとも言われた[15]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E8%AA%A0_%28%E9%87%8E%E7%90%83%29

佐々木誠 (野球) - Wikipedia

西武、阪神で過ごしたプロ生活の後半戦

西武に移籍した佐々木を待っていたのは、2番打者だった平野兼の退団に伴って、1番辻に続く平野の後を任せられることだった。

実際には、2番を任せられたのは、数試合のみであり、ほとんど3番打者を任せられることが多かった。オールスターゲームでも斎藤雅樹から2ラン本塁打を放つなどMVPも受賞する活躍を見せたが、ファンからは秋山の代わりを期待され、本塁打を期待したが、自分の持ち味を生かすことに専念して、自己最多の84打点を挙げて、2度目の盗塁王も受賞した。

1995年には、腰痛に苦しみながらも全試合に出場した。オフにはFA権を取得するとMLBからのオファーもあったが、家族との生活を考えてMLBを断った。

FA権を宣言したうえで、西武に再契約金1億円と年棒2億円で西武に残留した。

1996年からは故障が増えて、1998年のオフには阪神タイガースに金銭トレードで移籍となった。

西武時代の佐々木誠

阪神タイガースで2年間在籍したが、慢性的な故障が原因で思うような活躍はできず、2000年のシーズンを最後に現役を引退した。

現役を退いてからの佐々木誠の活躍。

2001年でプレーヤーから完全に引退し、2002年にサンテレビ解説者、西日本スポーツ評論家を務めた後、2003年は古巣・ダイエーの二軍外野守備・走塁コーチに就任。2004年はオリックスの一軍外野守備兼打撃コーチ補佐、2005年は同球団の二軍であるサーパス神戸の外野守備・走塁コーチを務めた。2006年からは西日本スポーツ評論家に復帰するとともに、同年創部されたセガサミーのコーチに就任。この年の都市対抗予選では東京第1代表決定戦に進みながら、そこから5連敗して本大会出場を逃して社会人野球の厳しさなどにショックを受けたという[36]。 青島健太の監督退任に伴って2008年シーズンから2代目監督に就任すると、結果へのプロセスを重視して猛練習を課し[36]、同年はチームにとって2年連続となる都市対抗出場を果たしている。また、監督業と並行して2009年から九州朝日放送で野球解説者を務め、主に関東地区での試合の解説を担当していた。2010年にはJABA静岡大会で初優勝を果たし、齊藤勝と宮崎祐樹の2人がプロ入りするなどチームは成熟期を迎えた[37]が、日本選手権後にセガサミーの監督を退任した。また、同年12月7日にはプレーヤー部門で野球殿堂入り候補者名簿に掲載されている[38]。 野球観に共鳴したという監督の橋本哲也からコーチ就任を依頼されて2011年からはNTT西日本の打撃コーチを務め[39]、これにともない九州朝日放送では関西でのオリックス戦の担当が中心となった。同年の都市対抗では前年まで指揮を取ったセガサミーに1回戦で勝利したが、複雑な気持ちだったという[40]。当てにいかずにバットを振り抜くというシンプルな方針を打ち出し、助言が合わなければすぐに別のアイデアを出せる引き出しの多い指導で選手から信頼を得た[41]。翌2012年からは監督に就任した。2014年11月11日に福岡ソフトバンクホークスの3軍打撃コーチに就任することが発表された[42]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E8%AA%A0_%28%E9%87%8E%E7%90%83%29

佐々木誠 (野球) - Wikipedia

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