鉄壁の守備で二遊間を守り続けた男!広瀬哲朗

広瀬哲朗(ひろせ てつろう)
広瀬哲朗の獲得タイトルや主な表彰と記録
ジュニアオールスターゲームMVP (1986年)
ベストナイン:2回 (1993年、1994年)
ゴールデングラブ賞:2回 (1993年、1994年)
シーズン守備率:.991 (1992年)※達成当時、遊撃手としてのパ・リーグ新記録
広瀬哲朗のプレースタイルは?

鉄壁の守備を誇る情熱の戦士
他に見ない独特のタイミングの取り方から右打ちに徹することで、バッティングが開花し、守備だけでなく打撃も花が開きました。
更に、ホーム、二塁などではなく、一塁にヘッドスライディングをする闘志あふれるプレーでガッツのある男として人気を博した選手です。
広瀬哲朗のプロに入るまでの軌跡
広瀬哲朗 - Wikipedia
日本ハムに入団したが、苦難の道で花開くまで厳しい道のりでした。
広瀬哲朗 - Wikipedia
やっと、光を浴びれるようになったって感じですね。

広瀬哲朗 - Wikipedia
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野球の現役を退き、その後の広瀬は・・・
引退と同時に、その人柄からか人気を博していたので、テレビ朝日・文化放送の解説者に就任しました。さらには、タレント活動も開始して、2001年には歌手デビューも果たしているほど・・・。
タレント活動の傍ら、2001年から2005年まで女子野球の日本代表監督に選ばれ、2003,2004年には世界大会で優勝するほどまでになり、野球人としての活躍も魅せております。
2002年に、日本ハムの北海道移転構想が発表されて、北海道での活動が多くなった広瀬哲朗は、住居も北海道に移し、北海道放送の野球解説者。スポーツ番組のコメンテーターなど、北海道の大地で積極的にテレビ・ラジオに活動しているのです。

2005年には、広瀬塾と称する野球塾で少年たちに野球を教えたり、全国を渡り歩き、指導者という立場で、精力的にアマチュア野球の邁進に協力しているのでした。
