入団から40年間もヤクルト一筋だった男。八重樫幸雄。

八重樫幸雄(やえがし ゆきお)
八重樫幸雄の獲得タイトルや主な表彰や記録
ベストナイン:1回(1985年)
オールスターゲーム出場:3回 (1984年、1985年、1987年)
100本塁打:1990年6月22日、対阪神タイガース10回戦(阪神甲子園球場)、7回表に秦真司の代打として出場、仲田幸司から右越3ラン ※スロー記録1位タイ
八重樫幸雄のプレースタイルは?

天性の打撃センスが光る捕手
どちらかと言えば、リード面が素晴らしいと言うよりも、打撃面が素晴らしい選手の捕手である。
正捕手の座を退いてからも、代打の切り札としても活躍を続けたほど打撃センスと勝負強さに定評のある選手である。
八重樫幸雄がプロに入るまでの活躍
宮城県仙台市に生まれた八重樫幸雄は、仙台商高に進学し1年生から甲子園に出場。一塁手の7番打者として活躍するが2回戦で惜しくも敗れるのである。
2年生から捕手として活躍するようになるが、地方大会で東北高校のエースに抑えられ惨敗。
3年生では4番打者として夏の甲子園大会に挑み、2回戦で広島の広陵高校を打ち破るが、準々決勝で敗れ、涙を飲むのであった。
甲子園球児として、東北地方に八重樫の名を知らしめた結果、1970年にヤクルトアトムズ(現ヤクルトスワローズ)にドラフト1位で指名され入団するのである。
プロに入団後、光る打撃センスを見いだされ様々なポジションに。
悔しさを糧に生まれた、あの独特なバッティングフォーム!
23年間、ヤクルトの現役選手を続け、引退後の八重樫は?
1991年からは、ヤクルトスワローズの1軍バッテリーコーチを選手兼任で行い、2年後の1993年に現役を引退。
その後は、ヤクルトの2軍バッテリーコーチを2年。1軍バッテリーコーチを1年。2軍監督を経験後、1999年から2008年の9年間も1軍打撃コーチを務め、後輩の指導へ尽力を注いだのであった。
その結果、指導者を17年間も続けることになり、ヤクルトへ入団以来40年間もヤクルトをかかわることが出来たのである。
1軍打撃コーチ時代には、岩村明憲・青木宣親・田中浩康を育て上げた実績もあるのです。

ヤクルトスワローズを代表する人気者。八重樫幸雄。
ヤクルトの中でも、人気の高い選手の一人であると言えるでしょう。
同期の大矢が衰えなかったら、チャンスに恵まれず野球人生が終わっていたかもしれません。
そんな選手は今でもつぶやかれるほどの選手なのです。