ソルトシェイカー『水戸泉』強力な右上手投げを武器に平幕優勝を成し遂げた人格者

ソルトシェイカー『水戸泉』強力な右上手投げを武器に平幕優勝を成し遂げた人格者

豪快な塩まきで人気を博し、ソルトシェイカーと呼ばれた大相撲の元関脇『水戸泉』。怪我に悩まされながらも平幕優勝を成し遂げた実績と人柄、現在の活動について紹介。


豪快な塩まきで人気を博した『元関脇 水戸泉』現・錦戸親方

生年月日:1962年9月2日
出身地:茨城県水戸市
生涯戦歴 :807勝766敗162休(136場所)
最高位:東関脇
三賞:7回、幕内優勝:1回
身長194cm、体重192kg(最高200kg)
愛称は「水戸ちゃん」、「イズミちゃん」など

水戸泉 政人(みといずみ まさと)

幼少の頃に父を亡くし弟の昭二(元十両の梅の里)とともに母1人の手で育てられた。
茨城県水戸市立飯富中学時代には母の勧めで柔道に打ち込み初段になる腕前の持ち主だった。

1977年、貴ノ花のサイン会だと思って力士のサイン会に行ったが実は高見山と富士櫻のサイン会だった。
この時髙見山に「大きね~!お相撲さんにならないかい。」と勧誘される。
数日後には高砂親方からも勧誘され、入手困難だった29cmの靴をもらって高砂部屋への入門を決めたという。
また、「幼い頃から苦労をかけた母に少しでも親孝行がしたいと思い力士になった」と常々語っていた。

水戸泉の四股名は出身地の水戸、本名の小泉、そして「枯れることなき泉のごとく出世を」という願いを込めて髙砂が命名した。

初土俵時の水戸泉

1978年3月場所に初土俵

豪快な塩まきが生まれた理由と、愛称「ソルトシェイカー」の由来

新十両の場所の8日目から付人をつとめていた奄美富士に「勝ち星に恵まれないときはせめて塩だけでも景気よくまいたらどうですか」と進言され、大量の塩を撒くようになった。

初めの頃は1回目から大きく撒いていたが、後に制限時間いっぱいの時にのみ大きく撒くようになった。
1回にとる塩の量は何と600gにもなったという。

イギリス巡業で「ソルトシェイカー」と紹介され、日本でも「水戸泉といえば豪快な塩まき」として定着した。
同時代で同様に大量の塩を撒く力士には朝乃若がおり、対戦した際には豪快に撒き上げる水戸泉と叩きつける朝乃若の両者の塩撒きに観客が沸いた。

高砂部屋で、朝潮や小錦とともに巨漢トリオを形成した水戸泉。

水戸泉は194cm、体重192kg(最高200kg)という日本人離れした体格を持ち、早くから将来を期待されていた。
また、同門には朝潮・小錦という巨漢もおり、巨漢トリオとも呼ばれた。

身長183cm、体重183kg
近畿大学で2年連続してアマチュア横綱のタイトルを獲得し、高砂部屋に入門。
「大ちゃん」の愛称で人気を博す。
最高位:大関

朝潮太郎 (4代目)

朝潮とは部屋の同期であり、水戸泉は手ごろな稽古相手と目をつけられていた。
二度の学生横綱を獲得した朝潮との稽古は、中学卒業間もない少年にはつらいものだったが、これが後々の財産にもなったという。

身長187cm、体重275kg(最重量時は285kg)
外国人力士として初の大関として活躍した。
幕内での優勝回数は3回。 
最高位:大関

小錦 八十吉

外国人力士である小錦は入門当初に兄弟子からいじめを受けたこともあったという。
しかし、「入門当時、水戸関だけは差別なく優しく僕に接してくれた」と水戸泉に対する感謝を述べている。

吊り気味の寄りと、右上手投げを武器に活躍

得意の左四つ右上手の体勢になった際の強さは圧倒的なもので、パワフルな吊り気味の寄りから「走る起重機」の異名をとった。

「走る起重機」と呼ばれた寄り

右上手投げの威力も絶大であり、横綱貴乃花を投げ飛ばしたこともある。
このため水戸泉と対戦する力士らは総じて右上手を警戒しており、その攻防が取り口の中で最大の見せ場といえる。
ただし水戸泉も右四つが不得手というわけではなく、懐の深さを活かした引き、相手の差手を極めるなどの対抗策をしばしば見せている。

豪快な右上手投げ



【前代未聞】取り直しが3回となった霧島と水戸泉の対戦

1988年 夏場所の初日。
当時まだ平幕だった霧島と水戸泉の対戦は、取り直しが3回で大相撲史上初の1日に4度対戦することになった。

【1回目】
水戸泉が左上手を取って出たところを、霧島が土俵際ですくい投げ
軍配は水戸泉
物言いがついて取り直し

【2回目】
霧島が下手出し投げから出て寄るが、土俵で水戸泉が抱えてうっちゃり
軍配は霧島
物言いがついて取り直し

【3回目】
左四つの水戸泉が右上手充分で寄って出る、しかし土俵際で霧島のうっちゃり
軍配霧島
物言いがついて取り直し

【4回目】
左四つで水戸泉が上手を取り、霧島が上手を切るものの水戸泉が上手を取り直す。
霧島は水戸泉を吊り上げきれず土俵際まで下がり、再び霧島がうっちゃるがやや際どい判定の末、水戸泉に軍配があがった。

水戸泉自身も忘れられない取組として、物言いにつぐ物言いで3回取り直しとなった1988年5月場所初日の霧島戦と、千代の富士にはじめて勝った1989年7月場所中日の一番をあげている。

度重なる怪我に苦しめられた「怪我のデパート」

1985年5月場所前に交通事故を起こして負傷し、2場所連続負け越して十両に陥落。
※この事故がきっかけで十両以上の力士の自動車運転が禁止された。

また、腰が高く膝がつっかえ棒のようになる体勢で相撲を取ることが多く、大乃国などの巨漢の右四つ力士と対戦して膝に大きな負担をかけることが常態化していた。

1986年9月場所での負傷は、医師からも「相撲はもう諦めるしかない」と言われたほどで、はじめてギプスをはずされて自分の青ざめた膝を見た時には、絶望的な思いになったという。

一時期は引退も考えたが、療養に訪れたリハビリ施設で自分より若くして重度の障害を負った人たちの前向きな姿に励まされたのと、やはり「親孝行したい」という思いとで土俵に上がり続けたと語っている。

怪我から復帰し、1988年3月場所再入幕。
9月場所には小結として10勝5敗。
大きな飛躍が期待されたが、またしても大乃国との対戦で左足首に負傷。
十両には落ちなかったがこれら2度の負傷には最後まで苦しむことになった。

幕内在位79場所で休場が99回は、横綱・大関を除けば当時過去最多の休場数であったため、「怪我のデパート」などと言われた。

第52代横綱・北の富士も「膝の故障がなければ当然大関」と公言しているほどであり、度重なる怪我で大関取りが阻まれたことが悔やまれる。

1992年、水戸泉は史上24人目の平幕優勝者に。

1992年7月場所、前場所に腰痛悪化の影響で5連敗して負け越し、西前頭筆頭まで下がった水戸泉は、幕内昇進後初日から自身初の7連勝の快進撃で白星を積み重ねていく。

終盤戦、13日目の関脇・琴錦戦では立合いの頭突き一発で突き落とし、14日目には前頭12枚目の貴ノ浪にも勝って12勝2敗とした。

その後10勝3敗と1差で追っていた小結の武蔵丸、大関の小錦と霧島の3力士全員が負けて、その瞬間水戸泉初めての平幕優勝が決まった。

水戸泉は支度部屋で、14日目で優勝が決まる可能性があったため待機はしていたが、まさかその3敗陣の3人が総崩れとは自身全く想像もしなかったため、3敗勢最後の1人である霧島が負けた瞬間には思わず「ウソーっ!?」と驚いた後、弟の梅の里と二人して抱き合って涙ぐんだ。

大関力士が下位の力士の優勝で旗手をつとめることは珍しく、小錦は一部から「天下の大関が、平幕力士の旗手をするとは何事か」と批判を浴びたという。
しかし高砂部屋入門時から小錦にとって水戸泉は共に下積み生活を送った間柄でよき相談相手で兄貴分でもあり、また入門時から長く稽古相手をしていた仲でもあった。
小錦は「僕の3回の優勝の他、先場所(1992年5月場所)では曙の旗手までさせてしまった。水戸関は僕の恩人だから、誰がなんと言おうと僕が旗を持つ」と小錦が「恩返し」の意味で自分から願い出たことだった。

優勝パレードでは大関・小錦が優勝旗の旗手を務めた。

同じ高砂一門に九重部屋の千代の富士と北勝海、また東関部屋の曙ら横綱陣や、さらに同部屋には大関の小錦がいたため、水戸泉は優勝パレードの旗手役の常連でもあった。

幕内優勝を果たす前、母親から水戸泉に対して「いつも優勝パレードでは旗持ちばかりして。たまにはあなたが優勝して、誰かに優勝旗を持たせるようにしなさいよ!」と奮起を促したことがあったという。
その水戸泉自身が幕内優勝を成し遂げたことで、立派に親孝行を果たせた。

水戸泉自身の平幕優勝時のパレードでは、小錦が旗手を務めてくれたにもかかわらず、「いつものように自分が優勝旗を思わず持ちそうになってしまった」と苦笑いしながら語っている。

優勝後も怪我に悩まされ現役引退へ

翌1992年9月場所は西張出関脇に昇進、8勝7敗と勝ち越して、11月場所の成績次第では大関取りだったが、またしても左足の負傷で1勝12敗2休に終わり平幕に下がってしまう。

1993年より、「政人では政治家みたいで力士としてしっくりこない」と、四股名を水戸泉眞幸と改名。
しかし膝の故障が多発してそれ以降は三役に復帰できなかった。
1999年5月場所で十両に陥落し、その後幕内に戻ることはなかった。

十両陥落後も、現役を続け蔵前国技館で幕内を務めた力士の最後の生き残りとして38歳まで現役を続けたが、2000年9月場所を最後に引退した。

断髪式には史上最多の参列者

断髪式の際には470人もの参列者が鋏を入れたが、雑誌『相撲』によるとこれは史上最多の人数とされており、水戸泉が多くの人に慕われ愛されていたことを物語っている。

なお、断髪式の後はオールバックにする力士が多い中、水戸泉はすぐに坊主頭にした。
本人の弁ではその頃脱毛症に悩まされており、脱毛した部分が目立たないよう頭を丸めたという。
現在は症状が改善されたためか再び髪を伸ばしている。

「泣きの水戸泉」と呼ばれた人柄

水戸泉は自分の付け人で相撲をやめようとしているものがいると、屋台に呑みにつれだして説得。
「俺も昔は弱かったんだよ」と語っているうち、自分が泣き出してしまうことが多かったことから、知らず知らずのうちに「泣きの水戸泉」のあだ名がつけられていたという。
入門当時、有形無形の差別に悩まされていた小錦も、この水戸泉の涙にほだされた一人だった。
※写真は2007年ハワイ巡業時の2ショット

小錦とは引退後も仲良し

現役引退後の水戸泉

婚約破棄問題により、高砂部屋の後継を辞退

現役時代の1999月に高砂親方(元小結富士錦)が水戸泉との養子縁組を公表。
2002年3月の高砂親方の定年を待ち、7代目として名門高砂を継ぐことになっていた。

しかし、2000年に人妻女性との重婚かという報道により辞退した。
相手の女性は元ロッテのプロ野球選手、伊藤史生と結婚し4子を出産。
籍を抜かないままに、本名や年齢をごまかして元西武の森慎二との事実婚生活を送り1子を出産。
水戸泉はこの女性からの「森慎二とは分かれた」の言葉で婚約を決めたが、実際には元の籍が残っていたため重婚状態になっていた。
この問題がマスコミに大々的に報じられ、水戸泉は記者会見を開き、「事実関係が違っていたり、信用できなくなった」と語り婚約破棄を発表、高砂の後継を辞退した。

錦戸部屋を創設。

2002年に高砂部屋から分家独立して、東京都墨田区亀沢に錦戸部屋を創設。

錦戸親方(水戸泉)がオーナーであるマンションの一階が錦戸部屋になっている。

錦戸部屋前での集合写真。

2016年、ソプラノ歌手の小野友葵子と結婚

2016年2月12日、自身のブログにて22歳下のソプラノ歌手、小野友葵子さん(31)と同日結婚したことを発表した。

「歌の世界で一生懸命頑張ってる姿に感銘し、一緒に生きていこうと決めました」と思いを明かし、「彼女には夢を諦めないで、女将業と歌手業を両立してもらい、これから二人で力を合わせ頑張っていきます!」とおかみさんに専念するのではなく、妻には今後もソプラノ歌手として輝き続けてほしいとの願いをつづった。

婚姻届を持った2ショット写真や結婚指輪をした2人の手の写真もアップするなど、ラブラブモード全開での結婚報告を行った。

妻・小野友葵子との2ショット

「これまで、おかみさんがいないと言われてきた。これからは、2人で協力して頑張っていきたいです」と決意を述べた錦戸親方。

錦戸部屋は部屋創設から10年以上が経過したものの、現在に至るまでまだ関取は1人も出ていない。

おかみさんとなった小野友葵子さんと力を合わせて、自身のような実力のある人気力士を育てて下さい。

水 戸 泉 メ モ リ ー - livedoor Blog(ブログ)

ソプラノ歌手♪小野 友葵子 ~vita rosea~

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