史上初!日本人同士の王座統一戦
1993年12月23日、薬師寺保栄は辰吉丈一郎が網膜剥離でキャンセルしたWBC世界バンタム級王者辺丁一(韓国)との対戦に代役で登場し世界王座を奪取に成功した。
そして、1994年12月4日。復帰した辰吉が暫定王者として薬師寺と王座統一戦をすることになった。
対照的な二人のボクサー
デビュー当時から天才と呼ばれていた辰吉は、人気・実力共にナンバーワンで、史上最短のデビュー8戦目での世界タイトル獲得は当時の快挙であった。一方、薬師寺はその実績と裏腹に観客を集めるような人気はなかった。
ボクサーとしてのスタイルも、ガードを下げ積極的に打ちに行く強打の辰吉と、ジャブを多用し多彩なパンチとフットワークを駆使する薬師寺は対照的だった。
(1994年 対決当時の戦歴)
薬師寺 25戦 22勝(16KO) 2敗1分
辰吉 12戦 10勝(8KO) 1敗1分
この戦いは薬師寺が正規の王者で実績も上にも関わらず、辰吉の人気によってその構図は逆となり、薬師寺が挑戦者と扱われた。
試合前の壮絶な舌戦
試合前に辰吉は薬師寺を執拗に挑発。
【辰吉のコメント】
「薬師寺は勘違い君」
「世紀の一戦って。相手がアレで、笑わしたらあきまへんで」
「主役と勘違いの力の差を見せつけたるわ」
「あの年齢になって髪の毛を染めるようなっちゃあかんよ。そんなん社会人デビューしたらダメ。ああいうのはもう中高生で終わるのが当たり前。
きっと彼の場合、その間に目立つ時がなかったんやろね、輝けるときが。」
「チャンピオンになっているから強いんやろうけどね。所詮、僕とはケタが違う!レベルが。」
負けずに薬師寺も応戦していた。
【薬師寺】
「辰吉は思い上がり君」
「辰吉って一発で相手倒したこと ないでしょ?」
「(辰吉は暫定チャンピオンだったため)王座決定戦の当日は辰吉くんも
チャンピオンベルトを巻いてくるがそのベルトには『暫定』と書いてこい」
そして、1994年12月4日。世紀の一戦が行なわれた。
世紀の一戦〜薬師寺保栄VS辰吉丈一郎
世紀の一戦〜薬師寺保栄VS辰吉丈一郎
世紀の一戦?薬師寺保栄VS辰吉丈一郎
世紀の一戦?薬師寺保栄VS辰吉丈一郎
世紀の一戦〜薬師寺保栄VS辰吉丈一郎
試合に関するエピソード
開催地についても両者の主張は平行線をたどり、薬師寺は地元・名古屋、辰吉は東京か大阪を希望。結果、入札で争うこととなり、薬師寺側が約3億4千万円で興行権を獲得し、名古屋で史上初となる日本人同士の王座統一戦が行なわれた。
辰吉人気に興行権の入札もTBSと日テレが奪い合い空前の金額(3億円超)が記録された。辰吉のファイト・マネーは、1億7千万円とも言われている。
辰吉は1ラウンド序盤に放った左ストレートが薬師寺の頭部付近に当たった際、骨折。以降なかなか左が出なくなり、セコンドから左を出すように言われても「骨折れて出んのじゃボケ!」と思う程の状態で試合を続行した為という。
この試合は日本中から大きな注目を集め、テレビ視聴率は関東地区で39.4%という驚異的な数字をたたき出した。(数字はビデオリサーチ社調べ)