「テキサスの荒馬 テリー・ファンク」。レジェンドは元祖アイドルだった!

「テキサスの荒馬 テリー・ファンク」。レジェンドは元祖アイドルだった!

兄ドリーとのタッグ「ザ・ファンクス」として知られ、NWA王座にも就いた名レスラー、テリー・ファンク。実はチアガールや親衛隊まで付いたプロレス界の「元祖アイドル」でした。


プロレスラーのドリー・ファンク・シニアの次男として生まれ、兄のドリー・ファンク・ジュニアと共にレスリングの英才教育を受けながら育ち、ウエスト・テキサス州立大学でアメリカンフットボール選手として活動後、1965年にプロレスラーとしてデビューしました。 その後、父がプロモートしていたテキサス州アマリロ地区(NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ)にてキャリアを積みました。 1970年6月、日本プロレスに初来日。1971年12月7日、ドリーとのザ・ファンクスでジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲を破りインターナショナル・タッグ王座を獲得。1972年10月には全日本プロレスの旗揚げシリーズに参加、以降、全日本プロレスの看板外国人選手となって活躍しました。 アメリカでは、1973年2月10日にジョニー・バレンタインからNWAミズーリ・ヘビー級王座を奪取。1975年12月10日にはジャック・ブリスコを破ってNWA世界ヘビー級王座を獲得、兄ドリーと並んで史上初の兄弟世界王者となりました。以降、各地で防衛戦を続けましたが、1977年2月6日、兄と同じくハーリー・レイスに敗れ王座陥落。 1977年12月に全日本プロレスで開催された世界オープンタッグ選手権にはドリーとのザ・ファンクスで出場し、アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークの史上最凶悪コンビを退けて優勝。以降、1979年と1982年の世界最強タッグ決定リーグ戦でも優勝を果たしました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AF

テリー・ファンク - Wikipedia

テリー・ファンク登場!ブレイク前夜のテリー

1970年に初来日した時は、現役NWAチャンピオンの兄ドリーの陰に隠れた一介の新人レスラーに過ぎませんでした。
その後も兄ドリー、父ドリー・ファンク・シニアの添え物的な扱いが続き、レスラーとしてはまだまだという扱いを受けていたようです。
転機となったのは、1971年末ジャイアント馬場、アントニオ猪木のBI砲からインターナショナルタッグ王座を奪取した時でしょう。
その後、1972年の全日本プロレス旗揚げでは、兄ドリーとのタッグ「ファンクス」として、エース外国人レスラーに登りつめたのです。
また全日本のブッカーとしても手腕を発揮し、無名時代のスタン・ハンセンを発掘し初来日させたのをはじめとして、テッド・デビアス、ディック・スレーター等の子飼いのレスラーを育て上げ、全日本の常連レスラーとして送り込みました。

ファンクスVSブッチャー、シーク。日本中を震撼させた血の抗争!

そのザ・ファンクスが、国民的人気を得るきっかけとなった試合が、  1977年12月15日、東京・蔵前国技館で行われた、  『世界オープン・タッグ選手権』 最終日に、行われた試合である  最終戦を前にして、ザ・ファンクスとブッチャー・シーク組の得点は、  同点で勝った方が、”優勝” というシチュエーション  前半は、ファンクスが優位に試合を進めたが、  老獪なブッチャー組は、隠し持っていた凶器で応酬。  試合は次第に乱戦となり、ブッチャーがフォークで、  テリ―の右腕をめった刺しにする。  血が溢れだす中、女性ファンの悲鳴とどよめきが起こる  今でも語り継がれる、「失神者が続出した」 と、  言われるのは、この場面のことだ。  ヘロヘロになったテリ―だが、不屈の闘志で反撃に転じ、  超満員の観客は総立ちとなる。  後に、”テキサス・ブロンコ” と、称されるテリ―が、  全国区の人気を獲得した瞬間だった。  試合は結局、ブッチャー組の反則負けとなり、  ザ・ファンクスが初優勝を飾る。  この試合のインパクトが、全日本のドル箱カードとなり、  その後も、ファンクスとブッチャー・シーク組は、  因縁の対決を繰り広げる。  外国人レスラー人気を定着させた功労者として、  ザ・ファンクスの偉業は今も、色褪せてはいない

http://www.regime-sans-sucre.com/showaprowrestling3.html

ザ・ファンクス vs ブッチャー・シーク

その後1975年12月、兄ドリー同様ハーリー・レイスを破り、NWAヘビー級チャンピオンに就きます。
チャンピオンとしては約1年2ヶ月の短命政権に終わるのですが、王座陥落後、テリー人気を決定づけたブッチャー、シークとの抗争がスタートするのです。
テリーと言うと思い出されるのは、やはり一連のブッチャー、シークとの血の抗争でしょう!
兄ドリー同様テクニシャンながら、ラフにも強いテリーが大量の血を流しながら向かっていく様は、今までプロレスに縁のなかったであろう多くの女性ファンの心を撃ち多くのファンを生み出しました。

1983年、テリー引退狂奏曲!

そして1983年、体力の限界を感じて引退を表明。
ファンクスとしてスタン・ハンセン、テリー・ゴディ組を迎え撃った引退試合は社会現象とも呼べる盛り上がりを見せたのです。
若い女性ファンで作られた「親衛隊」がリングに向かって泣き叫ぶ様は、まさにプロレス界が生んだ最初の「アイドル」といっても過言でないでしょう。

「テキサスの化石になれ!」  ブレーキの壊れたダンプカー(しかし、この異名はいつも凄い!と思う。ブレーキの壊れた、ダンプカーである(そのまんま)。そりゃ凄いに決まっている)スタン・ハンセンが、当時抗争中だったザ・ファンクス、テリー・ファンクに言い放った言葉。    本来ファンクスと言えばハンセンにとって師匠であるわけだが、レスラーとして絶頂期のハンセンと、ピークを過ぎたテリーでは勝負になるはずもなかった。  とはいえ、当時のテリーの人気は凄まじく、特にテリー・ファンク引退記念シリーズは盛り上がった。ザ・ファンクスVSハンセン、ゴディの引退試合は、テレビのゴールデン・タイムで中継され、僕は我が家で購入したばかりのビデオ・デッキ(中村さんちのマックロード)で録画した。これは永久保存だと、3倍ではなく通常モードで、しかもS-VHSテープで。  ダイビング・ローリングクラッチで勝ったテリーが、「ジャパン、アリガト、サヨウナラ」と言葉を並べ、「フォーエバー!!」と絶叫。感動のフィナーレに、永久保存版だと確信したものの、その翌年あっさり復帰。  今となっては「フォーエバー」とは、永遠に引退は無い、という意味だったようだ。子どもながらに「大人ってテキトーなんだな」と知った、12の夜。

http://www.plus-blog.sportsnavi.com/nanairo/article/18

テキサスの化石になれ | 「格闘スポーツ名言活用」研究所 | スポーツナビ+

その後のテリー・ファンク

その後、WWFマットでヒールとして電撃復帰を果たし、日本マットではFMW、IWAジャパンといったインディーズ系の団体に主戦場を映します。
弟子筋にあたる大仁田との電流爆破マッチなどの破天荒な試合の数々は、絶対的ベビーフェイスとして活躍していた全日本時代の末期よりは彼らしかったように思われました。
また兄ドリーと同様1995年にまさかのライバル団体新日本プロレスに参戦。後にファンクスも復活させています。
現在でも時折現役レスラーとして元気な姿を見せてくれます

テリー、ハンセン、天龍の夢のスリーショット!
ライバル同士であり、かつては弟子と師匠の関係でした。

テクニシャン、テリー・ファンク

ラフなケンカ殺法だけがクローズアップされがちなテリーのファイトスタイルですが、実は多彩な技を操るテクニシャンの顔も持っています。
代表的なオリジナルホールドとして挙げられるのは現在の新日本プロレスのエース棚橋の得意技としても知られるテキサス・クローバー・ホールドやローリング・クレイドル・ホールドでしょう。
サソリ固めに近い形で手を使ってロックするテキサス・クローバー・ホールドはフィニッシュホールドとしては威力は弱いものの相手のスタミナを弱らせる傷め技としては多用されました。
テリーの後、一時期使い手が途絶えたものの、近年、棚橋が試合で多用するようになり再び見直されつつあります。
ローリング・クレイドル・ホールド(揺り椅子固め)は逆に今ではほとんど見なくなってしまった技です。
一時期、「天龍革命」以前の天龍も多用しており、ファンク一家系のレスラーは結構使っていた記憶があるのですが、すっかり見なくなってしまいました。
「揺り椅子」の名前通り、リングをゆるやかにぐるぐる半周して、その反動でフォールに持ち込むそのスタイルは他に似た技のない独特の技でした。
あと忘れてはならないのは、彼を含めたファンク一家の代名詞と呼べる技はスピニング・トー・ホールドでしょう!
立ち技でも寝技でもない独特のスタイルは印象に残りました。

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