美空ひばりとは...

名曲の数々
悲しき口笛
この曲は、美空ひばりが12歳の時のデビュー曲です。
当時、“子どもらしくない”とか“非教育的”などの批判を受けることもあったようです。恐らく、ひばりの驚異的な表現力が大人たちの常識を遥かに超えてしまっていたのでしょう。見たことのないような大人並みの表現をする子どもを、素直に受け入れられない人々が彼女を批判したのだと思います。
すでに、ひばりは一人のアーティストとして完成されていたのでしょう。
越後獅子の唄
美空ひばりが13歳頃のシングルです。とても哀愁に満ちた歌声ですね。メロディが美しく、幼くも芸の道に生きる歌詞の世界を、見事に歌い切っています。

リンゴ追分
美空ひばりが15歳の時の主演映画「リンゴ園の少女」主題歌です。当時としては戦後最大のヒットで70万枚を売り上げ、最終的には130万枚を越えるミリオンセラーとなりました。ひばりの全シングル歴代5位を記録する売り上げとなっていて、テレビ出演時もよく歌われた一曲です。
お祭りマンボ
1952年8月発売のシングル。当時流行していたマンボのリズムに乗せ、お祭り好きな江戸っ子気質をテーマに作られた曲です。ひばり自身この曲を好み、様々なステージで披露していました。軽快なリズムとコミカルな歌詞が面白く、人気のある一曲です。

港町十三番地
1957年発売のシングル。歌を聴かせるだけじゃなく、魅せてもくれますね。ついつい最後まで見ちゃいます…。さすがですね!
柔
1964年11月発売のシングルです。同年開催の東京オリンピックで初めて柔道が正式競技に採用されたこともあり、爆発的に大ヒットしました。発売から半年足らずで180万枚を売り上げ、ひばりの全シングルで最高売り上げを記録した曲でもあります。
歌詞は、柔道の世界のみならず人生に置き換えることもでき、人々の応援歌ともなっています。

愛燦燦
1986年5月発売のシングル。小椋 佳によって作詞・作曲されました。数々のアーティストにカバーされ、人々に愛されている楽曲です。
波乱に満ちた人生を歩んだひばりだからこそ、これほどまでに深く歌い上げることができるのでしょう。優しい微笑みの中にも、凛とした強さを感じます。素晴らしいですね。
川の流れのように
1989年1月発売の生涯最後のシングルです。秋元康が作詞を手掛けました。同年6月24日にひばりが亡くなり、没後に売り上げが伸びて150万枚の大ヒットとなりました。
この曲もまた、ひばりだからこそ歌える人生の歌です。
歌手として、表現者として一流だった美空ひばりの歌は、これからも愛され続けていくに違いありません。
ということで、美空ひばりを振り返ってみました。