印象深い ヘーシンクの「待て」/坂口征二 - 300人リレーコラム - 五輪コラム : 日刊スポーツ
全日本柔道選手権で優勝した坂口
ヘーシングに敗れたとき
日本柔道は
技術や精神だけでなく
体格やパワーの重要性を思い知らされた
そういう意味でも坂口は理想的な選手だった
そして彼自身「打倒ヘーシング」に燃えていた
3年(1964~66年)3年連続全日本柔道選手権で決勝進出し
そのうちの1回、1965年には優勝している
「打倒ヘーシンク」のという目標を失い
しかもメキシコオリンピックでは柔道種目がないことに知りショックを受けた
柔道の稽古に身が入らなくなっていた
そんなとき日本プロレスの関係者と会食をセッティングされた
坂口はプロレスに行くことを決めた
日本プロレスへ
最強の柔道選手の1人
将来の日本柔道を背負って立つと期待されていた坂口のプロレス入り
柔道界は衝撃を受け坂口を止めようとした
日本プロレスに直談判した関係者もいたという
しかし坂口は
旭化成を退職
日本プロレスに入団
入団記者会見は日本プロレス幹部も出席して行われた
小川のプロレス入りで頭下げる…坂口征二<4> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
「頑固おやじ」カール・ゴッチ…坂口征二<2> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
カール・ゴッチ
こうして坂口はプロレス入り後、
すぐにアメリカに行った
そしてプロレスの神様:カール・ゴッチのもとでプロレスの基本を身に付けていった
永遠の柔道少年