「頑固おやじ」カール・ゴッチ…坂口征二<2> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
しかしそれから約1年の間に
アントニオ猪木とジャイアント馬場が日本プロレスを相次いで去り
坂口はエースの重責を背負うことになった
大木金太郎との遺恨試合…坂口征二<1> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
日本プロレスは
日本テレビとNET(テレビ朝日)が放送を行っていたが
日本テレビはそれを打ち切り
馬場が立ち上げた全日本プロレスの放送を開始
日本プロレスは観客数やテレビ視聴率が低迷した
NET (TV Asahi)
大木金太郎との遺恨試合…坂口征二<1> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
合併破綻
新日本プロレスと日本プロレスの合併話は
1度は合意に向かって進んだが
大木金太郎の猛反対により頓挫し
坂口は日本プロレスをやめて新日本に移籍
結局、日本プロレスの興行は停止した
大木金太郎との遺恨試合…坂口征二<1> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
大木金太郎との喧嘩マッチ
ちなみに
互いに「裏切り者」と憎み合っていた大木と坂口は
後(1975年)に新日本プロレスのマットで無効試合になるほどの壮絶な試合をした
大木金太郎との遺恨試合…坂口征二<1> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
新日本プロレス
坂口が新日本プロレスに合流後
NETはゴールデンタイムに『ワールドプロレスリング』を開始
倒産も時間の問題といわれていた新日本プロレスは
人気で全日本プロレスを超えた
黄金コンビ
猪木と坂口は「黄金コンビ」と呼ばれた
すごいパワー
柔道ジャケットマッチ
坂口は豪快なファイトでファンを沸かした
また坂口は
エース猪木をサポートするNo.2というポジションに定着した
猪木さんで「人間不信」…坂口征二<3> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
また坂口は
実務も引き受けるようになり
リングの外からも会社を支えた
猪木さんで「人間不信」…坂口征二<3> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
新日本プロレスの巡業バスは
「偉い順番から前に乗る」といわれ
坂口は1番前
猪木は少し離れて2番目に乗っていた
ブルーザー・ブロディが試合をボイコットしたため
「前田日明VSブロディ」の代役を自ら買って出て
UWFから帰ってきた前田のキックや関節技を受け流し
逆に柔道技を決めた
このとき44歳だった
アントニオ猪木vsハルク・ホーガン
1983年6月
第1回IWGP決勝戦
アントニオ猪木vsハルク・ホーガンが行われた
IWGP
IWGPは
「プロレス界世界最強の男を決める」
と提唱され
当初の計画は
開幕戦は日本で行い
韓国-中近東-ヨーロッパ-メキシコとサーキットし
決勝戦はニューヨークで行う-という計画だった
が、プランが壮大すぎることや
「プロレス最強の男を決める」ということに対し
当然、負けたほうが損なので非協力的な組織もあり
紆余曲折あり
ここまで新日本プロレスは
2年という時間と莫大な費用を使用して準備してきたものだった
アックスボンバー
アントニオ猪木とハルク・ホーガンの戦いは一進一退だったが
途中、猪木がエプロン際でホーガンのアックス・ホンバーを受け
リング下に転げ落ち上がってこなくなってしまった
レフリーのMr.高橘はカウントを数えだした
「高橋、バカ野郎、待てよ」
坂口征二がそう叫びながら
リングサイドから飛び出し猪木を抱えてリングに入れようとした
猪木を気遣う坂口
しかし猪木は
エプロンでうつ伏せになり舌を出したままピクリとも動かなかった
坂口は
舌が巻きついて呼吸困難ならないよう
自分の履いていた草履を猪木の口に突っ込んだ
TKO負けとなった猪木は
すぐに病院に担ぎ込まれ面会謝絶になった
坂口は病室の外でひたすら待った
翌朝、徹夜明けで猪木の病室に入ると
なんとベッドには猪木ではなく猪木の弟が寝ていた
猪木は周囲の目を盗んで夜中にこっそりと抜け出していたのだ
怒る坂口
坂口は激怒した
「こんな話あるか
ふざけるんじゃないよ
俺は当分、会社出ないよ」
人間不信