基本情報

Big Saka
坂口征二
196cm、130kg
ニックネームは
世界の荒鷲、ビッグ・サカ
入場テーマ曲
「燃えよ荒鷲」

坂口征夫
長男は坂口征夫

坂口征二と坂口憲二
次男は坂口憲二

奥様は美人!
柔道

柔道との出会い
坂口征二は
明治大学柔道部で神永昭夫の指導を受けた
1964年東京オリンピック前には神永のスパーリング・パートナーを務めた
しかし神永は決勝戦でオランダのアントン・ヘーシングに破れた
Guts to Fight インタビュー
印象深い ヘーシンクの「待て」/坂口征二 - 300人リレーコラム - 五輪コラム : 日刊スポーツ

全日本柔道選手権で優勝した坂口
ヘーシングに敗れたとき
日本柔道は
技術や精神だけでなく
体格やパワーの重要性を思い知らされた
そういう意味でも坂口は理想的な選手だった
そして彼自身「打倒ヘーシング」に燃えていた
3年(1964~66年)3年連続全日本柔道選手権で決勝進出し
そのうちの1回、1965年には優勝している
「打倒ヘーシンク」のという目標を失い
しかもメキシコオリンピックでは柔道種目がないことに知りショックを受けた
柔道の稽古に身が入らなくなっていた
そんなとき日本プロレスの関係者と会食をセッティングされた
坂口はプロレスに行くことを決めた
日本プロレスへ

最強の柔道選手の1人
将来の日本柔道を背負って立つと期待されていた坂口のプロレス入り
柔道界は衝撃を受け坂口を止めようとした
日本プロレスに直談判した関係者もいたという
しかし坂口は
旭化成を退職
日本プロレスに入団
入団記者会見は日本プロレス幹部も出席して行われた
小川のプロレス入りで頭下げる…坂口征二<4> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
「頑固おやじ」カール・ゴッチ…坂口征二<2> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
カール・ゴッチ

こうして坂口はプロレス入り後、
すぐにアメリカに行った
そしてプロレスの神様:カール・ゴッチのもとでプロレスの基本を身に付けていった

永遠の柔道少年
「頑固おやじ」カール・ゴッチ…坂口征二<2> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

カール・ゴッチと対戦
坂口は「ビッグ・サカ」のリングネームで各地を転戦した
試合経験を積んで実力をつけた坂口は世界王者に挑戦するまでになり
カール・ゴッチとも対戦したこともある
「頑固おやじ」カール・ゴッチ…坂口征二<2> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
「頑固おやじ」カール・ゴッチ…坂口征二<2> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
帰国、日本プロレスのマットに

日本プロレスの面々
帰国後、
坂口は日本プロレスでジャイアント馬場、アントニオ猪木に次ぐスターとなった
「アメリカ生活が楽しくなっていて本当は帰りたくなかったんだけどね!」
http://www.yomiuri.co.jp/life/special/prowres/20150603-OYT8T50396.html大木金太郎との遺恨試合…坂口征二<1> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

日本プロレス、坂口、、猪木、上田馬之助、馬場
「頑固おやじ」カール・ゴッチ…坂口征二<2> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

しかしそれから約1年の間に
アントニオ猪木とジャイアント馬場が日本プロレスを相次いで去り
坂口はエースの重責を背負うことになった
大木金太郎との遺恨試合…坂口征二<1> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

日本プロレスは
日本テレビとNET(テレビ朝日)が放送を行っていたが
日本テレビはそれを打ち切り
馬場が立ち上げた全日本プロレスの放送を開始
日本プロレスは観客数やテレビ視聴率が低迷した

NET (TV Asahi)
大木金太郎との遺恨試合…坂口征二<1> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

合併破綻
新日本プロレスと日本プロレスの合併話は
1度は合意に向かって進んだが
大木金太郎の猛反対により頓挫し
坂口は日本プロレスをやめて新日本に移籍
結局、日本プロレスの興行は停止した
大木金太郎との遺恨試合…坂口征二<1> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

大木金太郎との喧嘩マッチ
ちなみに
互いに「裏切り者」と憎み合っていた大木と坂口は
後(1975年)に新日本プロレスのマットで無効試合になるほどの壮絶な試合をした
大木金太郎との遺恨試合…坂口征二<1> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
新日本プロレス

坂口が新日本プロレスに合流後
NETはゴールデンタイムに『ワールドプロレスリング』を開始
倒産も時間の問題といわれていた新日本プロレスは
人気で全日本プロレスを超えた

黄金コンビ
猪木と坂口は「黄金コンビ」と呼ばれた

すごいパワー

柔道ジャケットマッチ
坂口は豪快なファイトでファンを沸かした

また坂口は
エース猪木をサポートするNo.2というポジションに定着した
猪木さんで「人間不信」…坂口征二<3> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
また坂口は
実務も引き受けるようになり
リングの外からも会社を支えた
猪木さんで「人間不信」…坂口征二<3> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

新日本プロレスの巡業バスは
「偉い順番から前に乗る」といわれ
坂口は1番前
猪木は少し離れて2番目に乗っていた

ブルーザー・ブロディが試合をボイコットしたため
「前田日明VSブロディ」の代役を自ら買って出て
UWFから帰ってきた前田のキックや関節技を受け流し
逆に柔道技を決めた
このとき44歳だった

アントニオ猪木vsハルク・ホーガン
1983年6月
第1回IWGP決勝戦
アントニオ猪木vsハルク・ホーガンが行われた

IWGP
IWGPは
「プロレス界世界最強の男を決める」
と提唱され
当初の計画は
開幕戦は日本で行い
韓国-中近東-ヨーロッパ-メキシコとサーキットし
決勝戦はニューヨークで行う-という計画だった
が、プランが壮大すぎることや
「プロレス最強の男を決める」ということに対し
当然、負けたほうが損なので非協力的な組織もあり
紆余曲折あり
ここまで新日本プロレスは
2年という時間と莫大な費用を使用して準備してきたものだった

アックスボンバー
アントニオ猪木とハルク・ホーガンの戦いは一進一退だったが
途中、猪木がエプロン際でホーガンのアックス・ホンバーを受け
リング下に転げ落ち上がってこなくなってしまった
レフリーのMr.高橘はカウントを数えだした
「高橋、バカ野郎、待てよ」
坂口征二がそう叫びながら
リングサイドから飛び出し猪木を抱えてリングに入れようとした

猪木を気遣う坂口
しかし猪木は
エプロンでうつ伏せになり舌を出したままピクリとも動かなかった
坂口は
舌が巻きついて呼吸困難ならないよう
自分の履いていた草履を猪木の口に突っ込んだ

TKO負けとなった猪木は
すぐに病院に担ぎ込まれ面会謝絶になった
坂口は病室の外でひたすら待った
翌朝、徹夜明けで猪木の病室に入ると
なんとベッドには猪木ではなく猪木の弟が寝ていた
猪木は周囲の目を盗んで夜中にこっそりと抜け出していたのだ

怒る坂口
坂口は激怒した
「こんな話あるか
ふざけるんじゃないよ
俺は当分、会社出ないよ」

人間不信
そして
「人間不信」
と書いた紙を会社の自分の机の上に置いて去った

異種格闘技戦

タイガーマスクの4次元プロレス
異種格闘技戦、
タイガーマスク、
新日本プロレスは空前のプロレスブームを巻き起こしていた

新日本プロレスは
年間20億円もの売り上げがあった
にもかかわらず利益は2000万円
その理由は
猪木が個人事業に流用している-というものだった

Sugar Cane, Brazil
その猪木の個人事業とは「アントンハイセル」
1980年にブラジルに設立され
サトウキビからバイオ燃料を精製するというバイオテクノロジーベンチャービジネスだった
実際、プロジェクトを進めていくと
サトウキビから燃料を絞り出した後にできる廃液と絞りカス(バガス)が公害問題となったり
バガスを家畜に飼料として食べさせると直ぐに下痢を起こしてしまったり
土中にバガスをそのまま廃棄すると土質を悪化させ農作物が取れなくなったりと失敗が続き
追い討ちをかけるようにブラジル国内のインフレにより
経営は悪化の一途を辿り
数年で破綻
その負債は数十億円ともいわれ
猪木は新日本プロレスの収入の大半を補てんに回してしまったという

これに対し
選手は怒り
試合をボイコットしたり
大量離脱を計画したり
会社に抗議し
その改革を迫った

そして猪木は社長を坂口は副社長を解任された
(後に2人は共に復帰)
猪木さんで「人間不信」…坂口征二<3> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
「ドームでプロレスやるぞ!」
1989年、
新日本プロレスの社長に就任
就任に際して自ら簿記を習ったという
数々のビッグイベントを成功させ
前社長のアントニオ猪木が作った借金を完済した
後に藤波辰爾に社長職を譲り会長に退き
CEOを経て
現在は相談役を務めている
Guts to Fight インタビュー
柔道家をサポート

1997年
全日本柔道選手権を7回、世界柔道選手権を4回制した小川直也がプロレス転向を表明
小川は明治大学の後輩である坂口にプロレス入りを相談しており
坂口は猪木を紹介するなどバックアップした
小川のプロレス入りで頭下げる…坂口征二<4> : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

坂口道場-伝えたい事

坂口道場
2005年、
東京狛江に「坂口道場」をオープン
柔道だけでなく
レスリング
総合格闘技
アスレチックのトレーニングができる
小学生、初心者の部には、
息子さんである坂口征夫さん、憲二さんたちも指導に当たっている
Guts to Fight インタビュー


