阪神の主砲ののち、引退。持ち味の打撃理論を生かし、後輩の指導者へ

岡田彰布(おかだ あきのぶ)
岡田彰布の獲得タイトル・主な表彰と記録
新人王 (1980年)
ベストナイン:1回 (1985年)
ダイヤモンドグラブ賞:1回 (1985年)
オールスターゲームMVP:2回 (1980年 第1戦、1988年 第2戦)
月間MVP:2回 (1985年8月、1989年6月)
セ・リーグ最優秀監督賞:1回 (2005年)
オールスターゲーム出場:8回 (1980年 - 1982年、1985年、1986年、1988年 - 1990年)
岡田彰布のプレースタイルはこうだ!

打っても良し!守っても良し!の最高の5番打者
タイトルこそはないが、オールスター出場回数が物語るように、阪神のみならず、プロ野球ファンの記憶に残る選手だった岡田彰布。
打撃に関しては、素晴らしく、打率、打点、本塁打と打撃の全てが結果が残せる選手だったと言えます。入団から11年連続で2ケタ本塁打を放っているのは素晴らしい成績でしょう。4番バッターにはなれなかったが、最高の5番打者として活躍し続けた選手です。
真面目な性格が特徴的で、自らの成績よりも、チームの今を考えてのバッティングに心がけてきたプレースタイルが最高の5番打者を生んだといっても過言ではありません。
阪神タイガースと言うチームを愛し続けた結果でしょう。
幼少期から阪神と共にプロに入るまでの軌跡

大学時代の岡田彰布。記録を欲しいままにした時代
念願の阪神タイガースに入団後の活躍
1980年に入団した岡田の1年目は、新人王を獲った一年目ではあるが、シーズン当初は燦然たるものであった。
当時の阪神タイガースの監督。ドン・ブレイザーは「岡田はまだ新人なので、じっくり鍛えた方がいい」ということで、外野手へのコンバートもあったという。当時の阪神タイガースは、掛布、真弓、中村勝、更に、ヤクルトから獲得したデーブ・ヒルトンがおり、岡田が入る余地がなかった。アマチュア時代から活躍していた岡田だけにファンの期待はすさまじいものがあり、なぜ、岡田を出さないのかと、ちょっとした暴動が起こるほどのものであった。
事態を重く感じた球団は、当時の監督。ドン・ブレイザーを解任し、コーチであった中西太を監督に抜擢した。その結果、出場機会が増えて、1年目から、.290、18本塁打、54打点と好成績を叩き出し、新人王を獲ったのであった。
ブレイザーは、「岡田は周囲から期待されて入団した選手だったので、余分な力みを生まない楽なポジションでやらしてあげたっかた」と語り、「自分も監督を経験したことで、このメッセージがある程度理解できるようになった」と語っている。

新人王を獲った岡田彰布
翌年の1981年には、130試合にフル出場し、20本の本塁打を残し、1982年には打率3割、1983年にはオールスターまでに18本塁打を放ち、タイトル争いに加わる選手にまで成長していた。
そして、あの伝説の1985年シーズンが始まるのである。 4月17日、巨人戦でランディ・バースのバックスクリーンへの本塁打から始まり、次ぐ4番掛布雅之もバックスクリーンへ続く、この時の岡田のプレッシャーはすさまじく、ホームランしかない!と意気込み、スライダーを狙っていたという。
その結果、あの伝説のバックスクリーン3連発が生まれたのであった。
自身のこの年の成績もすさまじいものがあり、8月の月間では、.429,10本塁打,31打点と月間MVPを獲得する成績を打ち出し、年間でも、首位打者を獲ったバースに次ぐ2位の.342、本塁打もリーグ4位の35本塁打、打点もリーグ5位の101打点を叩き出し、阪神初の日本一に貢献しました。
それからも、1991年まで、2ケタ本塁打を放つなどチームを引っ張ってきたが、出場機会が確実に減っていく一方で、涙ながらに、愛する阪神タイガースを自由契約になったのである。
引退後、指導者としての第一歩。

阪神監督時代

オリックス監督時代
岡田彰布の人物像を紐ほどく。
岡田彰布の座右の銘は「道一筋」としている。周囲の不理解や反対があっても、自分の信じた道を突き進めと言われる意味である。これは、阪神の大投手、村山実が交友のあった岡田の父に送った言葉「道一筋」から来てるのではないかと言われています。
実際、コーチを務めた佐藤義則も人の意見を聞かない、頑固すぎるとコメントしているほど。自身の考えを貫き通す人柄が伺えます。
アブドーラ・ザ・ブッチャーとも交流があり、元サッカー日本代表監督の岡田武史。巨人の原監督とは大学時代にともに日本代表で闘った盟友である。
2015年の巨人阪神戦に懐かしの3人の姿も・・・。
指導者としての評価は・・・。
日本プロ野球の選手会長を長年果たし、プロ野球のビジョンを自身の考えというものをしっかりと持った人である。
真面目で、自分の考えを決して曲げない性格は有名で、この人は好かれる人と嫌われる人と別れていたではと思われる。