前田日明 アキラ現れるところ乱あり

前田日明 アキラ現れるところ乱あり

前田日明をみていると その強さだけではなく なにか訴えかけてくるもの、メッセージ性を感じてしまう 前田日明には スタイルがあり 意志があり そして恐らく今も夢があり それを追い続けていることだろう


少年時代の前田日明

塩澤 幸登 (著)

格闘者 前田日明の時代

前田日明の母が父と初めて会ったのは結婚する3日前だった
母はとにかく親の望んだ人と結婚するという古風な人で
逆に父はチャランポランだったという

アキラ、バット持ってこい

さらばウルトラマン

「ウルトラマン」の最終回、
「さらばウルトラマン」においてウルトラマンはゼットンに倒された
小学2年生の前田はそれをみて涙を流した

宇宙恐竜ゼットン、前田日明、ゾフィー

ウルトラマンVSゴモラ

少林寺拳法の練習を開始

前田日明は
ゼットンを倒すために
少林寺拳法を習い始めた
(後に初段を取得)

「小4から少林寺拳法をやっていました 先生は近畿大学の拳法部の元主将で、 姫路にあるその道場では大人ばかりのなか自分だけが子供だったので、 マスコットみたいに可愛がられました」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41822?page=2

前田日明 第3回 「ひねくれた自分を温かく育ててくださった山本小鉄さんは、まさに"親"のような存在でした」 | Nespresso Break Time @Cafe de Shimaji | 倶楽部SHIMAJI | 現代ビジネス [講談社]

中学時代

東光中学校

それをみて自分は父を選んだんです

高校時代

北陽高校

離婚後は父と2人暮らしをしていたが
ある日、父は

「2~3か月出張にいってくる」

といい韓国に行き
結婚し
以後
生活費を稼ぐために日本に戻ってきては
前田に1、2万円置いて、
また2か月、3か月、韓国へいくという生活を送った
前田は
高1の終わりから工事現場で働き始めた
やがて父は
韓国で離婚し
日本へ帰ってきたが
すぐに日本で女ができた
父はいった

「昔は15歳で元服だ
16過ぎてるんだから1人で暮らせ」

そして
前田は普段は高校と仕事に行き
ホームレスの炊き出しに並んだり
「マグロ漁船に乗ったら1,000万円稼げる」という話を聞くと
「それだ!!」と思ったりしていた

空手とバイクに熱中

また
高校時代の前田は
空手とバイクに熱中した

「輪島さんお疲れ様です、僕ファンです」

アメリカで空手の道場を開きたい

前田は
極真空手の大山倍達の弟子達のように
アメリカで空手の道場を開きたいという夢を持っていた
大学受験に失敗した後は
アメリカに行く金を貯めるためアルバイトに明け暮れた

佐山聡との出会い

あるとき
前田日明が先輩と公園で練習していると
佐山聡(初代タイガーマスク)がきて聞いてきた

「それはキックですか、空手ですか?」

そしてその後、1週間、
前田と佐山は道場で一緒に練習した

当時、佐山聡は
アントニオ猪木の付き人やっていて
大阪で出会った前田日明のことを話した
猪木はそのことを新日プロレスの営業部長だった新間寿に話した
そして新間は前田日明を新日本プロレスに勧誘した

プロレスラーにならないか?

前田は
金を貯めなくてもアメリカに行けると思い
新日本プロレスの門を叩くことになった

新日本プロレス入門

左:前田日明、右:坂口征二

まさに"親"のような存在でした

「いいから持って行け!」

「お前、なんてことをいうんだ!」

見かねた小鉄さんが 「じゃあ、おれがやるよ」といってくれたんです

そして
入門して1年
前田のデビュー戦の相手も山本小鉄だった

「強くなりたいねん」

元来、前田は
空手家として外国に行き
世界と戦いたいという気持ちだけだった
プロレスラーになりたいわけではなかった
もっというと

「強くなりたいねん」

それだけだった
だからプロレスの練習でも問題を起こした
純粋であり過ぎるが故に・・・

入門してはじめて猪木とスパーリングしたとき
前田が

「何をやってもいいんですか?」

って聞くと猪木さんは

「いいよ」

と答えてくれた
そして前田は金的を蹴って目突きをやった
猪木は倒れ
他のレスラーが飛んできて前田はボコボコにされた

プロレスラーとやるときは金的と目突きしかない

「俺を殴ってみろよ」

ある日、猪木にいわれた

「俺を殴ってみろよ」

前田は即答した

「はい、(ボゴッ)」

こんな前田を
敬遠する先輩もいたが
猪木は前田を認めかわいがった

前田は
そのグッチのブーツを履いて
父に

「ザマアミロ」

といったところ

「お前もとうとうその道に入ったか」

と勘違いされた

当時、
父親は100回以上東京へ前田に会いにいっていたが
前田はすべて追い返していた

新日本プロレスの大阪大会のときに
母がファンに混じって
前田に会いにきていたことがあった

するとその夜
母は9階から飛び降りた
しかし電線でリバウンドし自殺は未遂となった

UWF

ほんとうにかっこいい

前田日明と数人が新日本プロレスをやめて
新団体「UWF」を立ち上げた
理想の格闘技
プロレスのショー的要素を排した真剣勝負を追い求めて・・・

UWFが旗揚げするまでには紆余曲折があった
まずアントニオ猪木社長の会社(新日本プロレス)の資金の流用があり
それに対して所属プロレスラーたちが会社に抗議、
改革を迫った
これを受け猪木は社長を辞任
新団体「UWF」を立ち上げようとした
しかし
「猪木が辞めたらうちは放送しない」
というテレビ局サイドの意向があり
猪木は新日本プロレスの社長に返り咲き
猪木を信じてUWFに参戦したレスラーたちは梯子を外された形となっていた

UWF旗揚げ戦

UWF旗揚げ戦で
前田日明は外国人選手を8分で一蹴した

しかし客は前田を

「裏切り者!」

と呼び

「猪木」「藤波」「長州」コールを浴びせた

前田は叫んだ

「今までの俺とは違うんだ!」

その後
UWFの選手たちの汗と情熱がファンの心をわしづかみにし
UWF信者が急増
UWFブームが起こった

順調だった!

しかし結果的に
UWFはわずか1年7か月で崩壊してしまう
その理由は大きく3つ

1.社長である浦田昇が逮捕されたこと(これにより契約寸前まで話が進んでいたTV放送計画が白紙)
2.未来を託したスポンサーが豊田商事であったこと(事件後、融資がなくなるだけなくテレビ東京での放送も中止)
3.佐山と前田の確執

1と2は
資金繰りの悪化
3は
試合数を減らして真剣勝負にこだわる佐山聡と
試合数を維持しようとする前田日明の対立を意味している

佐山と前田

そして前田は佐山聡に仕掛けた

喧嘩マッチ

前田日明は佐山聡に
一方的に喧嘩マッチを仕掛けた
ラフな張り手、膝蹴り、
グラウンド状態の佐山にローキック
尋常ならざる精神状態で尋常じゃないファイトを仕掛けた

攻防の中で佐山は前田の蹴りが自分の金的に当たったとアピールし
レフェリーは試合を止め
18分57秒、スーパー・タイガーの反則(金的蹴り)勝ちとなった

前田の蹴りは実際には佐山の下腹部には当たっておらず
佐山が喧嘩を回避するため一方的に試合を終わらせたものと見られている
UWFの不協和音が表に噴出した瞬間だった
(この後佐山聡はUWFへの参戦をキャンセルした)

さようならUWF ありがとうUWF

この佐山聡の退団がトドメとなって
UWFは崩壊した

「全日本プロレスに来ないか」

UWF崩壊後
前田日明は
ジャイアント馬場に「全日本プロレスに来ないか」と誘われたが、
全日本が雇うのは前田と高田延彦の2人だけということだったので
他のレスラーの事も考え断ったという

新日本プロレスへ復帰

「1年半UWFとしてやってきたことが何であるか確かめに来ました」

UWFは
業務提携という形で
新日本プロレスに復帰
前田はこういった

「1年半UWFとしてやってきたことが何であるか確かめに来ました」

その後
新日本プロレス勢とUWF勢力の闘争が繰り広げられた

出戻りの身だからといって
前田は決して己を曲げることはなかった
これは新日本プロレスサイドからみれば
生意気であり不快だったかもしれない
彼らにとってカリスマは猪木以外ないのだ

目立つけど刺客

前田だけではなくUWF勢は
新日本勢との戦いで徹底的に自分たちのスタイルを貫き通した
新日本のマッチメーカーはUWF勢に新日本のスタイルに沿った試合をするように申し入れたが聞き入れなかった
そのため新日本は
当時不敗伝説を誇っていたアンドレ・ザ・ジャイアントに前田潰しを依頼した

「気を付けろよ」

前田が新日本プロレスから
「アンドレと戦え」
といわれたのは試合の2日前だった
そして試合前、
高橋レフェリーがやって来て小声で囁いた

「気を付けろよ
アンドレが今日、お前を潰すっていってるぞ
レフェリーもやつのマネージャーがやるそうだ
だからオレは今日、お前の試合に立ち会えないんだ
悪いけど、そういう事になったから」

前田は半信半疑だった
アンドレに恨みを買うような覚えはなかった

「やる気だ」

ゴングが鳴ると
前田はタックル
アンドレは上から体重を浴びせそのまま押し潰そうとした
尻餅をついた前田に
アンドレはそのまま上から乗しかかってチョーク(首を圧迫する、締める)
前田はエスケープ
そして思った

「やる気だ」

ガンガン、ローキック

異変を感じた前田は
不用意に飛び込まず
距離をとり
グランドでは
アンドレの関節が「ベキベキ」と鳴るまで極め
スタンドでは
アンドレの脚にガンガンとローキックを叩き込んだ

It Is Not My Business

大の字にひっくり返ったアンドレに向かって前田は英語でいった

「お前がその気ならオレもやるぞ」

アンドレはまま両手を大きく広げていった

「It Is Not My Business(オレの仕組んだことじゃない)」

アンドレはリングに寝転がったまま起き上がらなくなり
試合は26分35秒ノーコンテスト

試合の途中
リングサイドには試合に関係のない猪木が現れていた
また後日、
この試合のみが放送されなかった
前田は
この試合を
「新日サイドによる組織的な『潰し』」
と捉えた

ドン・中矢・ニールセンとの「異種格闘技戦」

「INOKI 闘魂 LIVE」で
前田はドン・中矢・ニールセンとの「異種格闘技戦」を行い
逆片エビ固めでギブアップさせ勝利、
それはレオン・スピンクスと戦った猪木よりも劇的だった
そして前田日明は「格闘王」になった!

前田、長州顔面蹴撃

6人タッグマッチで
前田は
木戸修にスコーピオン・デスロックをかけていた長州力の背後から正面へ回り込み
顔面をキック
長州は右前頭洞底骨折
このことが発端になり
前田は新日本プロレスを解雇される

第2次(新生)UWF

第2次(新生)UWF旗揚げ

選ばれる者の恍惚と不安、二つながら我にあり

新日本解雇から数ヵ月後
前田は高田、山崎らとともに新生UWFを設立
旗揚げ戦の前売りチケットは、わずか15分で完売した
旗揚げ戦「STARTING OVER」はわずか3試合だったが後楽園ホールは超満員
当日券を求めるために徹夜組まで現れた

密航ファンもいた

旗揚げ2戦目は札幌大会だったが
会社を休んで遠方から仕事を休んで「密航」してくるファンもいた

試合は
従来のシリーズ形式ではなく
月1回、各地を回る形式を採用
選手のコンディション低下を予防した

ルールは
・試合はすべてシングルマッチ一本勝負
・勝敗はKOもしくはギブアップのみ(ピンフォールなし)
・5度のダウン(3度のロープ・エスケープで1度のダウンと算定)でTKO負け

というファイティングスポーツ性の強いものだった

前田日明 vs ジェラルド・ゴルドー

前田日明は
ジェラルド・ゴルドー(空手家、キックボクサー)と異種格闘技戦を行った
試合開始直後
ゴルドーは打撃で前田を圧したが
前田はゴルドーのハイキックをつかんで
裏アキレス腱固めを極めた

前田日明 vs 高田延彦

UWFは
大会を開く度にチケットは完売
グッズやビデオも激しく売れ
プロレス界で独走状態だった

順風満帆と思われた が・・・・

資金も十分
各選手の生活もゆとりがあり
一見、順風満帆と思われた
しかしフロントと選手間に不協和音が流れ始める

第2次(新生)UWFは
前田が作った会社だが
前田は旧UWF時、社員だった人間を社長に起用し
自身は選手として理想を追求していた
そしてUWFという会社には何千万、何億円というお金が流れ始めた

前田は会社の株を
選手である前田日明、高田延彦、山崎一夫
そして社長ともう1人のフロントスタッフで
5分配するように指示していた
しかし
社長は
自分と自分の妻、
フロントスタッフとその妻
で4分配していたという
(真相は不明)

前田は
大坂城ホールでの試合直後、このことをぶちまけた

数日後
社長は
会社への背任行為として前田を5ヶ月出場停止に処した

その2ヵ月後、
前田抜きで行われた大会で
UWFの選手の1人、船木誠勝が試合後
欠場中の前田を含む全選手に呼びかけ
選手がリングに勢揃いし
バンザイ三唱し
選手の団結をアピール
会社フロントへ抗議の意志を示した

5日後
社長は
選手全員の解雇処分を発表した

「じゃあ解散だ」

1991年1月、
第3次UWFの準備を進めていた前田の家で選手が集まりミーティングが行われた

「1人でも俺を信用できないヤツがいたらそれはUWFではない
1人でも欠けたら解散だ」

多くの選手は前田を信用しているといいったが
ある選手がいった

「今日はいわせてもらいますけど、
前田さんは僕らを単なる下っ端だと思ってるんでしょ
新生UWF立ち上げの時だって前田さんから声をかけられた事なんて無いし
前田さんに対する信頼なんて無いです」

「じゃあ解散だ」

こうして第2次UWFは終わった

リングス Fighting Network RINGS

第2次(新生)UWFの解散後
所属選手は「藤原組」、「UWFインターナショナル」に分かれ、
前田日明はたった1人で
「Fighting Network RINGS」、
通称「リングス」を立ち上げた
そのスローガンは
「世界最強の男はリングスが決める」
1~2ヶ月に1度のペースで日本各地の会場で試合を開催
試合の模様はその週の日曜、WOWOWでほぼノーカット放映された
最初は
オランダ、アメリカの選手が数名に前田1人という状況だったが
後にリングス・ネットワークは10カ国にのぼり多くの選手が所属し
日本人選手も
後に長井満也、山本宜久、成瀬昌由、田村潔司、金原弘光などが加わり
また正道会館の空手家たちをはじめ国内の多くの格闘家がリングスに参戦した

左膝前十字靭帯断裂

前田は
リングスを旗揚げして間もなく
練習で
左膝前十字靭帯断裂の重傷を負ってしまう
これ以後、
一時戦線離脱、手術、リハビリを経て復帰するも
常に膝に爆弾を抱えての戦いとなる

山田編集長

極真空手の全日本大会にプレゼンターとして招待されていた前田が
雑誌「フルコンタクトKARATE」の山田英司編集長をみつけ
女子トイレの個室に監禁してお説教した
山田は
「前田・ゴルドー戦の決め技、裏アキレス腱固めは
ゴルドーが前田に教えたが、前田は1回目キャッチしそこなって2回目でようやく決めた」
など
リングスや前田を批判していた
監禁事件後、
山田は
「掌底をスウェーでよけた」
「ヒザ蹴りをヒジで受けた」
と語った
前田は
「スウェーでかわした?
なんなら、裁判官立会いで再現したろか」

UFCの台頭

リングスは
総合格闘技の最先端を走り
日本の格闘技界を牽引していた
しかし
1993年、
アメリカでUFCが始まると
そのよりシンプルで過激なルールに比べ
リングスは明らかに説得力と迫力で劣っていた

KOKルール

リングスは
1999年、
従来のルールから
より激しいKOKルールを採用した

いきなり殴る、蹴る

興行は
地方のファンも大事だが
実際は大観客動員が可能な都市部でないと不可能である
しかし鹿児島県に
「リングス熱視会」というファンサークルがあり
「鹿児島でリングスをみたい」と署名活動を行い
リングスを誘致しようとした
前田はこれに感激
興行開催を決めた
その大会の中で
坂田亘(リングス所属)と鶴巻伸洋(サブミッションアーツレスリング所属)が対戦し
結果は引き分け
盛り上がりに欠ける試合内容だった
試合後、
坂田がイスに座って記者といるところに
前田がやって来て
殴る蹴るの制裁を加え
去っていった

高田延彦がヒクソン・グレーシーに負けた!

1998年
前田は
引退試合の相手として
ヒクソン・グレーシーとの対戦を希望
交渉を進めるが実現はしなかった

異形の王 アレクサンドル・カレリン

その後、
アレキサンダー・カレリンとの対戦を発表

「ヒクソンなんて目じゃない
本当に強い男と対戦するのはこっち」

と発言
ヒクソン・グレーシーvs高田延彦のリターンマッチを行う「PRIDE」を牽制した

1999年2月21日、
前田日明 vs アレクサンダー・カレリン

判定(ポイント)でカレリンが勝利し
前田日明は引退した

安生の襲撃

尾崎社長

2002年、
WOWOWの放映打ち切りが決定
リングスは活動停止
しかし海外では引き続き大会が継続される国があり
日本でもリングスKOKルールを採用した格闘技イベントZSTが開催されている

ビッグマウス・ラウド

2005年、
前田は
長年新日本プロレスで執行役員を務めた上井上井文彦に請われ、
新プロレスイベント「ビッグマウス」にスーパーバイザーとして参画
「ビッグマウス」の命名者は前田で「大ほら吹き」という意味
しかし2006年2月26日、
前田はビッグマウス・ラウドを脱退した

HERO'S

前田日明は
総合格闘技イベント「HERO'S」のスーパーバイザーとなった
大会名は
新たなヒーローを発掘するという願いをこめられている

前田日明ブチキレ!金子賢VS所英男

「ようやく全身全霊をかけて打ち込める物が見つかった」

芸能活動を休止し
総合格闘技の試合に出場した金子賢を
前田は
「アマチュアの試合から出て来い」
と非難した

田村潔司vs所英男の試合後
リング上で勝利者賞のトロフィーを田村に放り投げるように押しつけた

THE OUTSIDER

「不良達ヨ、覚醒セヨ」

2008年、
前田日明は
不良を主な対象とした格闘技大会「THE OUTSIDER」の立ち上げを発表
キャッチフレーズは「不良達ヨ、覚醒セヨ」
若者に格闘技を通じた更生の道を用意し
優秀な選手をメジャーな格闘技団体を含めた大会にプロデビューさせることが目標

不良じゃない選手も出場

出場資格は
「16歳から35歳までプロでの試合経験が3試合以下の者」で不良じゃない選手も出場している

入場ゲートに金属探知機

入場ゲートに金属探知機が用意され、
厳重な警備が施される中、試合は行われる

よく騒ぎが起こる

何か不満があるとガマンできず
リングに詰め寄ったり
会場内で乱闘騒ぎが起こることもある

前田に詰め寄る乱入者と、それを制するセキュリティー

THE OUTSIDER 第27戦の会場内で、
主催者席にいた前田日明の元に突然ペットボトルが飛び
それを合図に5~6人のいかつい男たちが
「前田、コラ!」
などと叫びながらリングサイドになだれこんで来た
1人が前田につかみかかろうとしたところでセキュリティーが割って入り、
前田はいったんバックスステージへ避難
それを追う者、群がる野次馬、逃げ惑う観客らで、会場はしばし騒然となった

結婚

戦闘機の後ろに乗せて欲しい

2006年12月、
フリーカメラマンの佐知子さんと入籍
前田は
佐知子さんと最初に出会ったときは
食事に誘っても
断られるか
友達連れで来られるかだったという
2007年5月には長男が誕生
「(息子は)自衛隊に入って最新鋭の戦闘機の後ろに乗せて欲しい」
(前田日明)

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