片岡篤史(日本ハム / 1995年)
先に登場した立浪和義のPL学園時代の同期で、3年次にともに甲子園春夏連覇を果たした片岡篤史も、シーズン打率最下位を記録していました。片岡は、同志社大学から日本ハムに入団し、1, 2年目は活躍を見せていましたが、3年目の1994年に肘の故障で打撃不振に。翌1995年もそれが続き、規定打席には届いたもののシーズン打率最下位を記録しました。
1995年 357打数 80安打 打率 .224
片岡は、翌1996年に打率 .315で復活。自身初の3割、首位打者のイチローに続くリーグ2位のシーズン打率を記録しました。
桧山進次郎(阪神 / 1997年)
先述の片岡篤史とは同級生で、後に片岡とチームメイトになる桧山進次郎。1997年といえば、阪神暗黒期の真っ只中。吉田義男監督が就任し、桧山は開幕から4番打者として起用されます。しかし、23本塁打、82打点を記録するも、150三振を喫し、打率はまさかのリーグ最下位でした。
1997年 466打数 106安打 打率 .227
因みに、翌1998年はさらに打率が悪化しますが、チームメイトにさらに下がいたおかげで(!?)、最下位は免れました。
新庄剛志(阪神 / 1998年)
先述の桧山進次郎の最下位を阻んだのが、後に、MLBや日本ハムの選手・ビッグボスとして活躍する新庄剛志です。1998年は、新庄の野球人生の中で最も打撃不振に陥った時期で、打順は下位での起用がほとんど、規定打席に到達しながら、6本塁打、27打点と惨憺たる成績でした。
1998年 414打数 92安打 打率 .222
翌1999年に野村克也監督が就任し、新庄は覚醒。2001年のMLB移籍へとつながっていきます。
井口忠仁(ダイエー / 1998年, 1999年)
先述の新庄剛志と同じく、1998年にシーズン打率最下位を記録したのが、ともにMLBでも活躍した井口忠仁です。井口は、翌1999年にも2年連続でシーズン打率最下位を記録しています。
1998年 421打数 93安打 打率 .221
1999年 370打数 83安打 打率 .224
ただ、井口の場合は、悲観するような内容ではなく、まず、チームは1998年3位、1999年優勝と躍進。打撃も、1998年は9番打者ながら21本塁打、1999年は優勝決定試合などのチャンスで本塁打を打つなど、チームの躍進に大いに貢献しました。
後にダイエーの黄金期を迎え、2003年、2004年には打率3割を記録。MLBへの移籍へとつながっていきます。
