石井慧  運動オンチ少年がオーバーワークという暴挙で起こした奇跡。

石井慧 運動オンチ少年がオーバーワークという暴挙で起こした奇跡。

石井慧の幼少児から国士舘大学に入るまで。地球上で60億分の1の存在になる、人類で1番強い男になるための序章。


癒しを求める石井慧は、
「犬を飼いたい」
とミニチュアダックスフンドを購入。
マラソン選手のアベベ選手から
「べべちゃん」
と名づけ、ペット禁止の寮で飼い始めたが、すぐにバレて、べべちゃんは大阪の実家に引き取られた。
試合前、レギュラー選手はコンディショニングのため練習を流して行ったり、乱取りの相手は投げられてやることもあり、指導者もそれを黙認していた。
しかし石井慧はまったく手を抜かず、ケンカ腰で乱取りをし、場外に出て壁にぶつかってもやめようとしなかった。
試合では観覧席で制服を着て応援したが、国士舘高校の同級生には全国大会で優勝する者もいた。
石井慧は不安で不安で仕方なく、かつそういった強い同級生や先輩に勝ちたくて仕方なかった。
「試合に出れず、置いてけぼりになったような気持ちになってチワワのようにビビッていました。
表向きは土佐犬のようにしてましたけど・・・」

2004年、公式試合出場停止処分が解けた高校2年生の1月、石井慧は全国高校柔道選手権に出場。
試合10日前、ハムストリングスの靭帯が切れかかっていることが判明したが、
「ケガは病気じゃない」
といって練習を継続。
それは
「病気のまま練習を続けると弱くなるがケガはそうではない」
という意味だったが、試合当日、個人戦は寝技を多用しながら勝ち進んだが、世田谷学園高校の選手に負け、
「もうダメです。
自分はダメだ」
といって大泣き。
試合後、寮に帰っても泣き続けた。
翌日、団体戦の決勝戦で世田谷学園高校と対戦。
国士舘は先方から中堅まで抜かれたが、副将の石井慧は、4人を抜いて、大将戦を引き分け。
代表戦となって、国士舘は石井慧が出て優勢勝ちし、優勝した。
春の選手権では、鬼気迫るような練習とトレーニングを繰り返し、試合3日前、
「俺は世界で1番強い」
といってはばからなかったが、2日前になると
「アカン、俺、負ける」
と弱気になり、試合前日は寮で部屋が近かった棚橋正典に
「先輩、寂しい。
一緒に寝て。
この部屋にいて励ましてください」
と頼んだ。

謹慎中は情緒不安定で、たとえ夜中であろうと頻繁に実家に電話をかけていた石井慧。
電話がない日、両親は
「よかった」
と胸をなでおろしていたが、試合に出られるようになった途端、電話がないどころか手紙を出してもなしのつぶてで、逆に心配になってきた。
たまにしか行けない東京で母、美智子は、寮の部屋を掃除しようとしたが、きれい好きの石井慧によって整理整頓されていてあまりやることはなかった。
冷蔵庫に食べ物を入れていると、冷凍庫で自分が送った手紙の束を発見。
「なんでこんなとこ入れてるの?」
と聞くと
「大事なモンは冷凍庫やろ」
といわれた。
また母、美智子はベッドの下からノートを発見。
表紙に「苦しいとき」と書いてあり、中には
「試合に出れない悔しさを思い出せ」
など悔しかった出来事、格言や思ったことがズラズラと書いてあった。
石井慧の、このノートへの書き込みはずっと続き、まだ強化選手になれず自費で全日本の合宿に参加したとき、選ばれた選手しか飲み物が配られず
「ポカリスエットをもらえなかった悔しさを忘れるな」
と書いた。
そんなセコい恨みつらみと共に、後に「石井節」と話題になる自由奔放な発言につながるようなことも書かれてあり、石井慧にとって初心を忘れず、自分を奮起させる原動力になると共に大事なネタ帳でもあった。
また父、義彦は、
「お父さん、やろう」
と高校2年生の息子にいわれ、久しぶりの乱取りを行い、投げられまくった。
初めて負けて、
「昨日ビール飲み過ぎた」
とごまかしたが、これが最後の乱取りとなった。

2004年、高校3年生になった石井慧は、インターハイ優勝、アジアジュニアと世界ジュニア選手権をオール1本勝ちで優勝。
そして講道館杯で前年チャンピオン、穴井降将と対戦。
穴井降将は、2歳上の天理高校2年生で、インター杯優勝、天理大学1年生で大学選手権優勝と成績でも1つ上回っていた。
試合開始から石井慧は自分の柔道をさせてもらえず、反則や技によってポイントを奪われた。
しかし終盤、豪快な大外刈りが炸裂させて逆転勝利。
同大会3人目の高校生チャンピオンとなった。
(翌年も連覇)
その後、全柔連の強化選手に選ばれた石井慧は、合宿で穴井降将と再会。
「こんにちは。
調子どうですか?」
と話しかけ
「お前に負けてから調子悪いわ」
といわれた。
以後、穴井降将は、空気を読まない憎めない石井慧を食事に連れていったり、いろいろアドバイをした。

2005年、石井慧は、国士舘大学に進学。
国士館大学柔道部には柔道の鬼がいた。
斉藤仁である。
1984年のロスオリンピック、1988年のソウルオリンピックと2連覇した後、1989年3月に現役を引退し、母校の国士舘大学で指導者になった。
体育学部の授業では
「筋肉は使わないと弱くなりますが、使いすぎるても弱くなります」
とまともに教えるが、柔道部では一切の妥協を許さず、あまりの怖さと厳しさに音を上げる柔道部員も多かった。
1992年、バルセロナオリンピックが終わった後、山下康裕が全日本代表の監督になると斉藤仁は重量級のコーチに就任。
ある国際大会で日本人選手が豪快な投げで1本勝ちした後、喜びのあまり、寝転んだままなかなか起き上がらなかった。
すると斉藤仁は
「何やってるんだ!
立て!」
と猛然と怒り、外国人に
「勝ってるのに?」
と不思議がられた。

1999年、斉藤仁が監督になって10年後、国士舘大学が初めて日本一になった。
このとき鈴木桂治は1年生だった。
国士舘高校3年生のときにインターハイ100kg級で優勝した鈴木桂治は、斉藤仁をみて大学には行きたくないと思っていた。
「なんというか、次元の違う怖さなんです」
(鈴木桂治)
そして国士舘大学に進み、実際に斎藤仁の指導を受けると、その柔道のレベルの高さに驚いた。
斉藤仁は「もっと走れ」とか「もっとウエイトトレーニングをしろ」などトレーニングに関しては、あまりうるさくいわない。
しかし柔道は別。
その技術は、決してかんたんに覚えられるようなものではなかったが、とにかく1つのことができるまでひたすら反復させられた。
例えば、背負い投げでも1つの投げ方だけでなく、少し変化させた多くの種類があり、そのすべてをやらされ、1つできれば
「じゃあ、次はこれやってみろ」
とドンドン課題が与えられるが、途中で間違えると
「そんなんじゃねえ!」
と怒鳴られる。
「あと、膝をこれだけ曲げてみて」
といわれても、道着の中の斉藤仁の脚が太すぎて、これだけがどれだけかわからない。
仕方なく感覚的に曲げるが1回でドンピシャになることは少なく、何回も曲げて、ようやく
「おお、そこ」
となる。
そして指示通りに身体を使うと投げやすくなったり、相手が軽く感じられた。


身体の動きを覚えるために同じことをひたすらやらされることもあった。
それは「何回やればOK」「ここまでやればOK」ではなく、斉藤仁が「終わり」というまでやり続けなければならない。
16時に練習が始まり、与えられた課題ができなければ、練習が終わる21時まで延々やらされることもあった。
通常なら
「続きはまた明日」
といわれ、寮に帰るが、たまに22時の点呼のときに
「柔道着を持って来て」
とマネージャーから呼び出しがかかり、道場にいくと斉藤仁がいて、27時近くまで練習することもあった。
27時近くまでというのは「27時を過ぎると朝練はナシ」というルールがあるためで、斉藤仁は26時55分になると
「よしっ、今日はここまで。
続きはまた明日」
といい、フラフラになった部員は授業で寝た。
「稽古というより修行という感じでした。
千日回峰行をTVでみたりすると、その修行僧の気持ちがわかる気がしますから」
(鈴木桂治)

2000年、シドニーオリンピックの後、斉藤仁は全日本代表監督に就任。
「日本代表という集団は柔道家のトップ中のトップ。
練習は誰よりも量をこなし誰よりも質を求めなくてはいけない」
という斉藤仁が監督になると全日本の合宿は、

・早朝トレーニング
・午前
・午後
・夜

の4部制となり、量も内容もハードになった。
その妥協を許さない厳しい稽古のやり方に、篠原信一は
「理不尽、イソジン、斉藤ジン」
井上康生は
「いい意味で異常」
と悪口をいっていたが、斎藤仁は、それを知ると嬉しそうに怒った。

2003年春、全日本体重別選手権100kg級の決勝で、鈴木桂治が3歳上の井上康生を決勝で破って優勝し、2連覇。
直後、全日本選手権(無差別)の決勝で、井上康生は鈴木桂治に内股で豪快に1本勝ちし、3連覇。
秋の世界選手権の100kg級の代表に井上康生が選ばれると、納得できない鈴木桂治はメディアの取材に不満を漏らした。
すると斉藤仁から電話がかかってきて
「文句があるなら来年の全日本で勝て!」
と怒られた。
その後、世界選手権で、井上康生が100kgで、棟田康幸が100kg超級で、鈴木桂治が無差別級で優勝。
この世界選手権は、NHKではなくフジテレビが放送。
三宅正治、長坂哲夫、佐野瑞樹、森昭一郎、竹下陽平、西岡孝洋というアナウンサー陣に、藤原紀香、加藤晴彦が華を添え、解説は吉田秀彦。
応援ソングは、くずの「全てが僕の力になる」
石井慧にとって清風高校の先輩である秋山成勲が銀色、矢嵜雄大が赤色に髪を染めて出場し、話題となった。


2004年4月4日、全日本体重別選手権100kg級で鈴木桂治は準決勝で敗退し、優勝は井上康生。
2004年4月29日、 全日本選手権(無差別)では、鈴木桂治が優勝。
2位は井上康生。
3位は棟田康幸。
2004年8月、アテネオリンピック100kg超級で鈴木桂治が金メダルを獲得
100kg級の井上康生は、準々決勝で背負い投げで1本負け。
敗者復活戦も3回戦で大内刈りを返され1本負け。
オリンピック2連覇の夢は叶わなかった。

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日本柔道の重量級がこういった状況の中、石井慧は国士舘大学に進学した。
練習マニアの石井慧も斉藤仁の指導を受けると
「本当にキツい」
と恐れたが、道場で
「負けると思ったら負ける。
ダメだと思ったらダメになる。
勝てると思っている中に無理かもしれないという気持ちがあれば、絶対に無理になる。
すばしっこくて強い者だけが勝つのではない。
自分はできると信念を持っている人が勝つ。
世の中をみろ」
というナポレオン・ヒル(アメリカの作家、成功哲学の第1人者)の言葉が貼ってあるのを見つけると
「これは自分の言葉にするしかない」
と自分の部屋に持っていったため、その後、道場で騒ぎが起こった。

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