石井慧  運動オンチ少年がオーバーワークという暴挙で起こした奇跡。

石井慧 運動オンチ少年がオーバーワークという暴挙で起こした奇跡。

石井慧の幼少児から国士舘大学に入るまで。地球上で60億分の1の存在になる、人類で1番強い男になるための序章。


しかしなかなか成績は上がらず、塾のテストでいい点を取ると講師にカンニングを疑われたり、
「もし清風に合格できたらハワイ旅行、プレゼントするわ」
といわれたりしながら通い続け、周囲には
「オレ、清風にいくねん」
といいフラした。
小学校6年生になると160cm、85kgになったが、勉強だけしていたのでクラスにいた自分より背が高い女子に腕相撲で負けた。
中学受験は、小学6年生の1月ぐらいに終わり、小学校の卒業アルバムには
『自分の夢は?』
「柔道でオリンピックに出たい」
『もしも生まれ変わったら?』
「今よりも強くなりたい」
『もし魔法が使えたら?』
「悪魔と友達になる」
と書いた。

1999年、石井慧は清風中学に進学。
同級生の柔道部員は6人だけだった。
しかしいずれも小学校から本格的にやっている猛者ばかりで、中には全国大会で上位に入った者もいた。
当然、石井慧は1番弱かったが、とにかくサボらなかった。
例えば打ち込みを100回やるとき、速い人は5、6分で終わってしまう。
そのとき石井慧は、まだ20~30本残っていたが、最後まで手を抜かずにやった。
同級生に投げられたり、寝技で負けても
「これで1つ強くなった」
と前向きに考え、練習を続けた。
入学してまもなく、体育の授業が終わった後、教室に戻ると学生ズボンがなくなっていた。
石井慧は探したが見つからず、半パン姿で阪急電車に乗って帰宅。
祖母、淑子が
「どうなっとるんや」
とクレームを入れると、教師は学校中を探し、体育館の倉庫のマットの間に隠されてあったズボンを発見。
おそらくデブで弱い石井聡に対する陰湿な行為だった。
しかしその後、石井慧は、精神的にも肉体的にも急激にたくましくなっていき、誰もそんなマネはしなくなった。
そしてそれに伴い勉強の成績は低下。
母、美智子は担任に
「受験の貯金が切れてきましたね」
といわれた。

石井慧は、満員電車に揺られ通学し、清風中学柔道部の練習でクタクタに絞られた後、父親と出稽古に出た。
父、義彦は、自分の勤務している高校が終わると清風中学にいき、練習に参加。
まるでそこに息子がいないかのように他の子供だけ教え、練習が終わると息子を連れて他の道場へ出稽古に出た。
清風中学柔道部では、練習後、先輩の柔道着を後輩が洗濯するという習慣があったため、1年生の石井慧はためらったが、父、義彦は、
「俺が洗わんでいいというたら洗わんでいい。
なにかあったら俺にいうてこいといえ」
といって、実業団や大阪拘置所、修道館などに連れていった。
中には自分のペースで練習したい人もいて、何も考えずガンガンぶつかっていく石井慧をうっとうしく思う大人もいた。
相手にしない人やわざと板の間に投げつけたりする人もいたがしたが、石井慧は何度も頭を下げて、向かっていった。
父、義彦は、史上最強の柔道家といわれる木村政彦の言葉、
「3倍努力」
ゴッドハンドといわれた空手家、大山倍達の言葉
「技は力の中にあり」
を自分が思いついたように教えた。
そして相手が自分より小さいと、釣り手は奥襟を上から持ちがちだが禁止し、基本通り、相手の鎖骨の辺りを握って、
「下から下から」
と下からいく柔道を指導した。

高野山真言宗の教えをベースに仏教の教えも学校教育に取り入れる清風中学では、般若心経を唱えたり、写経を行い、食事のときは
「水一滴にも天地の恵がこもっております。
米1粒にも万人の力が加わっております。
ありがたくいただきます」
と挨拶する。
いいと思ったことは必ず実行する石井慧は、家でも
「米1粒も残してはいけない」
と思うあまり、食べ過ぎて吐いた。
学校で
「電車の中ではお年寄りに席を譲りなさい」
といわれると早速、実行。
しかし譲ったのは、それほどおばあさんではない女性で、少し心外な表情だった。

清風中学時代、石井慧は1年365日、1日も休まなかった。
休んでいないことが自信となった。
年末年始は東京の国士舘高校や奈良の天理高校にいって出稽古を行った。
出稽古で気をつけていたのは
「1番強い人とやる」
ということで、乱取りが始まったらすぐに1番強い人に向かって猛ダッシュ。
前にいって
「お願いします」
と頭を下げた。
もし断られたり、その人とできなければ2番目、3番目に強い人へ。
とにかく強い人、上の人とやるようにした。
その結果、中学3年生のときに団体で全国優勝、個人戦でも3位となった。

2002年、石井慧は清風高校へ進んだ。
清風高校柔道部には、OBである秋山成勲が練習に来ることがあった。
秋山成勲は、大阪府大阪市生野区で在日韓国人4世として生まれ、3歳より柔道を始め、清風高校から近畿大学へ。
大学卒業後、韓国の市役所に勤務しながらオリンピック出場を目指したが、キョポ(自国外に住む同胞)への激しい差別を経験し、日本に戻って日本国籍を取得し、平成管財へ入社。
81kg級でオリンピック出場を目指していた。
(2003年に全日本体重別優勝、世界選手権で5位と成績を残したが、2004年、全日本体重別準決勝で敗退しオリンピック代表を逃した後、総合格闘家へ転向)
石井慧は秋山成勲との乱取りで過呼吸になることもあったが、
「過呼吸で死んだやつはおらん」
といわれ続行。
「秋山先輩には技を教えていただいたことはないのですが、柔道に対する気持ち、心構えなどを教わりました。
とにかくどんな練習でも全力を注げ。
10本練習するとしたら10本全部できるようなペース配分ではなく、4本でバテてもいいから1本に100%の力を出せと。
それが今も自分の柔道の中で生きています」
と大きな影響を受け、秋山成勲をインタビューした新聞の記事を切り抜いて財布にいれ、ずっと大事にした。

また修道館で練習していたとき、柔道を始めたばかりの大人が石井慧に乱取りを申し込んだ。
石井慧は、この素人をうまく投げることができず、思わず、
「チェッ」
と舌打ちをしてしまった。
すると
「お前なにやっとるんじゃ!」
と父、義彦が激怒。
「お前はあの人の半分も生きていない。
そんな人からお願いされて、一生懸命練習をやっておられるのに・・・」
といわれ、石井慧は、泣きながらその人に謝りにいった。

石井慧は、高校1年生の夏、競争が激しい大阪の予選を勝ち抜きインターハイに出場。
清風高校の生徒も強かったが、石井慧ほどマニアックに練習する人間はおらず、石井慧は、この時点で清風高校の道場で自分より強い人間がいなくなり、
「強くなれない」
「人生がダメになる」
と焦った。
周囲は中高一貫の清風を出てから強い大学へいくのがいいと考えていたが、石井慧は
「今いかないと意味がない」
とすぐに強い相手がいる環境を求めた。
父、義彦は慎重に転校先を探した。
すると国士舘高校でスポーツ推薦で入学した生徒が退学し、欠員が出たことがわかった。

国士舘高校柔道部には強い先輩がいた上、ロサンゼルスとソウルオリンピックの金メダリスト、斉藤仁が指導する国士舘大学で練習する機会も多かった。
「国士舘高校は、そのとき事実上高校で1番強い学校だったので、練習に行ったときは周りに有名な選手がいることが凄いと思いました。
そこで練習するのが本当に楽しくて、柔道に夢中になっていました」
ただその引き換えに1年間、試合に出られなくなってしまった。
親の転勤など例外はあるが、転校から1年間は公式戦出場停止となってしまった。
理由は「学業優先」
勉強よりスポーツを優先することを善しとしないというのが表向きの理由だが、実際は強豪校による引き抜き対策だった。

国士舘高校柔道部の練習は、基本的に6時から朝練と16~20時までの夜練。
20時頃、練習が終わると寮に戻って食事をし、21時以降は外出禁止となる。
石井慧は、国士舘高校の授業では寝て、柔道となるとスイッチON。
指導者の話を熱心に耳を傾け、すさまじい気迫で練習。
そしてやがて
「21時から練習させてください」
と直訴した。
国士舘高校柔道部監督、岩淵公一が
「休まなくては強くなれない。
食って寝て体ができるんだ」
といって休むように指示。
すると石井慧は、
「はい。
わかりました」
と返事しながら、次にコーチのところにいき
「21時から練習させてください」
と頼んだ。
こうして21時から道場の横のトレーニングルームで行うウエイトトレーニングも日課となった。
「下半身を鍛える」
といって23時や24時にグラウンドを走ることもあった。
そして朝は5時に起きてランニングしてから、6時から朝練に参加。
授業で体を休ませ、道場には誰よりも早くいき、20時に全体練習が終わった後、21時から深夜までウエイトトレーニング。
こうして平日は誰よりも早く、誰よりも遅くまで練習し、日曜日は休みと決めていた。

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