二ホン?ニッポン?日本の呼称の歴史とは?

二ホン?ニッポン?日本の呼称の歴史とは?

この国の名前は漢字で書くと日本です。でも読み方は「二ホン」と「ニッポン」の2通りありますよね。「私たちニホンジンは…」と言うこともあれば、オリンピックなどでは「にっぽんチャチャチャ」と自然発生的に応援が巻き起こります。さて正式には「二ホン」なのでしょうか?「ニッポン」なのでしょうか?今回は日本の呼称の歴史についてご紹介します。


二ホン?ニッポン?

日本の正式名称は果たして「二ホン」なのか?「ニッポン」なのでしょうか?
1934年(昭和9年)に文部省臨時国語調査会によって「日本」の読み方を「ニッポン」に統一し、外国語表記も「Japan」を廃して「Nippon」を使用するという案が示されました。
ただ政府として採択されずに、正式決定には至っていません。

そのため現在も「二ホン」「ニッポン」どちらも使用されています。
公共放送であるNHKは、現在の放送用語委員会の前身「放送用語並発音改善調査委員会」が、昭和9年に発足した当時に「正式な国号として使う場合は、『ニッポン』でそれ以外は『ニホン』と言ってもよい」という方針を決定していました。

結論として、ニッポンに統一しようとしましたが正式決定していないのでどちらとも決まっていません!

日本という国名はいつから使われるようになったのか?

では日本という国名はいつから使われるようになったのでしょうか?
646年に起きた大化の改新の頃には、日本(ひのもと)と呼んでいたのではないかと江戸時代に、国学者の本居宣長が推理しています。

689年の天武天皇の治世に作られた飛鳥浄御原令という法典の中には、「日本」の記載があったとされていますが、現存していないため真実は現在も不明とされていました。

701年の大宝律令を解説した令義解(833年)という書物の中には「日本天皇」という記述があることから、701年には確実に使われていたと思われます。

そのため日本が使われるようになったのは、大宝律令の制定前後ではないかと推測されているようですね。

なぜ日本(ひのもと)と呼ぶようになったのかと言えば、当時の大国である中国の諸国は日本を倭という蔑称で呼んでいたからです。

ちなみに日本では自国のことを倭(やまと)と呼んでいました。
倭という漢字には「従順」や「衰える」「背の低い人」など印象の悪い意味が込められていたことから、国名にふさわしくないと考えるようになっていきました。

聖徳太子が隋(中国)の皇帝に送ったかの有名な「日出処の天子、書を、日没するところの天子に送るつつがなきや」で始まる手紙があります。

太陽が昇る国(日本)と、落ちる国(隋)と表現し、また中国の皇帝にしか使用されていなかった天子という表現を使うことで、隋(中国)と対等であることを強調する意図がありました。

ただこれは当然ですが、隋の皇帝を激怒させる結果となっています。
国の規模が全く違うのに、かなりの度胸ですよね。
日が昇る国で日本!センスが良いです。

日本はいつからニッポン、二ホンと呼ばれるようになったのでしょうか?
正確にはわかりませんが奈良時代(710年~794年)には、ニッポンと呼ぶようになっていました。
ニッポンが先だったのですね。

そして室町時代(1336年~1573年)には、ニッポンまたは二ホンと場面に応じて分けて呼ぶようになっています。

マルコ・ポーロ(1254年~1324年)が書いた東方見聞録では、日本のことをジパングと紹介していますが、これは中国の漢音の読み方のジッポンから来ていました。

安土桃山時代(1573年~1603年)にポルトガル人がまとめた日葡辞書では日本のことは「ニッポン」「二ホン」「ジッポン」と記載されていますので、海外にも認知されていたようです。

そのため英語でジャパンと呼ぶのは、ジパングからジャパンに変化したという説もありました。
またいくつかの言語を経て「ニッポン」から「ジャパン」に変化したという説もあります。

いずれにしても外国人には、ジャパンの方が発音しやすいのかもしれません。
日本という国名には、中国の影響が強いことがわかります。

まとめ

今回は「二ホン?ニッポン?日本の呼称の歴史とは?」についてご紹介しました。
当たり前のように、二ホンとニッポンという読み方を使い分けている私たち日本人。
なぜなのか考えると不思議ですが、古くは室町時代から続いているということでどちらかに決めるのは難しいのかもしれません。

いつの日かどちらかに決まるのか?見守っていきたいですね!

関連するキーワード


歴史

関連する投稿


武将の能力値記載のカードで歴史を学びながら遊べる!「信長の野望」のカードゲーム『信長の野望 戦国武将かるた』が発売!!

武将の能力値記載のカードで歴史を学びながら遊べる!「信長の野望」のカードゲーム『信長の野望 戦国武将かるた』が発売!!

講談社より、40年以上愛され続ける「信長の野望」シリーズの公式カルタ『信長の野望 戦国武将かるた』が現在好評発売中となっています。価格は2750円(税込)。


世界初はハリボー!日本初は?グミの歴史と人気商品をまとめてみた!

世界初はハリボー!日本初は?グミの歴史と人気商品をまとめてみた!

今ではコンビニお菓子の主役の1つともいわれているグミ。今では大人でも好きな人が多いですよね。日本にグミが浸透するまでの歴史をまとめてみました。


「どうする家康」と1983年の「徳川家康」のキャストを比べてみた!

「どうする家康」と1983年の「徳川家康」のキャストを比べてみた!

2023年の大河ドラマは「どうする家康」が放送されていますが、40年前の大河ドラマも「徳川家康」を放送していました。当時と現在のキャストや内容を比べてみました。


男女の出会いのスタンダード!?お見合いはいつからある?お見合いの歴史

男女の出会いのスタンダード!?お見合いはいつからある?お見合いの歴史

仲人さんがお見合いに臨んだ男女に向かって「後は若い二人でオホホ…」というセリフはお見合いの席での定番ですよね。男女の出会いの方法として昔からポピュラーですよね。そんなお見合いはいつから行われているのでしょうか?今回は日本におけるお見合いの歴史についてご紹介します。


国語辞典の編纂者で知られる金田一京助とはどんな人?

国語辞典の編纂者で知られる金田一京助とはどんな人?

「金田一」と言えば、小説の主人公「金田一耕助」や漫画の「金田一少年の事件簿」などで耳にしていると思います。ですが、もっと身近に「金田一」の名に触れていませんでしたか?


最新の投稿


ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂が、『鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブ~Autumn Season~』を11月13日にビルボードライブ大阪、16日にビルボードライブ東京にて開催する。今回は、1975年にリリースされた1stソロアルバム「BAND WAGON」の発売50周年を記念したプレミアム公演となる。


【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

2025年(令和7年)は、1965年(昭和40年)生まれの人が還暦を迎える年です。ついに、昭和40年代生まれが還暦を迎える時代になりました。今の60歳は若いとはと言っても、数字だけ見るともうすぐ高齢者。今回は、2025年に還暦を迎える7名の人気海外アーティストをご紹介します。


吉田沙保里  強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子の霊長類最強のタックル その奥義は「勇気」

吉田沙保里 強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子の霊長類最強のタックル その奥義は「勇気」

公式戦333勝15敗。その中には206連勝を含み、勝率95%。 世界選手権13回優勝、オリンピック金メダル3コ(3連覇)+銀メダル1コ、ギネス世界記録認定、国民栄誉賞、強すぎてモテない霊長類最強の肉食系女子。


消えた回転寿司チェーンの記憶──昭和・平成を彩ったあの店はいまどこに?

消えた回転寿司チェーンの記憶──昭和・平成を彩ったあの店はいまどこに?

昭和から平成にかけて、全国各地で親しまれていた回転寿司チェーンの数々。家族の外食、旅先の楽しみ、地元の定番──いつしか姿を消したあの寿司屋は、なぜ消え、どこへ行ったのか。本記事では、現在は閉店・消滅した地域密着型の回転寿司チェーンを、当時の特徴やSNSの証言とともに記録として振り返る。


【歌謡曲】ありえないシチュエーション!歌詞がおもしろくて笑ってしまう歌謡曲5選!

【歌謡曲】ありえないシチュエーション!歌詞がおもしろくて笑ってしまう歌謡曲5選!

昭和の歌謡曲には、現代ではお蔵入りしてもおかしくないほど、ありえないシチュエーションを描いた詞が数多くあります。その中には、残酷な人物像や露骨な情景描写もあり、思わず笑ってしまうような歌詞もありました。今回は、筆者の独断と偏見で、歌詞がおもしろくて笑ってしまう歌謡曲を5曲ご紹介します。