続いてご紹介するのは、ザ・ドリフターズの元付き人だったすわ 親治(すわ しんじ)さんです。
すわさんはいかりやさんの付き人を務めていた人物で、いかりやさんに芸名を付けられるなどしていたこともあり、荒井さんの脱退後のメンバー入りの最有力候補と目されていました。
すわさんが準メンバー(もしくはドリフ見習いとも)であることは周知の事実でした。1977年に放送されていた人形劇「ヤンマーファミリーアワー 飛べ!孫悟空」(TBS系列)でも、三蔵法師の乗っている馬役として、ザ・ドリフターズの正メンバーと共に出演しており、印象的な「ヒヒハハハハー」という甲高い鳴き声でインパクトを残しています。
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ブルース・リーのモノマネで人気を博したすわ 親治
すわさんは人気のあったブルース・リーのモノマネや鏡男など一風変わったキャラクターを演じ、兄弟子であった志村さんより先に大人気番組「8時だョ!全員集合」(TBS系)など舞台に立つなど、正メンバーの資質充分とみられていました。
実際に荒井さんの脱退時には、芸能雑誌で正規メンバー候補として特集されるなどしています。
DVD-BOX「ザ・ドリフターズ結成40周年記念盤 8時だヨ!全員集合」
高木ブーさんが後年語った所によれば、メンバーの入れ替えについて「志村がいなければ、すわ親治が入ってたでしょうね。」「荒井注が辞めて志村、次に僕が辞めたらすわ親治、そんなところでね。」と、志村さんに次ぐ正メンバーへの位置づけであったことが伺えます。
ちなみにですが、高木ブーさんは、ザ・ドリフターズの脱退の意思は無かったそうです。
一方で、すわさん自身はメンバー入りについては、当時考えていなかったようです。あるインタビューでは正メンバーとなった志村さんに対して「昔からよく言われるんですけど、僕が“6人目のドリフ”だというのは、みなさんの間違いなんです。正しくは志村さんが先輩で、僕は志村さんの4年も後に入った後輩。だから、本当の6人目は志村さんなんです。僕はただの付き人ですから」と答えています。
すわさんはザ・ドリフターズの脱退後は、一般企業勤務や劇団「ザ・ニュースペーパー」を経て、テレビに復帰。志村さんの誘いもあって「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBS系)や「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)にもゲスト出演しています。
また、演技力に定評があり、NHKの大河ドラマには「おんな城主 直虎」(2017年)、「西郷どん」(2018年)と2年連続で出演しています。
DVD「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」
<3人目>ザ・ドリフターズに加入していたかも知れない男「桑田佳祐」
ザ・ドリフターズと関係の深い桑田佳祐
最後にご紹介するのは、日本を代表するバンド「サザンオールスターズ」の桑田佳祐さんです。サザンは若手の頃に「8時だョ!全員集合」に出演しています。
そこで少年少女合唱隊のコントなどに挑戦し、いかりやさん始めメンバーの温かさに背中を押されたと感じた桑田さん。元々ミュージシャンであったザ・ドリフターズは、サザンの音楽への理解も高く、いかりやさんがサザンを気に入ってくれたそうです。
では、なぜ桑田さんにザ・ドリフターズの加入の噂があったかというと、桑田さんが自身のラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」(TOKYO FM)にて発言しています。
いかりやさんに気に入られている様子をみた大里洋吉さん(アミューズ代表取締役会長)が、「サザン辞めてドリフ入っちゃえばいいじゃない」と面白おかしく茶化したことがあり、それにお調子者の一面もある桑田さんが「俺、ドリフに誘われちゃった」と乗っかったことで、尾ひれがついて噂が広まったというのが真相でした。
桑田さんがジョークであったとネタバレを行う一方で、高木ブーさんは後年インタビューで「(荒井さんの脱退時からは)ずっと後になるけど、サザンの桑田が入ってたかもしれないし。」と当時を回顧し、「桑田が入ったら、まただいぶ違っただろうなあ。」と加入していた可能性を示唆しています。
ユニークな桑田さんが加入していたら、日本の笑いの歴史も変わっていたかも知れませんが、日本の音楽シーンもまた大きく変わっていたのではないでしょうか。
CD「Life is Boo-tiful~高木ブーベストコレクション~」
また、サザンのデビュー曲である「勝手にシンドバッド」(1978年)は、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」(1977年)とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」(1977年)から、桑田さんがキーワードを抽出しタイトル化したとされていますが、事実は異なります。