2022年10月19日 ザ・ドリフターズの仲本工事さん死去
2022年10月19日、ザ・ドリフターズのメンバーのひとりである仲本工事さんが、神奈川県横浜市で起きた交通事故により、急性硬膜下血腫のため亡くなりました。81歳でした。

<訃報記事>
【訃報】ザ・ドリフターズのメンバー、仲本工事さん死去。芸能界から続々と追悼のコメントが寄せられる。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
2020年3月には、メンバーである志村けんさんを新型コロナウイルスによる肺炎で亡くしているザ・ドリフターズ。仲本さんは亡くなる前週に「志村けんの大爆笑展」へと、高木ブーさんと共に訪れたことを自身のツイッターで報告していたその矢先でした。
相次ぐメンバーの死去にファンや関係者、芸能仲間から追悼の声が相次いでいます。

CD 仲本工事と三代純歌「この街で」
<1人目>ザ・ドリフターズに加入していたかも知れない男「豊岡 豊」
ニックネームは「赤トンガラシ」
1965年、高木ブーさんに誘われてザ・ドリフターズに加入した仲本さん。本稿では他に加入の噂があった「三人の男」について紹介したいと思います。
1人目は、「豊岡豊とスウィング・フェイス」のリーダーとしても知られたジャズミュージシャンの豊岡 豊(とよおか ゆたか)さんです。
「NHK紅白歌合戦」や「日本歌謡大賞」といった音楽番組での演奏以外にも、黒木家の間借人・熊沢役で出演した映画「ザ・ドリフターズの極楽はどこだ!!」(1974年)、映画「ザ・ドリフターズのカモだ!!御用だ!!」(1975年)などに出演しています。

ドリフ映画「ザ・ドリフターズの極楽はどこだ!!」(1974年)
ザ・ドリフターズとの共演も多く、赤いスーツ姿がトレードマークだった豊岡さん。ザ・ドリフターズのメンバーからは「赤トンガラシ」というニックネームを付けられていました。
そんな豊岡さんは、1974年3月に体力の衰えを理由に荒井注さんが脱退した際に、いかりや長介さんから新メンバーとして白羽の矢が立ったと言われています。

赤トンガラシのイメージ
高い評価を受けていた万能選手・豊岡 豊
後年、加藤茶さんが語った所によれば、豊岡さんは脱退する荒井さんと年齢も近く、饒舌で笑いのセンスも高いと評価されていました。さらにいかりやさんとも信頼関係があったという理由から、メンバー入りの話が浮上したそう。

レコード「豊岡豊とスイング・フェイス 当世当り唄決定盤」
しかし、加藤さんは高校在学中からグループに弟子入りし、ボーヤ(付き人兼雑用担当)を務めていた志村さんを強く推薦。グループにずっと付いてきて、自身と考えもセンスも似ていた志村さんの能力を高く買っていた加藤さんは、いかりやさんに「せっかくだから、俺より下の者を入れてくれないか」「何か生まれるかもしれないから」と進言。それらも決め手となり、志村さんのザ・ドリフターズ入りが決まっています。

レコード「富永一朗 楯山忠雄 (清国)振り返るなよ過去なんて」「豊岡豊 友よ元気で飲んでるか 」
<2人目>ザ・ドリフターズに加入していたかも知れない男「すわ 親治」
準メンバーともドリフ見習いとも呼ばれた
続いてご紹介するのは、ザ・ドリフターズの元付き人だったすわ 親治(すわ しんじ)さんです。
すわさんはいかりやさんの付き人を務めていた人物で、いかりやさんに芸名を付けられるなどしていたこともあり、荒井さんの脱退後のメンバー入りの最有力候補と目されていました。
すわさんが準メンバー(もしくはドリフ見習いとも)であることは周知の事実でした。1977年に放送されていた人形劇「ヤンマーファミリーアワー 飛べ!孫悟空」(TBS系列)でも、三蔵法師の乗っている馬役として、ザ・ドリフターズの正メンバーと共に出演しており、印象的な「ヒヒハハハハー」という甲高い鳴き声でインパクトを残しています。

レコード「ピンク・レディー 透明人間 / スーパーモンキー孫悟空」
ヤフオク! - EP ピンク・レディー 透明人間/スーパーモンキー...
ブルース・リーのモノマネで人気を博したすわ 親治
すわさんは人気のあったブルース・リーのモノマネや鏡男など一風変わったキャラクターを演じ、兄弟子であった志村さんより先に大人気番組「8時だョ!全員集合」(TBS系)など舞台に立つなど、正メンバーの資質充分とみられていました。
実際に荒井さんの脱退時には、芸能雑誌で正規メンバー候補として特集されるなどしています。

DVD-BOX「ザ・ドリフターズ結成40周年記念盤 8時だヨ!全員集合」
高木ブーさんが後年語った所によれば、メンバーの入れ替えについて「志村がいなければ、すわ親治が入ってたでしょうね。」「荒井注が辞めて志村、次に僕が辞めたらすわ親治、そんなところでね。」と、志村さんに次ぐ正メンバーへの位置づけであったことが伺えます。
ちなみにですが、高木ブーさんは、ザ・ドリフターズの脱退の意思は無かったそうです。
一方で、すわさん自身はメンバー入りについては、当時考えていなかったようです。あるインタビューでは正メンバーとなった志村さんに対して「昔からよく言われるんですけど、僕が“6人目のドリフ”だというのは、みなさんの間違いなんです。正しくは志村さんが先輩で、僕は志村さんの4年も後に入った後輩。だから、本当の6人目は志村さんなんです。僕はただの付き人ですから」と答えています。
すわさんはザ・ドリフターズの脱退後は、一般企業勤務や劇団「ザ・ニュースペーパー」を経て、テレビに復帰。志村さんの誘いもあって「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBS系)や「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)にもゲスト出演しています。
また、演技力に定評があり、NHKの大河ドラマには「おんな城主 直虎」(2017年)、「西郷どん」(2018年)と2年連続で出演しています。

DVD「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」
<3人目>ザ・ドリフターズに加入していたかも知れない男「桑田佳祐」
ザ・ドリフターズと関係の深い桑田佳祐
最後にご紹介するのは、日本を代表するバンド「サザンオールスターズ」の桑田佳祐さんです。サザンは若手の頃に「8時だョ!全員集合」に出演しています。
そこで少年少女合唱隊のコントなどに挑戦し、いかりやさん始めメンバーの温かさに背中を押されたと感じた桑田さん。元々ミュージシャンであったザ・ドリフターズは、サザンの音楽への理解も高く、いかりやさんがサザンを気に入ってくれたそうです。

では、なぜ桑田さんにザ・ドリフターズの加入の噂があったかというと、桑田さんが自身のラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」(TOKYO FM)にて発言しています。
いかりやさんに気に入られている様子をみた大里洋吉さん(アミューズ代表取締役会長)が、「サザン辞めてドリフ入っちゃえばいいじゃない」と面白おかしく茶化したことがあり、それにお調子者の一面もある桑田さんが「俺、ドリフに誘われちゃった」と乗っかったことで、尾ひれがついて噂が広まったというのが真相でした。
桑田さんがジョークであったとネタバレを行う一方で、高木ブーさんは後年インタビューで「(荒井さんの脱退時からは)ずっと後になるけど、サザンの桑田が入ってたかもしれないし。」と当時を回顧し、「桑田が入ったら、まただいぶ違っただろうなあ。」と加入していた可能性を示唆しています。
ユニークな桑田さんが加入していたら、日本の笑いの歴史も変わっていたかも知れませんが、日本の音楽シーンもまた大きく変わっていたのではないでしょうか。

CD「Life is Boo-tiful~高木ブーベストコレクション~」
また、サザンのデビュー曲である「勝手にシンドバッド」(1978年)は、沢田研二さんの「勝手にしやがれ」(1977年)とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」(1977年)から、桑田さんがキーワードを抽出しタイトル化したとされていますが、事実は異なります。

CD「勝手にシンドバッド」
「勝手にシンドバッド」の事実
この事実に関しても、前述のラジオ番組「桑田佳祐のやさしい夜遊び」で、桑田さん自身から語られています。「8時だョ!全員集合」で志村さんが「勝手にシンドバッド!」と造語を発言していたのをみて、面白いなと思い”パクッていた”ことを認めています。2、3年はしらばっくれていたそうで、数十年が経過してから一般にも知られることとなりました。
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