馬名の由来はあのオペラ
マチカネタンホイザは、
父 ノーザンテースト 母 クリプシー
の間に誕生した、栗毛の牡馬です。
1989年5月7日生まれで、生産は稲原牧場。
サイレンススズカや、スズカコバンなどのGI馬も輩出している名門です。
馬名の由来は、冠名+リヒャルト・ワーグナーのオペラ『タンホイザー』。字数規定から、音引きを除いた "タンホイザ" になっています。
デビューは1991年9月。3歳新馬戦をレコードタイムで勝利します。実は、この時の鞍上は武豊でした。3戦目以降の主戦騎手は、キャリア前半は主に岡部幸雄、後半は主に柴田善臣が務めます。
惜敗の菊花賞
善戦続き
3戦目の府中3歳S(OP)は勝利しますが、その後は惜しいレースが続きます。
朝日杯(GI)が3着、明け1992年4歳の共同通信杯(GII)が4着、スプリングステークス(GII)が5着。そして、皐月賞(GI)も7番人気の7着に終わります。善戦するが連に絡めない。そんなレースが続きました。
しかし、皐月賞後からは徐々に本領を発揮し出します。NHK杯(GII)は3着。日本ダービー(GI)は、8番人気ながら4着と大健闘。秋に望みをつなぎます。
3頭の叩き合い
秋は、カシオペアステークス(OP)から始動。古馬に混じってのレースでしたが、見事2着に入ります。そして、本番の菊花賞(GI)では、安定した実績が評価され、ミホノブルボン、ライスシャワーに次ぐ3番人気に支持されます。
レースは、キョウエイボーガンがハナを奪い、人気馬はいずれも先行策。ミホノブルボンは2番手、ライスシャワーは5番手、マチカネタンホイザは2頭の間の4番手につけます。縦に長い展開から、4コーナーでは後続が押し寄せ、ミホノブルボンが先頭に。しかし、後ろからライスシャワーとマチカネタンホイザが差を詰め、最後の直線では3頭の激しい叩き合いになります。最後は、ライスシャワーが僅差で勝利。ミホノブルボンが2着、マチカネタンホイザは2着とアタマ差の3着でした。
重賞連勝、天皇賞へ
重賞2連勝
翌1993年の明け5歳、初戦の金杯(GIII)は凡走に終わりますが、続くダイヤモンドステークス(GIII)で重賞初勝利。そして、目黒記念(GII)で、宿敵ライスシャワーとの対決を迎えます。
レースは、両馬とも積極的な先行策。互いに牽制し合いながら3番手を並走します。最後の直線は、マチカネタンホイザが抜け出し、そのまま押し切ってゴール。2着のライスシャワー以下に2馬身半差をつける完勝でした。これで重賞2連勝です。
力の差
天皇賞・春では、ステップレースの好走が評価され、メジロマックイーン、ライスシャワーに次ぐ3番人気に推されます。ところが、レースは、最後の直線で人気3頭に離される一方。結局、1位のライスシャワーとは9馬身差、3位のメジロパーマーとは6馬身差の4着に終わりました。GI2勝以上のライバルとの力の差を見せつけられたレースでした。
毎年GII勝利
GI4着5回の安定感
その後もGIレースには度々出走し、掲示板の常連になりますが、連に絡むことは一度もありませんでした。GI全レースの着順は、次の通りです。(除外、取消を除く。)
1着:0回
2着:0回
3着:1回
4着:5回
5着:1回
着外:5回
特に、4着5回は、朝日杯3歳ステークス(1,600m)、日本ダービー(2,400m)、天皇賞・春(3,200m)、有馬記念(2,500m)、天皇賞・秋(2,000m)と、すべて異なるレースで、しかもすべて異なる距離でした。
GII3勝の強さ
一方、GII, GIIIレースになると、途端に傾向が変わります。
1着:4回
2着:1回
3着:1回
4着:2回
5着:3回
着外:3回
重賞4勝。そのうちGIIレースが3勝です。
なかでも、1995年7歳時に出走した高松宮杯(GII)は、前走、前々走が出走取消、出走除外で、約8ヶ月のブランクの後のレースでした。にもかかわらず、その年の秋のGI戦線で活躍するセキテイリュオーやヒシアマゾンらの強豪を退けての勝利。前年のアメリカジョッキークラブカップ(GII)以来の勝利で、これで、5歳、6歳、7歳と毎年GIIレースで勝利したことになります。

第25回高松宮杯 (GII)
ビワハヤヒデ、ナリタブライアンに先着
引退後
引退後は種牡馬となりますが、目立った活躍馬も出ないまま退き、2006年から功労馬として余生を送りました。繋養先の小須田牧場では、マチカネフクキタルと一緒に過ごした時期もあったようです。2013年12月7日、24歳でその生涯を閉じました。
マチカネタンホイザだけの珍記録
実は、マチカネタンホイザには、あまり知られていない珍記録があります。それは、"ビワハヤヒデとナリタブライアンの史上最強の兄弟馬のどちらにも先着したことがある" という記録です。これを成し遂げたのは、マチカネタンホイザだけです。
具体的には、1994年の天皇賞・秋、ビワハヤヒデの引退を決定づけたレースで、ビワハヤヒデは5着、マチカネタンホイザは4着でした。また、1995年の天皇賞・秋、ナリタブライアンが骨折明け初めて出走したレースで、ナリタブライアンは12着、マチカネタンホイザは6着でした。
両馬ともピークを外れた最低順位のレースだったとは言え、GIレースに頻繁に出走して機会に恵まれ、そこである程度の好走をしなければできない記録で、マチカネタンホイザが実力馬だったことを示す証左と言えるでしょう。

小須田牧場にて(2012年)