佐山聡が虎のマスクを脱ぐまで

佐山聡が虎のマスクを脱ぐまで

1981年4月23日、突然、リングに現れたタイガーマスクは、2年4カ月後、突然、消えた。


1983年5月6日に第1回IWGPが始まった。
「プロレス界における世界最強の男を決める」
とアントニオ猪木が世界中に乱立するベルトを統合し、最強の統一王者を決める「IWGP(インターナショナルレスリンググランプリ)」構想をブチ上げたのは2年前。
以降、新日本プロレスは新間寿が中心になって準備を進めた。
当初、IWGPは、開幕戦を日本で行い、韓国-中近東-ヨーロッパ-メキシコとサーキットし、ニューヨークで決勝戦を行うという計画だったが、プランが壮大すぎることや「プロレス最強の男を決める」ということに対し(当然、負けたほうが損だから)各地区のチャンピオンやプロモーターは難色を示すなど紆余曲折あり、日本国内でのリーグ戦に大幅に縮小され、

日本代表:アントニオ猪木、キラー・カーン、ラッシャー木村
北米代表:アンドレ・ザ・ジャイアント
アメリカ代表:ハルク・ホーガン、ビッグ・ジョン・スタッド
中南米代表:カネック、エンリケ・ベラ
欧州代表:オットー・ワンツ、クイック・キック・リー(前田日明)

の10名がリーグ戦を行うことになった。
前田日明はIWGPに参戦するため、3年の予定だったイギリス修行を1年で終了。
帰国する前にアメリカのフロリダに寄り、約1ヵ月間、カール・ゴッチからトレーニングを受けた。
このときトレーニングパートナーを務めたのが20歳の高田延彦だった。

1983年6月2日、IWGPリーグ戦は、最終的にアントニオ猪木とハルク・ホーガンが勝ち点で並び、蔵前国技館で優勝決定戦が行われた。
2人の戦いは一進一退だったが、途中、猪木がエプロン際でホーガンのアックス・ホンバーを受け、リング下に転げ落ち、レフリーのMr.高橘はカウントを数え出した。
「高橋、バカ野郎、待てよ」
坂口征二はリングサイドから飛び出し、猪木を抱えてリングに入れようとした。
しかし猪木はエプロンでうつ伏せになり舌を出したままピクリとも動かない。
坂口は舌が巻きついて呼吸困難ならないよう自分の履いていた草履を猪木の口に突っ込んだ。
試合はハルク・ホーガンの勝ちとなり、猪木はすぐに病院に担ぎ込まれ、面会謝絶となった。
坂口と新間寿は病院で一夜を明かし、翌朝、病室に入ると、なんとベッドに寝ているのは猪木ではなく猪木の弟。
猪木は夜中にコッソリ抜け出していた。
自分が勝つよりも失神KOという衝撃的に負けるほうがカネになるという判断だったことに気づいた坂口は激怒。
「こんな話あるか。
ふざけるんじゃないよ。
俺は当分、会社出ないよ」
といい
「人間不信」
と書いた紙を会社の自分のデスクの上に置いてハワイへ旅立った。

2、3日後、新間寿は病院に挨拶にいき、猪木が途中で帰ってしまったり、マスコミが病院に押しかけて大騒ぎになったことを謝った。
「ご迷惑をおかけしました」
すると看護師がいった。
「私たちはあの試合を見させていいただきました。
新間さんや猪木さんはプロレスではプロかもしれません。
でも私たちは看護のプロです。
猪木さんがやったように舌を出したま失神するというのは医学的にありえません。
あれは猪木さんの芝居です」
新間はショックだった。
勝つべき試合で猪木は失神KOされ、今は雲隠れしている。
坂口はいなくなってしまう。
いったい何がどうなっているのか、さっぱりわからなかったが、この事件をきっかけに新日本プロレスは悪い方向に向かっていった。
「やはりレスラーはリング上で強くなくてはならない。
そうでなけれぱ示しがつかなくなる。
IWGPの優勝を猪木が逃すことによって組織のタガが外れてしまったのだ」
(新間寿)

1983年6月18日、新日本プロレスの株主総会が行われ、
「売上19億8000万円、利益750万円」
と発表。
アントンハイセルは数年で数十億円の負債を出し、猪木はテレビ朝日に放送権を担保に12億円を肩代わりしてもらったが補え切れず、新日本プロレスの収入の大半を補てんに回していた。
「ハイセルを軌道に乗せて新日本プロレスのレスラーたちの引退後の受け皿にするつもりもあった。
レスラーはケガや事故の危険と隣り合わせの商売だ。
将来の生活が約束されていれば安心して過激な戦いに没頭できる」
猪木はそういうが私的流用であることは間違いなかった。
山本小鉄、藤波辰巳、大塚直樹(新日本プロレス営業部長)らは、密かにに新団体をつくることを画策。
「そのためにはタイガーマスクがいる」
と考えた。

1983年7月、サマーファイトシリーズを猪木は欠場。
7月12日、佐山聡は札幌のホテルで藤波辰巳に声をかけられ、会社の問題について話し合った。
7月14日、札幌中島体育センターでの試合が終わってホテルの部屋に戻るところで佐山聡は大塚直樹に
「話がある」
と声をかけられ、クラブに移動。
「私達は新日本プロレスを辞めて新しい組織をつくります。
8月いっぱいで営業の者は突然いなくなります」
といわれた。
7月22日、函館にいた佐山聡は、1ヵ月後(8月18日)にロサンゼルスでの結婚式をすることが決まっていたが、東京の新日本プロレス事務所から、
「もしタイガーが友人をロスに連れていくなら結婚式はブチ壊す」
という新間寿の伝言を受けた。
ブチ壊すと聞いてブチ切れた佐山聡は、伝言を伝えた伊佐早敏夫(宣伝企画担当主任)に
「会社を辞める」
と伝えた。
7月27日、新間寿は興行が行われていた金沢市産業展示場に飛んで、佐山聡に友人の参列を認めた。

7月29日、富山で山本小鉄、藤波辰巳、大塚直樹、佐山聡らが会合。
山本小鉄に
「新団体は猪木、新間、坂口を除く」
といわれた佐山聡は違和感を感じた。
師であり恩人であり神であるアントニオ猪木を裏切るなど考えられなかった。
「本当にクリーンな会社ができるというのなら100%協力します。
ただ猪木さんは僕にとってどんな人間かわかってください」
会合後、態度を明らかにしない佐山聡に大塚直樹は
「新日を出るなら500万円払う」
といい、
「もう営業は全員やめるつもりなんですよ、ほら」
と部下から預かっていた辞表をみせた。
佐山聡は
「猪木さんは恩師、山本さんは先生、他のレスラーも仲間なんです。
新日本をクリーンな団体にすることは賛成なんですけど、どちらかの側に立つということはできません」
と答えた。

1983年8月3日、新日本プロレスは兵庫県三木市から神奈川県横須賀市に移動。
横須賀市総合体育館での試合の後、吉田稔(新日本プロレス営業部)、上井文彦(新日本プロレス営業部)、藤波辰巳、佐山聡が話し合った。
山本小鉄たちがやろうとしている新団体が
「本当にレスラーのためものなのか?」
「本当にクリーンな団体なのか?」
「今度は自分たちが甘い汁を吸おうとしているだけではないのか?」
などと疑っていた4人は、最終的に
「信用できない者に加担するより、信じられる者同士でユニオン、またはプロダクションをつくろう。
ただし本来は全員一緒が1番いいので山本さんたちとは最後まで話し合う」
ということになった。
「よし、これからはまとまってやっていこう」
(藤波辰巳)

しかし佐山聡は、すでに新日本プロレスを辞めて、新しい格闘技をやることを決めていた。
8月4日、藤波辰巳たちと話し合った翌日、シリーズ最終戦で
「新日本プロレスはこれが最後だろう」
と思いながら蔵前国技館のリングに立ち、タイガースープレックスで勝利。
8月8日、新日本プロレスはシリーズ終了後の慰安旅行で群馬県の草津温泉へ。
ここで佐山聡は新間寿と2時間ほど話をした後、翌日に行われるサイン会のために東京へ引き揚げた。
8月9日、東京行の特急「谷川8号」に乗ろうとしていた新間寿に東京から
「下関 キエタ」
と電報が届いた。
これは佐山聡がサイン会に現れなかったことを意味し、あわてる新間寿をみながら大塚直樹は
「いよいよ動き出したか」
と思った。
佐山聡は2日後(8月11日)にカナダが試合が、8月18日には)ロサンゼルスで結婚式が決まっていたが、
「新日本プロレス主導の結婚式を阻止するために何か起こす」
と予想していたのである。
同日18時、佐山聡は、新日本プロレスの道場でテレビ朝日のスタッフと「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に出演するための打合せを行った。
翌8月10日18時、収録開始。
この後、同じテレビ朝日でヘルシンキ世界陸上にタイガーマスクの出演が決まっていたが、佐山聡はスタジオに姿をみせず、新日本プロレスに自らの契約解除書類を送付した。


8月11日午前1時、佐山聡は東京スポーツ編集部に電話した。
「10日付で新日本プロレスに契約解除を申し入れました」
『えっ!?』
「一方的に私のほうから辞める旨を申し出たんです」
『なぜ?』
「いまは詳しいことはいえません。
ただプロレスが好きだから私はプロレスを去らなければならないということなんです」
『もっと具体的に・・』
「私には1つの夢があった。
今のまま新日本プロレスにいては、それが潰れてしまう。
それ以外の理由はいえない」

朝になると新日本プロレスは緊急会議を行った。
新間寿は何が起こったのか理解できず、大塚直樹は新日本プロレスを離脱した佐山聡を自分たちの団体に引き入れることを考えていた。
佐山聡が送った書類は、1ヵ月前から弁護士と作成したもので

・会社の経理の不正
・一部の社員の不正

を指摘した上で
「穏便に契約解除すれば公表しない」
としていた。
昼になると東京スポーツの早刷りが届き、新日本プロレス事務所は次々に問い合せの電話が鳴り
「タイガーマスクが辞めるかどうかは、まだわかりません」
と答えた。
13時半、新間寿、大塚直樹、坂口征二が記者会見。
「ウチとしてはどんなことがあっても引き止めに全力を尽くす」
とコメント。
会見後、新間樹は試合が行われるカナダに向かった。

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