一連の動きをみながら佐山聡は
「小さな道場をもって自分だけで理想を追求していこう」
と思っていた。
しかし
「一連のクーデーターを主導したのは佐山」
という報道が起こると、アントニオ猪木だけには誤解されるが嫌だったので直接会って説明するために猪木のマンションを訪問した。
そして
「なぜプロレスをおろそかにしたんですか」
と控えめながらも、そもそもの原因は猪木にあるといった。
横にいた倍賞美津子が泣き出し、猪木は
「わかった」
そして
「帰ってこい」
といった。
「猪木さん、昔、僕を新日本プロレスの格闘技第1号の選手にするっておっしゃいましたよね。
メキシコでもイギリスでも、タイガーマスクとして帰ってきてからも、その言葉を忘れたことはなかった。
今、僕はそれをやりたいんです」
猪木は腕組みをしたまま何もいわなかったが、誤解が解くことができた佐山はスッキリした気持ちで帰ることができた。
佐山聡は礼儀として自分を新日本プロレスに入れてくれた新間寿とも会った。
しかし
「新日本の腐敗の元凶は新間」
「自分を退社に追い込んだのは佐山」
と憎しみ合う2人は、京王プラザホテルで会うなり最初からケンカ腰。
険悪なムードに中、23時から7時間、話しているうちに、
「何っ?」
「えっ」
と驚き合い、たくさんの誤解があることに気づいた。
アントニオ猪木が辛夷本プロレスの社長に返り咲いて、3ヵ月後、1984年2月11日、東京、世田谷のスポーツジクラブの中で「タイガージム」がオープン。
佐山聡は、長年の夢、理想の格闘技実現のための第1歩を踏み出した。
一方、新間寿は、自分の団体をつくることを決意。
新日本プロレスからアントニオ猪木や長州力を引き抜き、自分を追い出した人間を見返してやろうと目論み、その復讐にための団体を
「UWF(ユニバーサル・レスリング連盟)」
と名付けた。